これね
https://toyokeizai.net/articles/-/262470

──1987年に別々のペンネームにする前も、2人の先生が共同で何かすることは、あまりなかったんですか?

『ドラえもん』にはいっさいタッチしてなかった安孫子先生が、何かの場でファンから「ドラえもんを描いてください」と色紙を渡されて、全然似ていないドラえもんを描いたりはしてましたよ(笑)。確かに藤子不二雄だけど自分は違うんだ、なんて子どもには言えませんから。

部屋も藤本先生は大部屋でアシスタント全員と机を並べ、僕らがギャーギャー騒いでても、横でベレー帽をかぶりパイプくわえて黙々と仕事していた。

一方、ほとんどのアシスタントがついてる安孫子先生のほうが1人個室でした。たまに2人でテレビに出ても、しゃべるのは8割方が安孫子先生。接待やパーティー、ゴルフも安孫子先生が担当。藤本先生はもともと社交的ではないので、絵描きに専念できて楽だったと思います。

雑誌の写真なんかで2人並んで写ってるけど、それはそのときだけ安孫子先生が隣室からやってきて、あたかも「いつも2人一緒です」ふうのポーズを取って、取材が終わればサッサと引き揚げていく。何かトラブルがあって2人で相談してたりすると、一ファンだった僕にはすごく貴重な光景で、見ててウキウキしたものです。