真田幸せ村って何で戦国時代最強みたいな風潮なの?
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石川賢の漫画じゃ十勇士と一緒に怪物みたいな存在になってたなw 信長「光秀君ガラシャちゃん元気?」
明智「あっハイ」 相手が家康なんだからそりゃ設定盛らないと相手にならないし 江戸時代に幸村をモデルにした歌舞伎の演目が人気になったからだぞ 幸村戦国最強かね?
ポスト呂布は本田忠勝だし、いろんな意味でお館様人外扱いだし、関ヶ原世代も島津勢が持ってった感あるけど…
最後は主に首おいてけとバラン・ドバンのせい ずるいよな
本家の末裔である俺はピエール瀧にそっくり
信繁さん無双のパケやドラマじゃイケメンだもの
笑いを取りに行くとき定番ネタで使ってるけどさ・・・ >>19
スレタイで態と誤字ってレス乞食するアフィカスの定番手口っすよセンパイ 親父の敵討ちに戦国の勝者に立ち向かうのってカッコええやん
ハンニバルと似たようなもん >>22
ハンニバルってカルタゴのハンニバル・バルカ?
あれは当時の地中海世界なら最強と言われるだけの実績があるでしょ
すでに強国になっていたローマに攻め込んで、自分の領地に帰らず、本国からの支援も殆ど無し
そんな状況で何回も数で勝るローマの大軍を破って15年近くローマ領内で暴れまくったし 朧村正を藤村正って書いてたのがいて読めるけど書けないから読めないし書けないにまで落ち込んだかと思ったものだがさすがにコレは盛ってるだろ明らかに読めてるし
真田辛い村だったらマジモンだと思われたかも まさか、ゆきむらが読めなかったのか…と思ったら負け? こいつどうして秀吉が死んでも豊臣を見捨てなかったのかな?
それだけ家康が嫌いだったのかね >>32
死に場所を求めてただけ。合戦馬鹿だから。 >>32
家名を残すために東西に別れた一族だぞ
勝ち組が決まった頃に掌返すようだと勝ち組側についた兄まで含めてあの一族はどうにも信用ならん、何かあった時に味方を減らして敵を増やすだけだと判断される
負け組に付いた奴は負け確でも最後まで、勝ち組に付いた奴は親兄弟を殺してでも最後まで、こちらに付きますと決めた側に尽くしてこそ家名を残すために東西に別れた意味がある
家を保証さえすればこいつらは裏切らないし使える、と思わせられる 最後の最後に真田の男は敵ながら天晴れと思わせて、負け組についた側の役目は完了する
もはや沈むのが見えてる豊臣の船の上、どいつもこいつもやる気無しの中で浮いてるほどの異様なモチベーションは、徳川方の真田の家を守るための戦いだったからだよ
しらんけど 褒めたのは家康じゃなくて伝聞で聴いた島津家じゃなかったの ヤバイのは親父さんで幸村はどうでもいい扱い
って聞いたけど 幸せ村って何なの?
幸村を何だと思ってんだよチョン ほぼ負けが見える戦いで、負け側につくのは本人の自由だが、それに従わざる
えない家来はたまったもんじゃないな 信繁なんか最後の最後ロスタイムに延長やろって高を括ってた徳川日本に電光石火食らわせたベルギーみたいなもんやろ
ゴール外したけど >>46
一兵卒どころか軍師にもそんなもん見えてないからヘーキヘーキ 真田十勇士が白土三平の忍者漫画で大活躍してるから子供にも大人気
猿飛佐助なんて誰でも知ってる >>50
白戸三平を知ってる子供達……何十年前の子供達なんですかね? 江戸時代の頃に「真田日本一の兵(つわもの)」というネタが流行ったんだよ
十勇士と共に徳川を倒しかけた人物として 幸村が秀頼を連れて薩摩に落ち延びて
その薩摩が後に幕府転覆、現代に至り
総理会見の演台に飾られる豊臣の家紋
なんて話もあったりなかったり サスケっていう名前は忍者といえばサスケみたいに定着したな >>1
確かに、弱い敵を倒しても誇ることはできない、という理由もあるよね。
あんなに強い相手を負かしたんだ、という武勇伝のためっていうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています