一般的には



紀効新書拳経32勢

(宋太祖32勢長拳など)

陳氏108式長拳

(分派として洪洞通背拳や忠義拳など)


陳氏太極拳
(頭套〜五套、砲捶、)

(王宗岳の春秋大刀や回族の八極や劈掛の影響)

陳氏太極拳
新架式(陳有本)↓
新架式の回し受けや新しい白鵝亮翅を古式の頭套にフィードバック、古式の六封四閉は初收(再收)とかオ婁膝とか指導者によってまちまちな呼び方になるが楊式では手揮琵琶となる。
新架式(小架式)の白鵝亮翅は老架の六封四閉となる。

陳延煕の一部亜流では混乱期の影響で老架の六封四閉を楊式名の抱虎帰山と呼ぶのはこのため。

楊式ニ代目
に影響を与えた宋遠橋の子孫の道教の伝説が混入し楊式、呉式が張三豊太極拳創始説と楊露蝉陳家溝修行の矛盾を無理矢理つなげるために
張三豊→蒋発→陳長興説がでっち上げられる。
ただし陳家溝では最初に太極拳を名乗ったのは9世の陳王廷とされているが
実際は新架式の陳有本が最初に名乗り、後に本家の陳耕雲が回し受けその他を頭套にフィードバックさせて老架式太極拳を名乗ったとも言われ
楊露蝉は北京に出た当初は太極拳と名乗ってなかったので
生涯のうち三回陳家溝で修行した後半で陳長興が息子の影響で太極拳を名乗り出したか
楊露蝉の弟子の武禹襄が陳長興を訪ねたが老齢で趙堡架式(小架式)の陳清萍を紹介された際に影響を受けた可能性がある。