福昌堂の月刊ウーシュウ(武術)にサンフット!の生徒募集が載ったことはない。

月刊空手道ならあるけど載った瞬間にポケットベルがハッキングで妨害された。
そしたら福昌堂が福昌堂編集部高円寺散打研究会読者参加募集を出して
松尾、小倉(巨椋)、塩澤、野沢編集員たちと練習が始まったわけ。当時は北斗旗に出る前の練習のつもりで出た沖縄上地流空手の大会で
ルール変更の罠と相手の反則で試合後半にボコボコにされてアバラを痛めて
挫折した状態のオレをなんとか
広東人の彼女と再会させるとこまでレベル・アップさせようとゆう企画だったのだが
西野流インチキ騒動で西野流に突撃取材した松尾記者が
オレに睨まれただけでサンドバッグに膝蹴り中にギックリ腰になって自爆したり
小倉の芦原空手のサバキが私に全然かからなかったり
逆に佐々木小次郎みたいな長拳(?)の選手
のハイキックの発勁をキック・ミットで受けたら頸椎がムチウチ症になったり色々あった。そうこうするうち余鳳翔暗殺(呪殺?)疑惑が話題になったら
練習後のレストランで私だけ下剤を盛られる事件とかが起きたんだよ。
あと当時ファンキー末吉原作の漫画【北京的夏】とNHKで放送された崔健の【最后一槍】とか中国民主化ロックを熱く語るオレに対して
当時は中国べったりだった福昌堂の編集部員たちは冷めた態度をとっていた。で、袂を分かってライバル誌のBABジャパン社の【武芸】に生徒募集を出したら福昌堂が圧力かけて二年間連続でハガキがボツにされた。
そして二年後の95年夏号にやっと生徒募集が載ったらアパートの電話番号の下二桁を入れ替えて掲載しやがった。
抗議したら武芸じゃなくて秘伝のほうで小さく訂正出して
武芸のほうは訂正なしで誤魔化しやがった。