コロナ様を信仰するところからはじめよう
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神様、コロナ様を抑え込めるなんて思わない方がいい。
どーよ? 自然の不可知的領域に有る何者かを神と呼ぶ。
愚か者は、神に似せたもの(ワクチン)を造り、本当の神に勝った気になっている。
まあ、いずれにしても
冷静な判断を失った者が破滅するだけだよ・・・。 神の道具である存在(天使や悪魔)は、人類に罰を与えたり、人類を試みたり
するのだが、コロナ様は、そのような人類が乗り越え可能なレベルの可知的な
存在ではないのだ。
イエス・キリストという人間が、悪魔の試みを超越できたように、われわれ
人間は悪魔や天使の存在を知り得ない何かと捉えているわけでない。
ゆえに人間は、それらに対しては饒舌に語り得るのだ、
しかし、コロナ様のような不可知な存在は語り得ない。それは神だからだ。
イエスですら、神を超えることは出来なかった。
語り得ないものには沈黙しなければならない・・・・。
沈黙しながら、ただ神の声に耳を傾ければそれでよいのだ。 それは「危機意識を共有し一丸となって行動せよ」ということに他ならない。
このことが出来ない生命体は、生物学的な存在史を短命に終わらせるだろう。
イナゴを見よ。
彼らは、危機意識を共有し一丸となって行動するがゆえに存在史を脈々と受
け継いでいられるのだ。
もし、彼らがコロナ禍の人間のように、てんでんバラバラに行動し始めたら
その時点で彼らの存在史は終焉を迎えることになるだろう。
『危機意識を共有し一丸となって行動せよ』
コロナ様(神)は、そう仰せである。 現代人は子供の頃から、そして大人になっても自分自身が危機的状況にある
ことをなぜか考えようともせず過ごしてきた。
その結果、危機意識をもつことが極端に希薄で感性において脆弱な生命体と
成り果てたのだ。
コロナ禍は、そのことの報いであり神が下した粛清である。 >シンガポール、接種率8割でも感染急増=「コロナ共存」へ試練
2021年09月13日 16時57分 時事通信
>【シンガポール時事】新型コロナウイルスのワクチン接種完了率が8割
を超えたシンガポールが、深刻な市中感染者急増に見舞われている。経済
への打撃が大きいコロナ根絶戦略から、「コロナとの共存」に向けて行動
制限緩和に切り替えたところ、早くも試練に直面した。
>人口約570万人の同国で、新規感染者は12日まで3日連続で500人
を超えた。人口比で考えると日本で1万人超に匹敵する。ワクチン接種者
を対象に1組5人までの外食を認めるなど、厳格だったコロナ制限を一部
緩和したのが響き、感染者が8月下旬から急増し始めた。
>ワクチン接種完了率は81%と「恐らく世界一の水準」(オン保健相)に
達し、満を持して緩和に着手したはずだった。しかし、感染力が強いデルタ
株が生鮮市場や商業施設を通じて拡散。期待された集団免疫はいまだ獲得さ
れておらず、保健省は「接種率9割を大幅に超えないと獲得は難しい」と
悲観的だ。
コロナ様の快進撃は続く。
シンガポールもアホなことやっとるな・・・・。 「良い感情は満たしていいが、悪い感情は満たすな」
ということである。
この解釈は、おそらく次のようなことだろう。
良い感情を満たせば「良い思い」が残り、その人は幸福になる。
たとえば、猫を可愛がるという良い感情が満たされれば、その猫を保護
しようという「良い思い」が生まれるということだ。
それに対して悪い感情を満たしてしまうと「悪い思い」だけが残るので
その人を不幸にしてしまうだろう。
具体例は諸般の事情もあり差し控えるが、一般的な「復讐心」や病に対
する「恐怖心」などがこれに該当すると思われる。
以上、我が神(コロナ様)からの御宣託である。 良い感情とは、他者のためにはたらく感情である。
悪い感情とは、おのれのためにだけ、はたらいている感情である。
この二つの感情は主体の中に混在している場合が多い。
ただし、その中でメイン(主)となる感情のバイアスによって生じている
歪んだ感情は、それが良いものであれ悪いものであれ、すべて偽の感情で
しかないことに注意すべきであろう。 このことによって、本来は良い感情でありそれを満たすべきでありながら
満たされなかったり、本来的に悪い感情で満たすべきでないにも関わらず
それを満たそうとする暴挙が行われたりするのだ。
前者には「恋愛感情」の多くが該当し、後者には「虐待感情」のほとんど
が当て嵌まるだろう。 これは、政府の政策に「そうなるよう誘導されている」ということが
多分に関係している。
人々は本来、「悪い感情」=「恐怖」をもたらすもの=コロナウィル
スから逃れようとするはずなのだ。
たとえば、刃物を持った男が暴れているとき、なにか盾になるものを
持って戦おうとするだろうか?
