自分でもわかっている。お人好しとかなんて問題じゃない、馬鹿だと思う。

私が困るという現象と、友人が困っているという現象を第三者が見たら、同格。どっちかが困っていても同じ。
私と言う現象から見たときのみ、私に別の意味付けがある。
関係性のなかで、現象が生じる。
お金が特別ではないし、私も特別ではない。私のものなど何も本当はない。
ただ、自分が所有できていると錯覚しているに過ぎない。
その錯覚が人を生きやすくさせていると考える。

さて、もう本当に別の生き方しようかね。