これらに張巧君との悲恋を重ねて天安門事件追悼ライブをやろうとした私は
福昌堂の松尾記者、小倉記者、塩澤記者、野沢記者らとの読者交流練習サークル
【高円寺散打研究会】の懇親会で提案するも、当時、中国政府とべったりだった編集部は冷めていて食事に下剤を盛られる事件が発生しサークルから離脱。