高畑勲「なんで千尋は豚の中に自分の両親がいない事を見抜けたんだよ。おかしいだろそれよぉ!」
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「なぜ、千尋が両親を見分けることができたのか」という問い
https://bunshun.jp/articles/-/7454?page=3
高畑は自らの映画を説明する際に「思いやり」「思い入れ」という言葉をよく使った。
高畑自身が目指したのは「思いやり」の演出だった。場面全体を見渡せる「引き」や俯瞰のショットを多用し、
主人公だけではなく、他の様々な登場人物の抱える事情や、感情の動きを明確に見せる。
それによって、主人公の立ち位置を相対化し、「自分だけではなく、他人の立場を思いやれる」境地へと観客を導こうとする。
『母をたずねて三千里』で、「母を求める主人公・マルコ」の傍らに、
「母に裏切られたヒロイン・フィオリーナ」を置いたのは、その典型例だ。
一方、高畑によれば、日本の多くのアニメーション映画は、観客を作品世界に巻き込むため、
主人公だけに徹底的に「思い入れ」させる技法を発達させた。一見、観客と同じような凡人が非凡な力を発揮する。
ここで高畑の言う「思い入れ」作品の典型例が、宮崎の代表作『千と千尋の神隠し』であることは、高畑自身が明言している。
無気力な少女・千尋は異世界に放り込まれるや、別人のように精力的に動き始め、大冒険をする。
そして、最後は豚に変えられた父母を見分ける試練を課されるが、
即座に「ここにはお父さんもお母さんもいない」と答え、「大当たりぃ!」と絶賛されるのだ。
高畑は問う。「なぜ、千尋が両親を見分けることができたのか」と。その理由は、作中では一切明示されない。
観客は千尋と共に冒険を繰り広げる内に、自然と「千尋(私)ならそれぐらい見分けられて当たり前」と思い込まされる。
それは、観客から「自分自身を突き放して客観的に観察する」視点を奪うことに他ならない。
宮崎自身、『千と千尋の神隠し』の制作中には「こんな絵コンテを描いたら、パクさん(高畑)に叱られる」とぼやき続けていたという。
多くの人々が現実世界で「自分の主観からだけしか世界を観察せず、他者の視点を思いやれず、
善悪を単純に判断している」ことが、様々な社会的対立や戦争を助長している。
高畑の価値基準に照らせば、宮崎の映画は、他人の立場を思いやれない『思い入れ人間』を増やし、
現実社会をより愚かにすることに手を貸していることになりかねないのだ。 ああいうものだ、こういうものだという決めつけはそもそも考えを縛るんじゃないのかね。
作家は作品を出したら、あとは客に全てを委ねれば良い。 両親はあの世界に来てなかっただけ
豚になった奴は千尋が見た幻想 ゲハ全く関係ないスレだけどこれは見てて「??」なった 狸合戦はめちゃくちゃ面白くて泣けたけどかぐや姫は正直よくわかんなかった >>5
それってあなたの(ry
じゃなくて更新の見解なん?
煽りとかじゃなくてほんとに知らんから聞くけど 千と千尋の終盤ってもうノリだな
見る方も理解できなくてもなんとなくノリで楽してるアニメ 千尋は一瞬でも豚になった両親の姿を一度は見てるんだからその時に特徴を記憶していたとしても何ら不思議ではないのでは? >>9
まあそうなんだよね
あれこれ考えてる暇ないいうかそれだと子供楽しめないし
でも急にハクが昔溺れた川の精だか神様だか言われても「???」なるよね 愛人多数いるでぶが解説していたが
吐く=皮でおぼれた線の兄貴(その後神様になった)
そのでぶでも何故ちひろにラストの問いが分かったかは分からんかったのか解説はなかったな
まぁ話の流れ的に さぁ帰れるぞ!って時のあの場で「ではこの豚を両親に戻そう」なんて流れになるとは思えん
良心が「うわー!なんだこいつらはー!」と混乱する状況を納める一幕が必要になり時間が掛かる
