スタンドバイミーみたいなゲームがやりたいよな。ないもんかね
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少年時代 旅 線路
ゲームでノスタルジーを出すのは無理なのかね。 つれぇわ
とか
言えたじゃねーか
とか
そんなセリフが出てくるゲームをやればいいよ^^ 金ローにすぐに影響されんじゃねーよ
この前はバックトゥザフューチャーでも似たスレ立てたな、お前 FF15って曲使ってるだけじゃねーか?
男4人で旅してるくらいしか もっと懐かしいってのを極めた感じのゲームつくっれ欲しい。 男の子が四人、線路の上を歩いてる…僕ももう行かなきゃ! FF15てマジで浅いよな
安直にスタンドバイミーを流すセンスよ FF15でスタンド・バイ・ミーが流れた時サブイボでた
気持ち悪くて >>11
俺はいい歳した大人がマリオとかのゴミゲー遊んでるって知ったときが一番キモいと思ったがな
しかもそういう奴らが大人向け本格ゲームを何故か馬鹿にしてるというw 大人になったあと主人公以外は
務所出たり入ったりとか殺されたりで胸糞エンドだよな スタンドバイミーって別に中身なくね
悪ガキどもが線路歩いて辿り着いた先に死体があったというヤマナシオチなしの映画を曲で誤魔化してるだけやんけ 思えば遠くに来たもんだ的なロードムービー系といえばラスアス1もそうだが、
流石にそれ以外の要素が違いすぎるしな。 イベント発生!
「俺は死なねぇ!」
汽車の前で仁王立ちする張飛を撃破せよ! >>11
>>12
そんな演出あるんだ
聞いただけで引いちゃうなw ブラザーズやればいいんじゃないか?
左アナログで兄、右アナログで弟を操作して旅をする
https://youtu.be/0OU5L6xMDso >>22
イマイチな日常から死体を見つけて注目されたい為に出かけた話だな 死体があるという噂を聞いてそれを探しに行く話だろあれ
OW系のクエストなら似たのありそうじゃね?
依頼:人探し
○○在住の少年が行方不明
当該地域で命を落としたという噂があるので調査してほしい
・生存・死亡の確認をして報告
・当人の状態によって報酬に変更はなし
・死亡の場合、亡骸の運搬は不要
みたいな >>30
子供らしい子供が現実の世界で冒険して成長する話って無いよね
大人から見て都合の良い子供や大人が考える子供らしい子供が活躍するファンタジックな話ばかり >>11
どメジャー過ぎて普通は恥ずかしいから避けるもんな >>16
え?もしかしてFF15が君の言う大人向け本格ゲームなの? 金も遊びも少ないハナタレ小僧が冒険するからノスタルジーになってるのに
黒ずくめのノムリッシュホストファミリー(貴族王族)が黒い高級車を手押ししてるところにスタンド・バイ・ミー曲使ってるのが滑稽だよね
知的障害のスクウェア・エニックス信者や脳死が良いじゃんwって擁護してるけど本質が理解出来てない侮辱行為 スタンド・バイ・ミーって作者のスティーブン・キングの実体験に脚色した話なんじゃないの
主人公も作家だし
ミザリーみたくそう言う設定が好きなだけかもしれんけど >>33
子供らしい子供が現実世界を冒険すると
能力が低いからやれることが少なくて
ゲームとして面白くしにくいと思うんだよね
ファンタジー要素が無い場合
子供が冒険に出た場合結末として殆どが
側溝や川に落ちて死亡エンドか野生動物に襲われて死亡エンドにしかならないよ 水溜まりにハマったらヒルだらけ、のシーンはトラウマ
>>20
リバー・フェニックスは本当に若くして死んじまったな‥ 探索型インディーゲーにいっぱいあるだろよく言えばセンチメンタル悪く言えばちょい鬱ってやつ >>40
コアゲーマーだ
低性能では遊べない本格ゲームを知ってる マザーは1のがスタンド・バイ・ミーっぽいよな
2はSF強めでドリームキャッチャーっぽい ↑
悪くない
スタンド・バイ・ミーは名作だけど
グーニーズのアホさも好き ジュブナイルという意味ではガイア幻想記とかな
最近のゲームはあんまり思い浮かばないな 何人か挙げてるけどやっぱマーヴェラスはいいよね
あとソロ冒険気味だけど はじまりの森 も良い(チラッと線路も出てたはず) やっぱ少ないよな
マザー1.2.3とポケモン赤とマーヴェラス
は、やってるけど。この中ではマーヴェラスが一番スタンドバイミーっぽいかな。 まるっきりファンタジーな世界観になっちゃうけど
オウルボーイもかなり良かったよねスタンドバイミー感タップリ