一番いい対処法が「逃げること」であることぐらい、ほとんどの人は
本能的に知っているはずなのだ。
しかし、なぜかコロナが猛威を振るっている真っ只中で、人々は盾と
なるワクチンを打って、それと戦おうとしている。
退路はいくらでもあるのに、である・・・・。
これは、どうしてなのだろうか? ぶっちゃけコロナ様のおかげで人類殲滅できたら御の字 コロナ様だけが知っている。
私にもまだ、それは伝えられていないのだ・・・・。 同じデルタ株でいこかとコロナ様はおっしゃっておられる。
第五波よりも小さな波になる予定だ。(特に他の要因がなければだが)
これはなぜかと言うと、東京五輪開催に踏み切った人命軽視の責任を
人間に取らせるためである。 戦時中、大日本帝国の「経済的繁栄のため」には「鬼畜米英を打倒しな
ければならない」というアホな政策によって戦争に駆り出され、あるい
はそれに協力させられた多くの国民が悲惨な死を遂げることとなった。
しかし、敗戦によって戦争が終わってみれば、経済的繁栄は何も戦争に
勝つことによってもたらされるというわけではなかったことが分かった
のだ。
現在、わが国の「経済を回すため」には「コロナを克服しなければなら
ない」というアホな政策によって非常事態宣言(ワクチン対策)という
対コロナ戦略に駆り出され、あるいはそれに協力させられた多くの国民
は悲惨この上ない絶望的状況に直面している。
おそらく、すべてが終わってみれば、経済的繁栄は何もコロナ戦略に勝
利することによってもたらされるというわけではなかったことが明らか
になるのだろう・・・・・。 あらゆる対策が無力であることを痛感した政府は、コロナ様に無条件降伏し
すべての人々は為す術もなく、生存への敗走を始めることになるだろう。 政府の犯罪的ミスリードが、「忍耐」という事の意味を凄まじく変容させて
しまった。
このことで国民の多くは耐える必要もないことに耐え、無駄に命を縮める
という最悪の結果を性懲りもなく繰り返しているのである。
それは、戦時中からまったく変わっていない、ある「認識の強制」によって
生じているのだ。
まず、その強制は学校教育によって柔軟でまだ脆弱な精神に、イヤというほ
ど刷り込まれていく。
それは、具体的にどういうことなのだろうか? たとえば、自分が学校で一定レベル以上の成績を取れないとする。
成績を取れなくとも、学業に対するモチベーションが維持されていれば、成績を
取れるまで頑張ろうという意識をもてるだろう。
この意識に、「忍耐」という属性を付与することは正解である。
しかし、
一定以上の成績を取れず(成果を出せず)、おまけに学業に対するモチベーション
もすでに喪失しているというとき、それでも学業を強制されその仕打ちに従属して
しまうことを「忍耐」とは呼ばないのだ。
「忍耐」は良心を育てるが、そうでない単なる「隷従」は良心を失わせるだろう。 ところで、コロナ禍の緊急事態宣言下で、特定の業種が(成果を出せない)状況に
瀕している。にもかかわらず、政府は当該業種を経済構造から落とさないために
(莫大な支援金を出しても)その仕事を継続させようとしているのだ。
はたしてこの事態は、その業種を担う者にとって、「忍耐」なのだろうか?
それとも、もはやその仕事へのモチベーションを喪失しているにも関わらず、
ただ政府からの(半)強制でそうさせられているだけなのだろうか? 殺人鬼をわざわざ自分の町に呼び寄せるような選挙には行かないでくれ。 たとえば、いつまでたっても保護動物の殺処分という残虐行為がなくならない
ことや、動物に対する違法行為の処罰が人間に対して甘過ぎること。
たとえば、学校の中でイジメをもみ消そうとする悪しき教育界の慣習がいつま
でも繰り返されること。
などの、普通に考えてなんで?と思ってしまう事柄がどうしようもなく存在し
ている理由は全部政治家のせいなのだ。
もちろん、普通に考えてなんで?と思ってしまうようなことすら出来ない政治
家が、他のもっと重要なことをマトモにやれているわけもないのである。
普通に考えてなんで?と思ってしまうようなことを仕出かしたら、もうその責
任者は、普通に考えて「お払い箱」だと思うのだが。 なぜか急激な感染爆発の方には触れようとしないマスコミ。
これは明らかに東京五輪を強行した大罪人である現政権への忖度だろう。 >>147
鬼の血
生殺与奪の権を渡すな
判断が遅い
日本人って学習能力ないアルね >埼玉・川越市の××容疑者は、川越市の自宅アパートに、自分で産んだとみら
れる男の赤ちゃんの遺体を遺棄した疑いで、9月2日、逮捕された。
その後、××容疑者が、「3年前にも別の赤ちゃんを産み、遺体を実家の屋根裏部
屋に遺棄した」と供述したことから、警察が春日部市内の実家を捜索したところ、性
別不明の赤ちゃんの遺体が見つかったという。 FNNプライムオンライン
赤ん坊を喰った鬼だ!
