なぜエポック社は任天堂になれなかったのか?
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これはエポック社を責めるんじゃなくて任天堂を褒めるべき
セガにも言えるけどこれはファミコンがあまりにも良すぎたんだわ カセットビジョンが1981年で画面全体が54×62ドットだからなあ。スプライトも無かったし。
これは、1977年の Atari VCS より性能が悪かった。
1983年には脅威の性能を誇ったファミコンが出るんだよな。
セガの SG-3000 とか MSX は1983年だけど、これらは1981年のTI-99/4Aとビデオ出力・スプライトの能力は同じで
8×8ドットまたは16×16ドット、16色中単色、一画面中に32枚・横1ラインに4枚まで同時表示可能というものだった。 任天堂は81年のアーケードですでに世界的なヒットを出していた
その時代のAC機体を家庭でほぼ再現できるファミコンをわずか三年で出して
ソフトもそれを超えていった、80年代前半の時点でソフト開発とそれを引き出すハードの企画力が違っていた 任天堂は子ども含めファミリー層狙ったからじゃないの
おそらく他は企画段階で子ども向けから脱却してない いや、ファミコンのキラーソフトは麻雀だった。
実はオヤジ層も狙っていたよ。 1984年のスーパーカセットビジョンは旧カセットビジョンとの互換性が無いのが痛かった。
ファミコンの機能を一部凌駕したスプライト機能はあったが、既に市場には大量のファミコン用ソフトがあった。 スーパーカセットビジョンの動画をようつべで確認したが、工夫すればファミコンより横に多くのスプライトを並べられるようだね。
ロンチのパンチボーイの腕はファミコンでは絶対に表現できない。ただ、普段の表示数はファミコンの方が上のようだ。 カセットビジョンはカセットの中にマイコンが入ってた方式だからな。
スーパーカセットビジョンとはもはや別物。 >>6
なんかピントがずれてるな。
ビデオゲームが一般化してない時代だ。
大人向け、子供向けなんてセグメンテーションできるほど普及してもいないし。
アーケードゲームが家庭でもできる、というのが唯一にして最大のメリットだった時代。
その当時、アーケードゲームを一番良く再現できたのがファミコンだった。 ぴゅう太のトミーもなかなか
一応ゲームに特化した廉価版は出てたんだけどマイナーなままで終わってしまった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています