この当時、コンピューターソフトの卸価格が「定価の20~30%」が業界の慣習だったのに対し、襟川は「定価の55%」を強く主張し、問屋との軋轢を生んだ。しかし襟川は「55%でも構わないというところが1社でも出れば、その会社からお店は仕入れるしかない。他の流通は得意先を取られるのでうちと取引せざるを得ない」と強気の交渉を行い、結局55%を受け入れる会社が現れたことで一律55%で卸すことに成功した。夫の作ったゲームの品質に自信を持っているが故の強気である。このとき襟川に最後まで抵抗したのが孫正義率いる日本ソフトバンクであったが、結局孫も最終的に55%を受け入れた。これ以前、孫が創業したころからの取引相手であり、孫と襟川は長く交流がある。襟川は孫のことを親しみを込めて「孫ちゃん」と呼ぶ。孫は襟川をソフトバンクグループの社外取締役に迎える際の株主総会において、襟川のことを「大変な経営眼で、私の尊敬する経営者、起業家の一人だ」と評した

剛腕だね(´・ω・`)