統合失調症体験談を語るのは、お笑いコンビ松本ハウスのハウス加賀谷だ。
「ハウス加賀谷ヒストリー」と題されたその体験談は想像を上回る壮絶なものだった。

小学校高学年までは秀才として有名な進学塾に通うほど周りから期待されていた加賀谷。
しかし、ある時塾の先生が加賀谷のノートを見てその異常さに気付く。
ノートが真っ黒だったのだ。

加賀谷が使うのは見開き1ページだけだった。
塾の先生からそのことを知らされた母は加賀谷を心療内科に通わせるようになった。

授業聴いていても、後ろから悪口が聞こえてくる。「へへへへへ」と笑われている気がする。「デブ食べ過ぎなんだよ!」というような罵倒が聞こえる。
おかしいと思い後ろを振り返るとそんなことを言ってる人はいない。

加賀谷: もうね、「だるまさんが転んだ」状態ですよ!

その症状が悪化し程なくして高校を中退

加賀谷:せっかく親がお金かけて高校まで行かせてくれたのにその気持ちを裏切り本当にこの時は辛かったです
自分が情けなくなり何度も自分を責めました

芸人になり人気絶頂になった98年頃、病状が悪化する。

加賀谷: 当時4階に住んでたんですけど、4階の窓の向こうにお酒の看板があったんですよ、大きい。そこの看板に組織のスナイパーが潜んでて
窓ガラスが上半分は透明でした半分がすりガラスなんですよ。(した半分に)身を屈めて生活してて、
匍匐前進して明るいと撃たれるていうから、暗くしてただいまって帰ってきても電気を消したまま身を屈めて生活してて

そして遂に99年活動を休止し入院。
閉鎖病棟の急性期病棟(一番具合の悪い人が入る病棟)に入れられる。

加賀谷: 隔離病棟には分厚い鉄でできた鉄の扉があって、そこを開けると6人から8人で生活する大部屋のエリアがあって、その先にみんなでお話ししたりするリビングがあるんですよ。
で、そのリビングを突っ切って少し歩くと、次は太い鉄格子付きのこれまた分厚い鉄で出来た扉があって、そこを開けると保護室があるエリアなんです。
で、その保護室は三畳くらいで、鉄格子の窓と鉄柵、布団にポータブルの便器、それしかない部屋ですね。
あ、もう僕は「手遅れ」何だなって思いました