私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、
十歳前後かと推定される頃の写真であって、
その子供が大勢の女のひとに取り囲まれ、(それは、その子供の姉たち、
妹たち、それから従姉妹たちかと想像され)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、
首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く?けれども、
鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くもなんとも無いような顔をして、
「可愛い坊ちゃんですね」
といい加減なお世辞を言っても、まんざら空お世辞に聞こえないくらいの、謂わば通俗の
「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、
美醜に就いての訓練を経てきた人なら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子どもだ」
と頗る不快そうに呟き、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真を放り投げるかも知れない。
 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪い物が感ぜられてくる。
どだい、それは、笑顔でない。この子は、syジスに笑って画奪う日だ、」その祥子には、】この子は、
両手のこぶしを家宅握って