私たちは普通、共通の宇宙に生まれて、共通の時間を生きていると思っています。
ところがそうではありません。
実はそれと全く反対に、一人一人の世界に生きていると仏教では教えられています。
それは、一人一人の過去の行いが異なり、
その過去の業を蓄えている一人一人の阿頼耶識が生みだした
自分の世界に生きているからです。

仏教では、私たちの心を8つに分けて、「八識」と教えられています。
1.眼識(げんしき) 2.耳識(にしき) 3.鼻識(びしき)4.舌識(ぜっしき)5.身識(しんしき)
6.意識(いしき) 7.末那識(まなしき) 8.阿頼耶識(あらやしき) の8つです。

上の五つはいわゆる五感というものですね。
これら5つの心は「前五識(ぜんごしき)」といわれます。
前五識は、色々感じることができるのですが、記憶したり、考えたりすることはできません。
そこで、「意識」の登場です。

「意識」は、前五識を統制して、記憶したり、判断したり
考えたり、命令したりする心です。

ところが、私たちは、頭で分かっていても
「分かっちゃいるけどやめられない」
ということがあります。

何かより強い力で動かされているのです。

それより深いところに、
末那識と阿頼耶識があります。