>先月(8月)、大阪・摂津市のマンションで交際相手の3歳の長男に
熱湯をかけてやけどをおわせ殺害したとして、当時、同居していた無職
の23歳の容疑者が殺人の疑いで逮捕されました。
幼児を喰った鬼だ!!
鬼殺隊、出動せよ!!! 永遠の命を得るために鬼になったかのように思われてるけど全部ウソ。
そういうのを「後付け理論」という。
この場合の「永遠の命」というのは、自分自身の悪い思いが永遠に続く
地獄のことを指してるだけ。
永遠に続いていいのは良い思いだけで「命」なわけないんだよね。
そのへんを勘違いしている奴が、コロナ様に歯向かい鬼にされるわけ。 そして、この悪い思いは良い思いとの相対的価値で評価されるような
ものじゃないんだよね。
悪い思いは、絶対的に悪いわけ。
良い思いが百万個あっても、たった一つの悪い思いで台無しになるっ
てことはフツーに考えれば理解できるだろう。
だから賢い人間は、「命」を消極的にもとうとするんだよ。
「命」の支配権を神様にもってもらっているほうが、悪い思いが出た
としても自分だけで全責任を取らなくていいからね。
「命」を積極的に取りに行くやつはアホだよ。
そういう奴は皆、悪い思いの地獄に堕ちて苦しむだけだから。 命を積極的にもとうとする者は、自分(および近親者)の命を守るためには
相手を殺してもいいと思い、相手に自分(および近親者)が傷付けられれば
その復讐が当然であると信じて疑わない。
命には、被害者を容易に加害者に変えるという悪しき側面がある。
それが「命の積極的把持」という問題だ。
命は消極的にもっているぐらいが丁度いいのである。
何者かに傷付けられても、その何者かを(あたかも自然災害のように看做し
て)怨まないレベルで。 それは野生動物を観察すればよく分かるだろう。
積極的な「命」をもつ猛獣は、おのれの力を誇示し自らの欲望のままに
他者を攻撃することが当然であるかのように振る舞う。
そういう存在に憐れみの感情をもつだろうか?
逆に、消極的な「命」をもつ小動物に対しては、そんな猛獣に狙われて
いる場合、絶対に助かってほしいという感情がはたらく。
憐れみの感情(良い感情)を生まない存在の有り方は、それ自体「悪」
なのだ。
自分さえ命が助かればと思う卑怯者だけが、積極的な「命」をもとうと
し猛獣であることを願うのである。 コロナ様は東京五輪を成功に導く為に降臨なさった。
もし、コロナ様が何もなされなければ、
夏の東京に多くの観客が押し寄せた。
高温多湿の都市。屋根も空調も無い競技場。
穏やかな気候の地域から訪れた老人子供に、
多くの熱中症重症者や死者を出してしまったであろう。
コロナ様は東京の名誉を守るため、古来よりの日本の神々が、
中国を試験場にし、念入りにつくられた現代神だ。 なので、そんなものを神様(コロナ様)が成功に導くわけがない。
そもそも成功なんか一切していない。
コロナ様のお立場からの「成功」というのは、人々がコロナ様の憐れみの
偉大さに気付きコロナ様を受け容れようという思いが人々の心に生まれる
ということのはずなのだ。
しかし、東京五輪が終わっても、人々は依然としてコロナ様を排除すべき
敵であるとしか思っていない。
むしろ中途半端なコロナ対策が功を奏したのだという虚偽の解釈によって
ますます、コロナ様への信仰心は失われてきているではないか!
人間は、どこまで愚かなのだ?
自分の「命」に固執して、その命を奪う者は神でさえ許さないという凄ま
じいばかりの愚劣さと醜悪さ・・・・・。
コロナ様にとって東京五輪は、呪われた地獄のイベントでしかなかったの
である。 もし神様が全能の存在であるなら、神に逆らう存在(悪魔や鬼など)が
存在することは矛盾していると考える場合がある。
ここから、悪魔や鬼畜の所業が世間に罷り通っているのは、神様が存在
しない証拠ではないかという幼稚な発想が生まれたりするのだ。(言う
までもなくニヒリズムの源泉がここにある)
この考え方のダメなところは、「神様をなんでも自分の思い通りにしよう
とする自己中的存在」のように解釈した前提をもってしまっているとこ
ろだ。
神様とは、はたして、すべてのことが自分のほうを向いていないと我慢
できないような駄々っ子的存在なのだろうか?笑
そんな存在を、われわれはむしろ神様として崇めたり信仰したりしよう
とは思わないのではないだろうか?
