腱鞘炎になったけど、当たり前に使えてる内は手を使えるありがたみなんて感じてなかった。手自体にそんな存在感もなかった。
病気になって初めて健康のありがたみを感じるんだ、みたいな話は嫌い。
私が存在するのは何かが昔から壊れていってるから。
単に頭でもいいんだけど、そういえば幼児期に、いったん新皮質全体に張り巡らされた電気信号の通り道が間引かれ間引かれ少なくなっていく。
機能しない部分が出来て(認知できないものができて逆説的に)認識が出来るようになるし、神経の偏りが性格にもなる、なんて説を昔読んだ。