あの場に居なくて「さぁ急ぐんだ」が一番無難な流れだろう >>13
千尋「あなたの名前はコハク川」
ハク「千尋!ありがとう!」
千尋「私の名前はニギハヤミコハクヌシ!」
ハク「ニギハヤミ...?」
千尋「ニギハヤミコハクヌシ!」
ハク「すごい名前、神様みたい!」
ここ、初見で頭ポカーンってなったわ 多くの人々が現実世界で「自分の主観からだけしか世界を観察せず、他者の視点を思いやれず、
善悪を単純に判断している」ことが、様々な社会的対立や戦争を助長している。
これ駿のことじゃん モヒカンみたいな髪型になった豚がいないのですぐ分かるだろう イメージ先行で絵(シーン)を作って後からシナリオで糊付けの制作方法でなぜか大当りしたから調子乗ってポニョとハウルも同じ作り方したんだよな
ポニョもハウルもシナリオはマジでヤバい、まだ千と千尋がマシに感じるレベルだもん ジョースター家も家族の繋がりをなんとなくの
感覚で感じてるからいいんじゃない 作品はすばらしいが 興行的には失敗しかしないあんたの為だろうにw
高畑はテレビアニメだけにしとけばいいものを
そんな事も分らんのか ハクの正体は色々考察されてるが
そもそも駿が「全部描かなくても頭で考えりゃわかるだろ」精神の持ち主だから 子供の時に見た大人の怖さを今でも覚えている
豚になる両親
この中から両親を探せとと言われたのに本当はいなかったという大人の企み
大人になって観てもこのシーンは鳥肌が立つ >>1
あれは何を言っても正解だった可能性ある
ババアも千尋を認めてたし
それでも儀式は必要だよって言ってたし
途中で龍をハクと見抜いたり
見た目では無く人の本質を見抜く目が育ち始めてたから
そもそもあの豚はあの住民達が変身させられてたし
ネズミに変えられたぼっちゃも見てたしね
もう一つは
姉妹の銭婆が千尋に幸運のお守りとして髪留めのヒモを渡してる
その効果は劇中では言ってないが
ただのヒモなわけは無い
この物語は
駿が大好きな知り合いの幼女に
伝えたかった冒険絵本なんだよ
ルイスキャロルがアリスに贈った物語と同じ
カオナシは駿の1番醜い部分 千尋が異世界で揉まれて一つ"大人になった"と言うのをババアの嘘を即座に見破る事で表現してるんよね
正解にたどり着いた敬意を説明すると
千尋はババアと過ごしていく上でコイツがどんな性格な奴なのか理解していた
少なくとも当てずっぽうでも1%以上の確率で正解にたどり着けるような優しい問題を出す性格では無いという事を
問題の本質は、人が狼狽して悩み苦しむ様をババアが眺めるだけの舞台装置だと気が付いたから
そこに正解など最初から無いインチキ問題だと見抜いた
同時にババアからしたら嘘を見抜いてしまうような人間を手元においても楽しめないから、千尋を解放したんよね
カイジなら1巻使ってやるような心理戦からの正解への到達を、一瞬で終わらせたって訳よ
まぁ高畑勲ごときじゃ読み取れないわなw 3時間を越える作品になるところだったのを無理に短くしたから強引な展開と描写不足がいくつもある >>5
これもだが
苦い玉みたいなご都合主義ツールも興ざめした
思考停止して観る作品なんだろうね >>3
こういうフレーズで信者の脳内補完に頼ることが
興業的成功なんだから業界が終わってるわ 豚になった時点で親としての機能を果たせなくなったから切り捨てたんだろ
自分で殺しておいて「ここには誰もいなかった」と言ってるのと同じノリで やれやれ…
いかにもババアが考えそうな浅知恵だぜ
↓承太郎が一言 窓から大きな黒猫が入ってきて
ドラえもんが何とかしてくれると思った
死刑にしてくれてありがとう^^ >>36
高畑勲がプロデューサーをやったのがラピュタまでだからな
それ以降は明確に作品の格が落ちるね よりパヤオが自分らしさを出したのがラピュタ以降ってこと?
