陳発科は北京に出た後、弟子たちからの逆影響で楊式推手の四正四隅を取り入れた。
それまでは陳式には四正四隅はなかたのである。

古代陳式

オ朋、オ履、オ斉、オ奈 (古代陳式では水平に推すオ安をオ斉と呼んでいた)


楊式四正四隅

オ朋、オ履、
オ斉、オ安、
採、オ列、
肘、靠、
(ちなみに四隅は武禹襄が陳家溝を訪ねて大金を払って陳家溝の家系図を見た時に
陳○○、肘の名手、陳××、靠の名手と書いてあるのを見て発案した可能性が高い)