>>55
スタンドバイミーくらいの規模感ってかボリュームの物語
丁度いい塩梅にゲームじゃ作り辛いのかもしれんね
少年(少女)が旅に出て成長するって話ならイッパイあるけど話の規模がどうしてもデカクなっちゃう
グランディアとか エターナルアルカディアとか >>32
ブレア・ウィッチのストーリーが少し似てるかも
序盤だけで最後は別モンだけど ストレンジャーシングス3
ドラマ観てるの前提だけど >>45
>>>40
>コアゲーマーだ
>低性能では遊べない本格ゲームを知ってる
自称コアゲーマーwww なんかな
マザー + ぼくの夏休み + マーヴェラス + グランディア
みたいなゲームが欲しいわ。 ライフイズストレンジだな
世界観はまあ違うけど、明らかにスタンドバイミーにインスパイアされたシーンもあるし 少ないよな。狙い目だと思うけどな。
90年代の小学生を再現したゲームとか出たらおっさん達
買いまくると思うんだけど。 マザー1は広大なマップで冒険してる感があった
2以降はトンネルとかで小さめ箱庭マップを切り替えてるのがわかるからあまり冒険感は無い マザー1の大人にはたいした事のない狭い地域でも
子供だから広く感じて冒険してる感が良かったのに
2はUFO見たいな乗り物であちこち行ってガッカリしたな
2はシステム面は良くなってるから
あとどせいさんも好き
システムを2や3で1をリメイクして欲しい ショートハイクいいよー
今後出るやつだと クレしんのオラ夏に期待
>>1の挙げてる3つのキーワードには
えりかとさとるの夢冒険も条件揃ってるけど アレはなんか違う気がする(どこか黒い) >>4
それおんなさんが作ったエセスタンドバイミー
ホストバイミーやん >>22
人は全て変わるという諸行無常な哲学を語る映画
中身がないと感じるのは頭空っぽだから 個人的にはショーシャンクの空にのようなゲーム出して欲しいな。 FF15を過小評価してるのはゲハだけで世界は評価してんだよな が演じたことも話題となった)。
映画版では、モーガン・フリーマン演じるレッドが、無罪を主張し脱獄したアンディとメキシコで再会して幕を閉じる。だが小説版では、レッドはアンディを追いかけてメキシコへ向かうが、「希望を失ってはいけない」というメッセージが打ち出されるだけで物語は幕を閉じる。レッドがアンディと再会できたかどうかは分からず、希望が叶うことではなく、「希望を持つこと」それ自体の重要性を強調して物語を閉じるのだ。ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、味わい深い余韻を残し、読者を次の物語に案内する導入部分となるのが「希望の春」だ。 「ゴールデンボーイ」の救いのなさ
刑務所に収監された中年男性たちが主人公になる「刑務所のリタ・ヘイワース」に対して、「ゴールデンボーイ——転落の夏」は、少年野球チームのエースで勉強もよくできるゴールデンボーイ=エリート少年を主人公にした作品だ。映画版も小説版も、英題は「Apt Pupil」、つまり「優等生」という意味のタイトルである。
優等生だったトッド少年はナチスが働いた残虐行為の研究に熱中していく。近所に住む老人・デンカーがナチスの残党であると知ったトッドは、デンカーの弱みを握り、ナチス時代の残虐行為を話して聞かせるよう強要する。映画版では、後に「X-MEN」シリーズでマグニートを演じるイアン・マッケランがデンカーを演じた。「X-MEN」のマグニートはユダヤ系という設定だが、イアン・マッケランは『ゴールデンボーイ』ではナチスの残党を演じていたのだ。
さて、「ゴールデンボーイ」における原作と映画版の最も大きな違いは、やはりそのエンディングである。映画版では、トッドは彼の狂気に気づいた教師を脅し、自身の身を守ることに成功する。小説版では、トッドは逃げ切れなくなり、銃の乱射事件を起こした末に死亡する。どちらも非常に後味の悪いエンディングだ。映画版では“少年による銃乱射”というシーンを挿入することは困難だったのだろうが、“大人を脅して逃げ切る”という映画版のエンディングは、トッドをより邪悪な存在に仕立てあげることになった。
『恐怖の四季』という作品の流れで考えると、中年の服役者達が希望を見つける「刑務所のリタ・ヘイワース」に続いて登場するストーリーが、エリート少年が転落していく夢も希望もない「ゴールデンボーイ」なのだ。人間の美しい部分とおぞましい部分を読者に突きつけながら、『恐怖の四季』は「秋の目覚め」に突入する。 「スタンド・バイ・ミー」が突きつけた現実
秋の作品に該当する「スタンド・バイ・ミー」は、名作ジュブナイル映画『スタンド・バイ・ミー』として生まれ変わったが、原題は「死体」を意味する「The Body」。4人の少年たちが30キロ先の森の奥にあるという死体を探す旅に出る。映画『スタンド・バイ・ミー』では表現がマイルドになっているが、4人の少年はそれぞれネグレクトや直接的な暴力など、程度の差はあれ家族から虐待を受けている子ども達だ。似た境遇の仲間同士、冒険を通して特別な絆を紡ぎ出していく。
「スタンド・バイ・ミー」もやはり、映画と小説でエンディングが異なる。少年期に起きる事件自体はほとんど同じ流れなのだが、4人の子ども達のその後は大きく異なる。映画版では1人が逮捕、1人が死亡という結果だが、小説版では主人公のゴーディを除く3人全員が死亡している。生き残ったゴーディは大人になり、作家として成功する。映画版では、ゴーディと共に苦しい境遇を抜け出しながらも、その正義感ゆえに亡くなったクリスに想いを寄せるシーンで幕を閉じる。
だが、実は小説版のラストには、故郷に戻ったゴーディが大人になったいじめっ子のエースを見かけるシーンが挿入される。中年男性になったエースが酒場に入っていく様子が描かれるのだが、ゴーディだけがこの街、この境遇から抜け出せたことを強く印象付けるシーンとなっている。主人公のゴーディは努力の結果、幸せな人生を掴み取るのだが、亡くなった3人の仲間とかつてゴーディがいた世界で今も生き続けるエースの存在が、物語にやり切れなさを残す。 「マンハッタンの奇譚クラブ」で描かれた強さと優しさ
最後に収録された「マンハッタンの奇譚クラブ——冬の物語」は、会員達が話を聞かせ合うマンハッタンのクラブでのお話。原題はそこで語られるストーリーの内容をとって「呼吸法」を意味する「The Breathing Method」となっている。1930年代を舞台に、世間からの強い風あたりの中で、非嫡出子を産むと決意したシングルマザーの物語だ。
彼女の出産が近づいた頃、病院に向かうタクシーが交通事故を起こし、彼女の首と胴体は切断されてしまう。それでも、彼女は出産を支援してくれた医師に教わった呼吸法を忘れていなかった。彼女は首と胴体がない状態で子どもを出産し、身寄りがない彼女のために医師と看護婦は彼女の埋葬代を負担した。この物語でも、善意の人々に助けられながらも母親は死んでしまう。だがその子どもは生き延び、母のように強い気持ちを持った大学教授に育つという結末だ。
なお、首と胴体がバラバラになった状態での出産シーンがメインとなっているせいか、「マンハッタンの奇譚クラブ」は長らく映像化されることはなかった。だが、2012年にブラムハウス・プロダクションと『ドクター・ストレンジ』(2016)の監督として知られるスコット・デリクソンが同作の映画化を目指しているとの報道がなされている。これが実現すれば、4作品を収録した中編集で全作品が実写映画化されることになる。
もちろん、それはそれで快挙なのだが、やはり注目すべきは『恐怖の四季』に収録された作品が、いずれも社会のグロテスクさや人間の脆さ、そしてその対極にある強さと優しさを複雑に交差させた物語だという点だ。様々な属性のキャラクターを登場させ、勧善懲悪でもない完全なハッピーエンドでもバッドエンドでもない物語の中を読者に歩ませることで、各作品の副題にも採用されている人間の「希望」や「堕落」を描き出している。 >>76がなぜか切れた
「刑務所のリタ・ヘイワース」が提示した“希望”
『ショーシャンクの空に』として映画化された「刑務所のリタ・ヘイワース」の原題は、「Rita Hayworth and Shawshank Redemption」。「リタ・ヘイワースとショーシャンクの贖い」という意味のタイトルだ。「希望の春」がテーマになったこの作品は、映画版と小説版ではエンディングが異なっている(なお、原作ではアイルランド系の主人公レッドを黒人のモーガン・フリーマンが演じたことも話題となった)。
スティーヴン・キングの名著『恐怖の四季』を読むことで、『ショーシャンクの空に』『ゴールデンボーイ』『スタンド・バイ・ミー』という一本一本の映画を観るだけでは感じることのできないメッセージや、一冊の本としての味わい深さを知ることができるのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています