新経済論おにゅ〜〜う     220   現代と未来社会を考える。   

 コーポレートガバナンスが叫ばれる中で、アメリカ企業が、こうも腐っていた。と思
わせる言葉であるが、日産ゴーン会長の逃走劇を思えば、さもありなんと納得だ。更に
こうした言葉が出るのには訳がある。つまり共産党中国の融資銀行団の開示拒否問題で
ある。中国を西側金融市場に入れたのは、アメリカ政府とアメリカ銀行団、更にFRB
を始めとした国際経済団体である。ところが満腹の中国市場は大手を振って、不良債権
隠しに走って、今や収拾がつかず、結局は中央政府が囲って、紙幣をドンドン刷っての
屋台骨支えを行っている。経済界のリアリストの研究論文では、冷戦期のことを、米国
とソ連という、2つの超大国の間で大きな戦争が起こらなかった。として、比較的安定
している期間として言及する。しかしながら、グローバル・サウスのレンズを通しては
、この同じ期間には、代理戦争や内政干渉、さらに治外法権や正義の破壊がそこにある
。2つの超大国は自分たちの利益を支える為、暗躍し相手を傷つけたりする紛争に介入
し、代理戦争や人間の苦しみで満たされた破壊世界を垣間見る。通常砲弾にさえ廃棄核
を使用したり、市街地絨毯爆撃と例は尽きない。欧米主流の研究では、2国問題を強調
し一般小国に触れられる事はない。又一方で、これまでと異なる主体が グローバルな
秩序と地域的秩序とに挑戦し、支持し形作る方法を探求する。非西洋的主体と非西洋的
な思考を組み込むことが重要だが、水と油である。主流の理論とポスト植民地主義国家
の文脈との関連性に疑問を呈するが、国際機関やグローバルな統治を形成する際の新興
経済国やその他のグローバル・サウス国家の歴史は、その植民地理論の延長上に、今も
ある。国際社会の役割を理論化することも重要だが、伝統的な経済理論が、グローバル
・サウスの視点に適応しない。が覆うのだ。それに代わるような新しい理論やアプロー
チが必要なのだが答えがなく、広くなされている質問に答えるにあたって、学者たちは
広い範囲にわたるさまざまな立場をとっていざなうのみなのだ。