ニワカって言われるかも知れないけど自分はもののけ以降が好きだなあ
ナウシカとラピュタはアニメや漫画感が強いけど、もののけ以降は映画感が強いってこないだ友達に話したら「逆じゃね?」って言われた
感性って人の数程あってええなー 理詰め重視の高畑に感性を大事にする宮崎
その違いなだけどっちが下とか上はねぇ
高畑はあの理屈屋の押井を対談で黙らせる位理屈っぽいからなぁ 言うて高畑勲って岡田斗司夫やヤマカンと同じタイプの人種なんだけどねw
岡田斗司夫は庵野に逃げられた時点でアニメーターとしては終わった
ヤマカンも京アニや有名スタッフに寄生できなくなった時点で終わった
高畑勲は宮崎駿に逃げられた後も駿が育てたスタジオを使う事ができたから失脚せずに済んだ人
それでも最近は高畑勲の下では仕事したくないって連中が増えてきてアニメ監督として詰んでる状況
ジブリスタジオ設立で一番特をしたのは高畑勲なんよね、本来ならヤマカンコースのオッサンな人だしコイツは
宮崎駿が現場で誰よりも遅く残って仕事するタイプの責任者なら、高畑勲は週に1〜2回だけ会社に顔を出してダメ出しだけして帰るタイプの責任者 ラスト以前にも豚になって豚舎に居る両親を見に来るシーンがあっただろ
そこで覚えておいたからってだけだろうに >>38
ナウシカは漫画版の一部を映画にしただけだな
そのナウシカの焼き直しがもののけ姫なわけだけど
もののけ姫の方が映画として独立してる感じはあるかもしれない >>40
最近っていつの話してんだ?
人生が終わった人間に対して詰んでるもクソもないだろ というのも、高畑監督と宮崎監督はお互いを強く信頼し合ったパートナーであり、
ふたりの強い絆を表すエピソードは枚挙に暇がないからだ。
ふたりの巨匠を支えてきた鈴木敏夫プロデューサーは「宮さんはじつはただひとりの観客を意識して、映画を作っている。
宮崎駿がいちばん作品を見せたいのは高畑勲」と断言したこともあるほどだ。
宮崎監督自身もインタビューで「宮崎さんは夢を見るんですか?」という問いに、
「見ますよ。でもぼくの夢はひとつしかない、いつも登場人物は高畑さんです」と答えたことがある。 『風の谷のナウシカ』の映画化の際、宮崎が鈴木に出した条件は「高畑勲にプロデューサーをやってもらいたい」ということだった。
だが、肝心の高畑は首を縦に振らず、鈴木は2週間も高畑のもとに通い詰めるハメに。
そんなある日、鈴木は高畑から大学ノートを一冊手渡されるのだが、そこには映画や演劇のプロデューサー論がびっしりと書かれてあったという。
そして最後の一行は「だから、ぼくはプロデューサーに向いていない」。.(略)
これに大きなショックを受けたのは無論、宮崎である。酒を口にしないはずの宮崎が「鈴木さん、お酒を飲みに行こう」と誘い出したという。
〈飲み屋に行ったら、宮さん、日本酒をガブ飲みするんですよね。ぼくはもうびっくりしました。それまでぼくが見たことのない宮崎駿です。
それで酔っぱらったんでしょう、気がついたら泣いているんです。涙が止まらないんですよ。(中略)そして、ポツンと言ったんです。
「おれは」と言い出すから、何を言うかと思ったら、「高畑勲に自分の全青春を捧げた。何も返してもらっていない」。
これには驚かされました。ぼくも言葉が出ないし、それ以上は聞かなかった〉(鈴木敏夫『仕事道楽』より引用)
全青春を捧げたのに──。まるで昭和の女が男に捨てられたかのような台詞だ。
結局、宮崎の落ち込みの深さを見てしまった鈴木が
「宮さんがここまでほしいと言っているんですよ。友人が困っているのに、あなたは力を貸さないんですか」と高畑に大声で怒鳴り、
「はあ、すいません。わかりました」と高畑は渋々プロデューサーを引き受けたらしい。 >>38
ナウシカよりあとだ
もののけあたりから説明もなくわけわからないことが起こって
エンディングへと向かうような「映像作品」になる
キャッチコピーに反して
専門家からは映像作品として評価され、ストーリーやメッセージ性はゼロ評価になる >>40
>それでも最近は高畑勲の下では仕事したくないって連中が増えてきてアニメ監督として詰んでる状況
おじいちゃんいつのソース引っ張りだしたんだ
ずいぶん前に高畑は死んだぞパヤオが葬式で涙流したことも知らんか >>45
高畑は理屈がいい
パヤオは理屈がクソで感性や表現に優れている
得手不得手が逆だからスムーズには行かないけど共作がいちばん出来がいいんだね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています