>>147
俺は敢えて極論書いたから確かに破壊→再創造というプロセスは言葉では軽くても実際は凄惨な流血を伴うことはわかっている

あくまで論点はリベラル思想の中身自体というよりは権威や深い構造を乗り越えるうえでの破壊の讃美という方法論と繊細さを欠いている点にあるわけだけど(安直なテロリズムと紙一重であるということ)
重要なのは「宇宙船や古典的な名探偵が登場するジャンル映画」の次元をどこまで現実と同一視するべきなのか?ということだと思うのよ
俺ははっきり言ってこの手のジャンル映画とはリアリズムとは別の次元にある虚構であって現代の神話や祝祭だと思うの
だから劇画的、神話的な破壊というのは許容されるのではないか?むしろそこまでインパクトあることやらないと「ジャンルに負けて」単なる没個性的な嘘で終わるのではないか?って思うの
みんな暴力はダメだって理解してる一方で新自由主義的世界観に基づく競争社会の息苦しさ、利権を享受する富裕層、差別主義者、権威、血統主義、世襲制への不満も素朴に抱いているわけ
「難しい問題だよね」って意識高く考える以前に生理的に不満があるということ

そういう不満を虚構という形で派手に解放し浄化するのもエンタメ作品、とりわけこういうジャンルの作品の役割なんじゃないのかって俺は言いたい
つまり好みの問題に還元されるのではという提言でもある