だが、私が木村氏から盃をもらったのは、自分が博徒として生きたかったからで、別に「親分」と呼ばれたいと思ったわけではなかった。
博奕をするには、組に籍があったほうが何かと都合がいいのである。

博奕は十代の頃から好きで賭場に出入りしており、大負けして親の土地を売って穴埋めしたこともある。
母を泣かせてしまうことになり、これは今となっては悪かったと思っている。
そんなことを振り返りながら、稼業入りの経緯や抗争事件などについて、ペンを走らせてみようと思う。