コンピュータゲームの歴史は、他のさまざまな文化と比べると、まだ歴史が浅い方かもしれません。
ですが、その短い歩みのなかだけでも、すでに少なくない方々が名を残しながらこの世を去りました。
岩田聡氏も、惜しまれつつ見送られたひとりです。

社長になっても持ち続けた開発者精神

今から7年前の2015年7月11日に、当時任天堂の代表取締役社長を務めていた岩田聡氏が亡くなりました。
かつて32歳という若さでハル研究所の社長に就任し、会社が抱えていた15億円の負債を6年で返済。
また任天堂の社長時代には、「ニンテンドーDS/3DS」や「Wii」などでゲーム業界を大きく盛り上げ、確かな業績を積み上げました。

「Wii U」の伸び悩みなどから数字的に厳しい局面もありましたが、2015年3月には任天堂IPを用いたスマートデバイス向けアプリの展開や、新たなゲームハード「Nintendo Switch」(当時の仮称はNX)の開発を明かすなど、状況を打破する新たな動きにも意欲的に取り組んでいました。
こうした挑戦が大きな成功と業績の回復に繋がったことは、後の結果を見ても明らかです。

しかし、2015年に発表した展開の成果を見届けることなく、今からちょうど7年前に岩田氏は死去。
ゲーム業界に偉大な功績を残した人物の訃報を前に、ゲームを愛する多くの方々が力なくうなだれました。

ハル研究所の再建に尽力し、任天堂を13年も背負い続けた岩田氏。こうした活躍が今も語り継がれているため、社長としてのイメージが色濃い方も多いことでしょう。
ですが岩田氏はプログラマーとしての手腕も大変優れており、また開発者精神は社長になった後も根強く持ち続けていました。

「──名刺のうえでは、わたしは社長です。
 頭のなかでは、わたしはゲーム開発者」

自身について、そんな言葉も残している岩田氏。そこで今回は、社長ではなく名プログラマー・岩田聡の逸話をふたつほど紹介したいと思います。

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