ポーランドの歴史の一部(´・ω・`)


ポーランドに隣接するロシア帝国、プロイセン王国、オーストリアの三強国は、ポーランドの衰退をみて1772年、1793年、1795年の三度に渡ってポーランド分割を行った。
三度目の分割でポーランド王国の領土は完全に3国に併合し尽くされ、ポーランド王国は消滅する。


ナポレオン戦争中の1807年にはナポレオンによってワルシャワ公国が建国された。貴族共和制の復活を望む一部のポーランド人は公国を支持したが、実態はフランス帝国の衛星国に過ぎなかった。


1815年、ウィーン議定書に基づきワルシャワ公国は解体され、その4分の3をロシア皇帝の領土としたうえで、ロシア皇帝が国王を兼務するポーランド立憲王国を成立させた。


1918年に(ロシアに続き)ドイツでも革命が起こり、連合国に降伏してドイツ帝国は崩壊した。
これにより権力の空白が生じたポーランドは、アメリカ大統領ウィルソンの提唱した十四か条の平和原則に基づき、独立を回復することになった。


1939年8月、独ソ間で独ソ不可侵条約が結ばれ、独ソ両国によるポーランド侵攻は秘密議定書による黙認の元行われた。
9月17日には、ドイツとポーランド分割の密約を結んでいたソビエト連邦が東部地域に侵攻して、1ヶ月足らずでポーランドのほとんど全土が分割占領された。


1945年にポーランドはソ連の占領下に置かれた。ポツダム会談の決定によって新たにポーランド共和国に定められた領土は、
東部のウクライナ・ベラルーシ西部をソ連に割譲し、かわりにオドラ川以西のドイツ領であるシロンスクなどを与えられるというものであった。
失った東部領は新たに得た西部領の2倍に及び、東を追われたポーランド人が旧ドイツ領から追放されたドイツ人のかわりに西部に住み着く人口の大移動が起こった。