結局これが言いたいが為にあらゆる批判、ネガキャン、人格否定というのは存在するんですね。
つまり自分で自分のまともさを確認できないものだからまともではない対象を見つけるか
レッテルを貼ることによって自分がまともであると言い聞かせる寸法なわけです。
しかしそれはあくまでも比較による推定に過ぎません、
自分のまともさを直接確認したわけではないので結局安堵できないんです。
ですからこの状況においてはですよ、ソニー信者も任天堂信者もソニーがまともであること
任天堂がまともであることよりも任天堂とソニーの両方がまともではない方が重要なんです。
ですから自分の良い所より相手の悪いところを探すでしょう?
しかし相手の悪いところがいくら発見できたとしても=自分は良い人間である
ということにはならないんですよね。ですあらこの戦いは永遠に終わらないわけです。