安楽死という支配者側にとって損で、被支配側、勿論反出生者達にとってもまた救済のような手段は永久に講じられない。
支配者がそんな真似をするはずがない。
ありうるとすればむしろ、より出生礼賛主義へと人々を駆り立て、口では生命と人生、自由と安心を吹聴しながら、
その実報われない労働、陳腐な娯楽に規格化された幸福像(勿論、いわゆるリア充のそれですら)、疑心と不安を延々と続けるように仕向けるに違いない。
私が述べるまでもなく、全て我々の認識する幸福は支配者が象ったショーモデルにすぎない。それが人道的価値があると思わせようが、或いは享楽的、華美なものであろうが。重要なのはそこではなく、
それらの一切合切が本質から我々の思考を逸らし、また見えなくする。支配者の為の無益な人生と、それに対する異議ないしは反抗を企てる事を防ぐために。
日常の、相変わらず嫌になる争いと拝金主義、不義の横行に安息の無さ、
積み重ねる空虚さ、稼ぐ愚かさ、本質が曇ることへの不安。
気づいた我々は反出生という結論に達しつつある。
反出生者は洗脳から解けた段階にいる。導かれるか自分の足で歩くかは判らないが。