識者「なぜ渋谷にはどうしようもない人間が集まるのかを説明します」
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何かあると、渋谷はすぐに騒乱が起こります。
ハロウィーンもW杯も、祭りと言うより暴動に近いです。
街が常に変化しているから、そこに居るだけで自分も変わったと思える街です。
だから成長する事ができない、どうしようもない人が集まりやすいのです。 渋谷にできたラーメン店が、3ヵ月後にはケバブ屋になっている事はザラだ。
パパッと作って、ササッと撤退。
街の中に即席感覚が溢れている。
ギャルの努力は、イベントでVIPルームに入るためにキバッて行くだけ。
努力は、化粧を楽しみ服を選ぶだけ。
VIPルームに入れたらゴール。
VIPルームに入れたからと言って、重要人物になれるわけではない。
ちょっとの努力で得られるのは、わずかな時間だけの優越感に過ぎない。
これもまた、即席の価値観。
渋谷に来れば、即席で自尊心を満たせる事がある。
だが、宴の後には何も残らない。
ドンキでビニールのコスチュームを買って、ハロウィンに参加。
終わったらコスチュームをバサッと捨てて帰る。
どうしようもない人たちの行動は即席ばかりでゴミが多い。 渋谷は駅を中心にして、谷底になっている。
雨が降れば道路に川ができて、水が流れてくる。
そういう土地は風水的にも悪い気が集まるというが、実際にあつまる人を見ると、そんなオカルトも現実味を帯びてくる。 無責任になって、好き放題できる街。
自分が成長しなくても、街が変化するから成長したと錯覚できる街。
そんなまやかしの街から、いつまでも抜け出せない人がいる。
若いままでいられないのに、それを受け入れられずに年齢不詳の恰好をする。
個性なんてものじゃなく、異様という表現があてはまる。
子供がタキシードなど大人の恰好をするのは愛らしいが、大人が子供の恰好をするのは気持ちが悪い。 渋谷のハロウィンを現代の尺度で見るから、意味が分からず “若者” の迷惑行為と安直に結論づけてしまう。
正しく理解しないから、行政は適切な対応をできないでいる。
渋谷のハロウィンは、東京一極集中に怒る地方民の土一揆だ。
怒りの群衆だから車をひっくり返したり、破壊行為をして街を蹂躙する。
ハロウィン騒動の象徴的な事件で逮捕された四人は
静岡県・福島県・山梨県・川崎市の民だ。
川崎市は別格なので、こういうニギニギしい事件の時は神奈川県ではなく川崎市で看板を張れる。
内2名は東京在住だが、上京して長くても2年以内なので心は地方にある。
東京は江戸時代から地方出身者によって発展した街だから、地方と言うのに嘲りの意味はない。
裸一貫で上京して、立身出世を果たすストーリーで東京は成り立っている。
ここで “地方” を強調するのは、そこに東京まで土一揆に出張るエネルギーが詰まっているからだ。
例えば山梨県の者は八王子の関所を突破して、渋谷まで打ちこわしに攻めあがってきたことになる。 それよりなぜ岡山にどうしようもないキチガイが集まるのか説明してくれ 自分の人生のストーリーが上手く回らない若者は、何かに原因を求める。
その象徴として君臨するのが東京だ。
地方でうっくつとした生活をしている者は、東京に出れば何かが変わるのに、出られない状況に憤まんやるかたない思いを抱いている。
上京しても人生が変わらない者は、東京の裏切りに憤る。
この憤怒が土一揆のうねりとなる。
では、彼らはなぜ狂ったように渋谷を目指すのだろうか?
それは、地方には未だに『渋谷が東京のてっぺんだ』という情報が間違って伝わっているからだ。
1970年代にパルコ・109が出来て、渋谷に若者の足が向いた。
渋谷は使いにくい地形だったので、周辺は尖った感性の個人店が進出する余地があったので、多様な文化を発信する若者の街になった。
だが渋谷のブランドが確立すると、感性の鈍い大人たちに支配されて、今はつまらないチェーン店街に成り下がっている。
だから土一揆ハロウィンの民は、『渋谷には何もなかった・・・』
という事を悟り、虚しく自分の人生を反映したようなゴミの山を築くだけで終わる。
彼らはゴールが無いからズルズルと徘徊してしまうので、行政は米俵を積んだ土蔵をスクランブル交差点に設営すればいい。
ハロウィン一揆の民が打ち壊して、米俵を担ぎ出してフィナーレを迎える。 誰かの発言ならリンク貼ればいいし、お前の意見なら識者じゃなくて自分と書け ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています