良いからまず踏み台蹴りな
戻れなければ恐怖と戦う必要もない
戻れるルートなんて「怖さによる中止」の理由作ってるようなもん

自分も用事が終わるまでって延ばしながら生きてるからえらそうには言えんけど
恐怖と楽しみは違うかなと勝手に思ってる

自分が可哀想になるまで生きたくない
傍目には知らんけど少なくとも自分でそう感じるギリギリ手前が今な気がする

ヨボヨボになって配偶者に先立たれ半年一度顔出すか出さないかみたいな離れて住む家族との接触だけを区切りに
何食ってもそれなりで腹の具合もスッキリせずシモも緩んでトイレのこと気にしてアチコチが傷んでチンコも勃たず口の中は歯が治しようもなくなって安物の入れ歯で歩くのも杖やら歩行器やらで一苦労、頭ぼんやりで目も悪く本読む気にもなれず、とかさ
これは特別悲惨でもでもないありふれた老人の姿だよ

そこまで行ったら長生きの何が幸せかわからねえ
俺には30歳になるのすら嫌だまでいってる若い奴の気持ちはもうわからねえけど
フツーに当たり前に長生きを望むやつに言わせれば俺も同様に理解不能な存在なんだろう
俺の親はそこまでの状態ではないが相当な歳だがやっぱりまだもっと長生きしたいらしいよ

俺にはそれが何かを楽しみで生きてるんじゃなくて死ぬのが怖くて生きてるだけだとしか見えない

生きるのが当たり前、そのために働くのが当たり前、苦しくても死ぬのが怖いから生きる

死ぬ寸前まで恐怖に生かされるなら俺はもうちょっと食べたいなってところでごちそうさました、と言いたい