「倶楽部ナイトインKOBE」は神戸でも指折りの高級メンバー制ナイトクラブであった。
三宮の北側に広がる歓楽街のうち、とくに不夜城たる東門筋界隈で店はひときわ偉容を誇っている。
店の前をほとんどが4ドアの高級車がひっきりなし行き交い、そこからブランドスーツに身を包んだ男たちが、
店から送迎で出てきたママやホステスに迎えられ、あるいは見送られを繰り返していた。
明石社長も古くからの会員である。店が満員であろうとも、いつ行ってもステージに近い上席に案内される、い
わばVIP扱いであった。
ステージでは歌手の川端義夫がひととおり歌い終わったところだった。
ステージから自分の贔屓筋でも大物の明石の姿をめざとく見つけ、さっそく明石と相原の席に出向き表敬の挨
拶をした。
「バタやん、いつもながらええ喉やなあ。さ、堅苦しい挨拶は抜きにしてまずは一杯いこうや」と明石は座るよう
に手招きした。気を利かせて相原は末席に移動する。明石の横に川端が恐縮するように浅く腰かけ、明石につ
いていたママがヘルプのホステスに目で合図する。ホステスはバランタイン30年のボトルをワゴンから取り上
げ、手慣れた仕草でグラスにつぎ川端の前に置いた。
「さあ乾杯や」と上機嫌の明石がグラスを上に掲げたところへ、シルクハットをかぶり黒のダボシャツに黒のジャ
ケット、ラクダの腹巻きという異様な出で立ちの、どこか少年の面影が残る若い男がふらつく足取りでやってきた。
「バタやんやんけ。わしらのとこへ来て何か歌てえな。このとおりや。最敬礼や」とニタニタ笑いながら粘っこい口
調で、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま上半身をくの字に折り曲げた拍子にハットのひさしが明石のグラス
に当たり、グラスは明石のズボンを濡らして床に落ちた。
「なにさらすんじゃい!」相原はいきり立ち、若い男の胸ぐらをつかんだ。ママやホステスは店の黒服が急いで持っ
てきたタオルをひったくるようにして明石のズボンや上着の裾を拭きだす。川端は事のなりゆきにオロオロするば
かり。
「兄ちゃん、店の迷惑や。とにかく表へ出ようや」と相原が若者を引っ張ると、若者とまったく同じナリをしたこれも
また愚連隊風の男たちがぞろぞろとやってきて「わしらの連れ、どこへさらうつもりじゃい、おっさん」といつのまに
割ったのか、割れ口が鋭い牙のように並ぶビール瓶を持っている。
明石社長が着席したまま「ニイチャンらすまんけど今日はバタやんも疲れてはるんや。今日のところはわしの顔に
免じて堪忍したってえや」と軽く頭を下げたうえに懐から長財布を取り出し、20枚ほどの万札を抜き出し「これ少
ないけど取っといてくれ、ニイチャンはニイチャンらで楽しい飲んでんか」と愛想笑いさえ浮かべた。
「社長!こいつら神友会ちゅうてこのへんじゃ鼻つまみもんのゴンタクレでっせ。そこまですることおまへんがな」
相原が血相を変えると、胸ぐらをつかんでいる相原の手を逆につかみねじ上げ、「こら、おっさん。なにがゴンタクレ
じゃい。こっちのおっさんの方が話がわかるがな。へへへ、おっさん、すんまへんなあ。ありがたく頂戴しまっさ。バ
タやんもごめんやっしゃ」
と相原を突き放し20万の金を受け取ったことで、その場はそれでおさまった。
この一件が明石社長の運転手の携帯を通じて広島入りしたばかりの岩井の耳に入ったのである。
「あほんだら!相原のボケが!そばにおりながら社長に恥かかしてなにしとったんじゃい」携帯にさんざん喚き散ら
しても尚荒い鼻息は収まらなかった。
「どうしたんよ?岩井さん」横にいた広能ゴルゴはグラスをカウンターに置いて岩井ゴルゴに向き直った。