>>259
>>262
と合わせて読むと面白いこれも添えておこう

http://www.gpara.com/pickupnews/famimagabanashi/20110617/
 スーパーファミコンに時代が移行し、編集長としていろいろな企画などを立ちあげていたファミマガでありましたが、自分の中で危機感がありました。
ひとつは週刊に移行した「ファミ通」の台頭。そして「独占」という言葉の乱発。その気持ちを裏付けていたのが、いわゆるゲームの広報資料でした。

 ゲームの広報資料には、宣伝スケジュールなどが記載されるんですが、そこに雑誌について「ファミマガ、ファミ通などで記事・広告を展開」というのが「ファミ通・ファミマガなどで記事・広告を展開」というふうに変わってきたんですね。
自分では、そこが業界意識の変化と思っていました。
 人の意識は簡単なもので、例えば、「有名なRPG!」って名を挙げていただくと『ドラクエ』『FF』とほとんどの人が言うと思うんですよね。
その順番で実は1番、2番が決まってる。そして3番目以降は、バラバラになるんです。

 ファミマガを作っていた時代「各ジャンルのヒットゲームの席は2つしかない」というのは私の持論でした。
 数の原始的な理論で「ひとつ、ふたつ、たくさん」なんですよ。3つめの席はない。指定席は2つだけであります。

 で、まぁ、ファミマガが2つめの席に後退すると同時に「独占」という風が吹き荒れました。

 決定打は「電撃PlayStation」の存在であります。

 「PlayStation Magazine」は、全員素人のアルバイトという状態で始めた雑誌でしたが、それでもなんとか頑張っていけました。
けれど、PSの情報は「ファミ通」「電撃PS」という流れになります。ここで指定席を失った雑誌は凋落傾向になります。

 でも、そこにあったのは「独占」という交渉の嵐。攻略本まで含めてです。
枠に入らない良作ゲームは、どんどんと取りこぼされていきます。

 それでも、他の3誌は企画など立てて、頑張っておりました。私もいろいろと企画を立てて、差別化を図っていました。

 『ポポロ』(※1)、『アークザラッド』(※2)、『ときメモ』(※3)など、初期のPSの意欲作には力を割いたつもりです。

 で、まぁ、特集企画や攻略本の企画をSCEに出すのですが、それがだんだんと通らなくなる。
 けれど「ファミ通」「電撃」さらには「Vジャンプ」などには同じ企画がどんどん掲載される。
 企画に対しての返信も疎かになったころ、SCEから会食の話が来ました。

 会食のお相手は、現場の担当でしたKさんとHさん。上層部はバタバタしていてという話でしたので、そこは気にせず。

 で、SCEの前からみんなで車で移動…というときに、横の車にいらっしゃったのは「おこちゃま」コメントで名の知れた方と、某雑誌の編集長でありました。

 この瞬間に、まぁ「終わったな」と思ったのであります。
 自分がでなく、ゲームの広報って、ここまでビジネスだけになるのだな…と。

 以前いました「ぱふ」であったり、例えば映画の雑誌であったり、他の趣味雑誌であったり。
個人エンターテインメントの世界は、あくまで数千との戦いです。今でもほとんどのゲームはそこで戦っているのではないでしょうか。

 けれどゲームが絶対として目指したのは、独占だし、100万の世界だったのか…と、ガックリ来たわけですね。

 私はその分野は得意ではないので、正直、ここは自分が身を置く世界ではないと思いました。

 その後、フリーになって、いろいろな出版社とゲームとのコーディネイトを目指すんですが、そこは「儲かる」+「はず」という仮定の意識を持った方々とうまくいかず、終了してしまいました。

 かくして私は、いわゆる「ゲーム雑誌」を去り、「情報」について考える日々が続いているのであります。