そこで例のタンクを開け、つまみはすでに手に入れてあったから(私自身、戦前のトゥーラでもあれほど太いソーセージを見たことはない。
他にも手のひらほどの厚さがあるウクライナのサーロ[豚の脂身の塩漬け]とか、チョコレートとか、干しぶどうなんかもあった)、70度の酒を150グラムくらい注いで飲み、すぐに水で口直しをしてつまみを食った。
その後、「乗車」の号令がかかり、再び前進だ。一昼夜に戦車で90キロは突っ走り、さらに敵との撃ち合いもあったんだからね。
全体として、一昼夜に8回から10回は停止するようなペースだった。その後、オーデルまで行き着いて対岸の橋頭堡へと送られたのだが、ここにもアルコールの工場があることが分かった。
友軍の兵士たちは工場を奪取し、酒を作っていると知ると、たらふく飲むわけだ。そこへドイツ軍が攻撃をかけてきて、みんなやられてしまう。
我が軍は損害を出しながらも工場を奪い返し、再び酒を飲み、工場を放棄し、またまた取り返した。
上層部にも何が起きているか見当がついたんだろう、酒の貯蔵タンクを見つけ出し、中身をみんな地面に流してしまった。
これが2月初め頃の話なんだが、雪はあんまり残っていない、住民も逃げてしまっているという状況で、牛だけが残されていてね。
牛どもがこの酒を飲み、酔っ払っていたんだそうだ。後からそんな話を聞いたよ。
2月23日は[ソ連軍の創設を祝う]記念日だったが、ジューコフはその前に命令を出していた。「橋頭堡に駐留している部隊に対しては、100グラム[のウォッカの配給]は停止される」
どうしてかって?そりゃ、自分たちで充分な量の酒を手に入れていたからさ!