>>130
陳式太極拳は太極拳ではないとゆうのは呉図南あたりが唱えた説ではあるが
陳式太極拳が一番古い源流なことは間違いない。
ただ楊露蝉が陳家溝で陳式を習った後、北京に出てしばらくは太極拳とは名乗っておらず
ライバルの八卦掌に対抗して太極拳と名乗りだして
後から陳家も太極拳と名乗りだしたとゆう説もあったり
陳家溝の中でも最初に太極拳を名乗り出したのは陳家小架式(できた当時は新架式)の陳有本、陳有恆兄弟が最初で
楊露蝉が陳長興に習った頭套拳、二套拳、三套拳、四套拳、五套拳のうち二〜四は金剛搗碓がなかったので
楊露蝉は頭套拳をベースにしながら頭套拳から金剛搗碓を削除するのにためらいがなかった可能性がある。
また金剛搗碓を削除したのは道教の気功を取り入れた楊家二代目以降の可能性もあり
仏教用語が道教と矛盾するために削除されたとも言われている。
ちなみに陳家太極拳では陳発科が北京に出て楊式や呉式太極拳出身の弟子から楊班侯の本を見せてもらい
推手の理論である四正四隅をパクっている。