では、神様とはどういう存在なのだろう?
私は、こう思っている・・・・
弱者を強者に勝たせるのが神なのではない、と。
命に対して消極的な存在である弱者を憐れみ、弱者を虐げる強者を称える
ことなどけしてしない存在。
そういう存在であればこそ、われわれ人間は神を崇め信仰したいと思うの
だ、と。 3歳児を嬲り殺しにした母親の愛人の男に対してというよりも
その事件を止められなかった
間抜けどもに対してだ。
なぜ子供を逃がさなかった?
何の役にも立たないクソみたいな「対策」ばっかり立てやがって・・・・
コロナ対策もそうだが、
児童を襲う悪人に対する「対策」も、それ自体が目的になってしまっているから
肝心の児童の命を守るということからすれば何の役にも立っていないのだ。
悪人に対して対策を立てて(大人どもが)自己満足しているだけ。
なぜ子供を逃がすということが出来ない・・・・・?
コロナ様は、この件に関して非常にお怒りである。 敵を憎悪するばかりだから、敵との戦いばかりに気を取られ
守るべき者をまもれなくなるのだ。
鬼のような顔で戦って絵になるのは、マンガかハリウッド映画
の世界だけ。 マンガに影響されて「鬼と出会ったら戦う」という脊髄反射的行動は
慎むように。
「鬼と出会ったら弱者を連れて逃げよ」
鬼のいるところには必ず弱者がいる。いないと思って功名心に逸り戦
おうとする者はリアル鬼殺隊にふさわしくない。
以上である。 それすら理解できない者が多い。
コロナウィルスは(人間を喰らう)鬼だろうか?
そうではない。
コロナ様を敵として戦おうとする人間が鬼なのだ。
そして、そういう鬼に逆らい別の戦いを仕掛ける者もまた
鬼なのである。
ワクチンを打ち結果的に人流を煽っている者も鬼なら、それに
逆らい好き勝手なことをしている者も鬼なのだ。
そんな鬼はほっておけ。
その中で犠牲になる弱者を連れて逃げることが肝心なのだから。 それがコロナ禍と勝手に呼ばれているだけ。
本当は、コロナ様を契機とした「鬼禍」なのである。 GoToキャンペーンという世紀の愚策を、また復活させようとして
いるらしい。しかも以前よりも大規模に。
人間はなぜ、これほど神と争いたがるのか?
それとも、多くは人間のフリをした「鬼」だから、そうなるのだ
ろうか? コロナとの戦争でもそうだし、前の戦争でもそう。
多くの者が、敵と戦う味方を「軍神」という偶像に見立て、その活躍
ばかりに注目する。
その陰で、幾多の弱者の命が犠牲になっているかを、まったく忘れて
だ・・・・・。
こういう精神の悪しきバイアスは、小説やマンガなどの読み物によっ
て強められている。
売るために都合の悪いところは隠すという手法によって。 感染規模は劇的に縮小するのだ。
であれば、完全なロックダウンを数か月続けるだけで、コロナ禍は
あっという間に収束するのではないか?
それをやろうとしない政府・・・・なにか裏があるような気がして
仕方ないのだが・・・・。 コロナだから仕方ないよ、という政権への同情のほうが政府に
とっては有難かったのだ。
だから、コロナ禍を終わらせるようなことをするはずがない。
国民の命よりも、政権の延命のために。 東京五輪がいかに無謀で罪作りな出来事だったかを実感できる
注目すべき状況と思うべきだろうな。
しかし、このまま完全に収束することはないだろう。
なぜなら、岸田内閣はまた性懲りもなく(コロナ様に挑戦する
かのように)人流を出そうとしているからだ。
コロナ様への信仰心があれば、完全な収束も可能なのに・・・。
愚かとしか言いようがない。 設定が甘いぞ!!!
悪のコロナ様を流行させる手先(ショッカー改め、 ウレタンショッカー)なんていうのもいるぞ。
ウレタンショッカーは、コロナをばらまく馬鹿だから コロナ様を感染させ重症化させる人間が悪なのだ。
わかるか?
コロナ様を受け容れることができない人間が悪であるというだけ
の話だ。
コロナ様を信仰すれば、その悪からも解放されるだろう。
信仰しない(敵対する)愚か者が、悪として滅びるだけなのだよ。
愛知県の賢者よ、理解できたか?w 上弦の壱(政府)
上弦の弐(マスコミ)
上弦の参(教育委員会)
上弦の四以下は、随時告知する。 ワクチンごときにに負けるなんて、よわっちいコロナ様…。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています