昨日の話とは全然関係ないけど、一つテーマを出してみるにゃ

アリストテレス曰く、「政治」とはより高邁な理想を追求し、市民に共通善を考える機会を与え、意義ある生活を提供することらしいにゃ

ここで、「共通善=共同体の構成員によって達成すべく合意された普遍的価値ないしは集合的目標」とすれば、
共通善自体が決して自明に決まっているわけでもなく、議論を通じて最終的に多数決によってその共通善が採用されたとしても
その共通善が最善であるという保証もないことになると思うにゃ
つまり個々人の善も、共通善ですらも、その国その時代によって変わっていくものだと認識しているにゃ

ちなみに自分は共通善を考えることはするけれど、選挙で投票はしない主義だにゃ
なぜ投票しないかというと、自分は小心者なので、そこまで勉強していない共通善に投票することに責任が持てないからだにゃ
民主主義の国において、この考え方は許されるのかにゃ?