私は、人の相談事・悩み事にあまり助言などの口を出せない傾向があります。そのような人の感情に合わせて自らの思考とを表すと、極論になってしまうからです。
すなわち、
『殺せ』。あなたは絶対者に命じられ、目の前には人間が居ますが、『殺しますか。』、相手は自分よりも弱く無抵抗であなたにはそれなりのナイフや銃などの凶器があり、それを少し『操作』すれば相手が死ぬことは分かっており、
『殺しますか。』、命令者は、『殺さなければ、あなたを殺す』、あなたは動揺するかも痴れませんし、あなたが凶器を向けている人間は無個性に思えますが、
だんだんと自然に情も出てくると思われます。想像が頭を巡り、考えこんでしまうかも痴れません。
相手にも大切な『何か』、家族や友人、恋人、基底価値、思い出、夢、想い、趣味、大切な『何か』を持っていると想像できます。
相手のその目はあなたを見て怯えています。口は震え、顔は青ざめています。それら全ての原因が、あなたにあるのです。『殺しますか。』
殺せば相手の目から光が消え、眼球は渇き、身体から血液が溢れ、口の動きは止まり、震えた身体は止まり、脳の機能は停止します。
ついさっきまで生きていた命が、考えていた心が、維持されていた記憶が、消え去り、無となります、それら全ての原因が、あなたにあるのです。『殺しますか。』
形式的にせよ、実質的にせよ、他人を思いやれば、自らの気持ちも気分も心地が良いモノです。
漫然とした優しさが、どれだけその人を、苦しめ、追いやるのか。『殺しますか。』
社会にはそれが溢れています。彼等を犠牲にして、今も、今日も、多分明日も、社会は鼓動していて、誰かの知らないところに、確実に『生け贄』が出ているのにも関わらず、それを無視してみんなは生きています。