【パクリだらけのジャップ】攻殻機動隊って結局ブレードランナーのパクリだよな
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1968 電気羊
1982 ブレードランナー
1984 ニューロマンサー
1989 攻殻
やっぱり近いのはニューロマンサーかなあって クローム襲撃が1982年だから、ギブスンに映画のブレランと同時期にあのビジュアルイメージがあったのは間違いない
ニューロマンサー書いてるときに映画館でブレラン見てショック受けたそうだし そして攻殻はマトリックスにパクられるんですね分かります マトリックスの監督兄弟は擬体でレズの草薙素子に憧れて性転換した 旧作にあたるアップルシードでも似通ったシナリオはあったから、どこでクロスオーバーしたんだろうな。 >>3
ニューロマンサーが近いよな
千葉に電脳都市とかあるし ブレードランナーをベースにしたのがみんな大好き小島監督のスナッチャーですお(^ω^) ブレラン出してる時点で>>1はなんだ?
ただのクソジジイだろ? ブレランのパクリって押井の映画版のことなんだろうけどいっつもどこが?っておもうね
惜しい自信が何度も見たって公言してるので影響を受けてるのは間違いないが
やってることもテーマも映像もぜんぜん違うので、映画を見る目ねえなとおもってしまう
もしただ単に都市の景観を写した長回しがとかあるから同じだとか思ってるんなら
キューブリックやタルコフスキーも「ブレラン」になるんだろうなあこいつらの中では
アジア的な都市景観=サイバーパンクという面に関して言えば、それはもう95年当時には
すでに使い古されたクリシェになっており、別にパクリでもなんでもない
むしろ押井版のオリジナリティはブレラン的な戯画化され再想像されたアジア的都市のイメージを
(ゲイシャの巨大広告とかアジア的な屋台――だが明らかに「作り物」的なイメージ)
「現実の」都市に置き換えたところだろう
ブレランのみならずジャッジ・ドレッドやトータル・リコール、あるいはそれに類するサイバーパンク的、
未来世界のイメージというのは、基本的に都市の描き方が現実社会からの延長というよりも
まったく新しい、ときに「非現実的」なものとして描かれることが多かったが
押井版攻殻は未来都市を描きながらも、あくまでこの現実社会の延長線上に未来があるように
都市を描こうとしたところに大きな発明がある(だから「空飛ぶ車」なんてのもでてこない)
ちなみに、サイバーパンクというとすぐニューロマンサーやブレードランナーの名前が上がるが
ブレードランナーが公開される前にすでに大友はアキラの連載を開始していたし
初期の士郎政宗の仕事はニューロマンサーが日本で流通するより前になされていた
攻殻がニューロマンサーの影響を受けているのは否定するまでもないが
日本のサイバーパンクの伝統が常に海外のフィクションの影響下にあった、というのは正しくない
むしろ現在に至る世界の中のサイバーパンクのイメージが形成される過程で
日本の作家は海外のフィクションと同じくらい、ひとつの源流の役割を果たしたというべきだろう そもそも士郎正宗の世界観構築が微細だった
押井守なんか映像屋に過ぎない 原作を実際に読んでいたら押井版の映像表現が原作に準拠しているなどとは到底言えないはずだがな >>21
キャラ描写に至るまでこんなのだったっけ?て思うよね
まあ渋くて嫌いでは無いけど 幻魔大戦公開当時
「こんなぶっさいネーちゃんルナ姫ちゃうわ!」→世界のオートモへ
攻殻機動隊公開当時
「こんなぶっさいネーちゃん素子ちゃうわ!」→世界のオシーへ
外人はブス専、成功したけりゃブスを描け >>23
若干ちゃうで
顔は美人という
人は多かったで
不満が多かったのは体型や 攻殻ってにわか程知識ひけらかしたがるよな
それも大体ネットソースのにわか知識だが 士郎正宗の仙術超攻殻ORIONって好きだったんだけど
あれの続編的なのってもうやんないのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています