(1)望月記者は政権を追及してきた人だから、こんな争いは政権側を喜ばせるだけなので
やめるべきだ=「敵を利する」論

 確かに安倍政権を支持していた人々を喜ばせるかもしれない。
だが「こんな話は安倍氏らを利するからやめるべきだ」というのは、「こんな文書は野党を利す
るから改ざんすべきだ」と考えた財務省と同じではないか。問題は指摘された事実が「敵を利
するかどうか」ではなく「事実かどうか」であり、今回の場合は事実だ。

(2)ドラマ自体は内容がいいから評価していいではないか=反フェアトレード論
 ドラマ「新聞記者」の作品としての評価は様々だが、仮に内容が素晴らしいならば制作過程に
問題があってもいいのだろうか?

 フェアトレードという考え方がある。どんなにいい商品であっても、それが発展途上国で地元の
人々を搾取し踏みつけにして作られたものならば、それはフェア(公正)なトレード(取引)では
ないから買わないという考え方だ。制作過程はともかく内容はいいのだからとドラマを支持する
のは、途上国の人々を踏みつけにした商品だと知りながら「これ、いいじゃない」と言って買う
ようなものだ。

「敵を利する論」も「反フェアトレード論」も共通する根っこがある。政権を批判したいあまり、事実か
どうかより政権に不利になるかどうかで考えている。そして、そういうものは実は政権にとって大して
怖くはない。だって、事実じゃないのだから。権力が恐れるのは事実、「権力にとって不都合な事実」
を恐れる。それを調べ報じるのが真の記者だと、私は考える。

“なかったこと”にしようとする安倍政権を厳しく追及したのに
 東京新聞も望月衣塑子記者も、森友事件で国有地の不当値引きや公文書の改ざんを
“なかったこと”にしようとする安倍政権を厳しく追及した。ところが今や自らが不都合な事実を
“なかったこと”にしようとしている。新聞社、新聞記者としてのありようが問われる。

 赤木雅子さんの会見最後の言葉をもう一度振り返ってほしい。

「ただ会って、誤解を解いて、取材を続けてほしいって伝えたい。ただそれだけです」

 これは、手を差し伸べているのだろう。ラストチャンスではないか? 
東京新聞と望月記者は、雅子さんが差し伸べた手を握り返すだろうか? 
それとも、振りほどくのだろうか? (相澤 冬樹)