悪魔払い(エクソシズム)宣言。これは、邪悪な悪魔の力に取り憑かれた人間を浄化し、
真の人間性の回復をもたらすための決意表明であり、究極の悪に対する聖戦の宣戦布告文である……
……悪魔の巧妙さは、贈り物に対価を求めないことである。人類に対し、なんの見返りも要求せずに、
念動力という恐るべき能力を付与したのは、千年先が見通せるという横長の虹彩を持った山羊の目で、人類の末路を正しく予知したからにほかならない。
力は腐敗を招き、絶対的な力は絶対的な腐敗をもたらす。これは、政治的権力に限った話ではない。
身の丈に合わない過大な力は、早晩必ずや、その持ち主を破滅させ、周囲にも多大な惨禍をもたらすのだ
……まさしく、この力自体が悪なのであり、念動力が宿ってる人間は即、悪魔、魔女とみなされなければならない。
その意味で、六世紀近く前に記された先駆的な名著である『魔女の鉄槌』の汚名は、今こそ返上されなくてはならない。
魔女狩りは、巷間喧伝されたがごとき集団的狂気の物ではなかった。
科学が未発達な時代においても、直感的に、念動力の存在と危険性を正しく認識した人々は存在したのであり、
そうした先見者たちによるサイコの悪しき種子の排除は、不幸な巻添えや濡れ衣があったにしても、全人類的観点からは、正当な行為であったといえるだろう
……したがって、悪魔の力に支配された人間に対しては、殺害、浄化して、それ以上の罪を重ねないようにする以外の選択肢はない。
そのための、きわめて有効な手段の一つが、強毒性炭疽菌、通称サイコ・バスターである。これこそ、まさに神の祝福といえるだろう。
ハレルヤ。神は、どんな時にも、我らに必要な糧をお与えになるのだ
聖粉は、かつて異教徒が政治目的のテロに利用したがごとく、封筒に入れて送ったり、ターゲットに直接噴霧することも可能である。
だが、我らが悪魔払いの聖戦においては、聖ベネディクトのメダイのような性具を用いることこそが、ふさわしい
これは、正義を行い、罪をあがなうための十字架である。悪魔の足元に叩きつければ、不活性ガスとともに封入された聖粉が飛散する。
それはたとえ千年紀(ミレニアム)を経ても復活し、極微量であっても、吸い込んだ悪魔の邪悪な死命を制すであろう。ハレルヤ……