御大一時はどうなるかと思ったけど元気そうで何よりだ。・゚・(ノ∀`)・゚・。


不戦の願い込めた「宇宙戦艦ヤマト」、艦長は父親がモデル…松本零士さんインタビュー

「終戦を迎えたのは、7歳の時でした。当時、母親の実家がある愛媛県の新谷(現在の大洲市)にいて、
南の宇和島の方から(米爆撃機)B29の大群が飛んでいくのを毎日のように見ていました。
機銃掃射も受けました。山を越えて急降下してくる(米戦闘機)グラマンに、田んぼ道で
『タタタン、タタタン』とね。これがものすごい。水しぶきや石が舞い上がり穴が開いていく。
ところが、まだガキだったもんですから、その後にそこに行き、弾を拾い出して、宝物にしていました」

https://www.yomiuri.co.jp/national/20200727-OYT1T50207/