【Netflix】ロスト・ドーター/The Lost Daughter【オリヴィア・コールマン ダコタ・ジョンソン エド・ハリス】
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海辺の町を訪れたひとりの女性。近くの別荘に滞在する若い母親の姿を目で追ううちに自らの過去の記憶がよみがえり、穏やかな休暇に不穏な空気が漂い始める。
オリヴィア・コールマンを主演に迎え、ヴェネツィア国際映画祭で脚本賞に輝いた、マギー・ギレンホールの監督デビュー作。
監督
マギー・ギレンホール
脚本
マギー・ギレンホール
出演者
オリヴィア・コールマン
ジェシー・バックリー
ダコタ・ジョンソン
エド・ハリス
ピーター・サースガード
ポール・メスカル
オリヴァー・ジャクソン=コーエン
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) これまではあまり思わなかったが
この映画のなかのダコタ・ジョンソンはお父さんそっくりだな ダコタジョンソンはエロ美人で大好きなので
今から見てみる >>27
ネトフリ作品はあまり感想が書かれないから
filmaksで色々と感想が書かれているから
見るといいよ
映画『ロスト・ドーター』の感想・レビュー [389件]
https://filmarks.com/movies/98895 最後の二人の対峙で思わず言ってしまったあのセリフは
追い込まれた母親の人はけっこう思うだろうなあ
自分の母親のことを考えてしまう
未就学児ぐらいの子供の演技ってどうやって指導してんだろね
叩くのとかけっこう強くやってるように見えたけどw 心理劇だからね
>>30
お870件までレビュが増えている
みんな見てんだな ネタバレ注意
娘ふたりは健在で関係もこじれてないというラストは主人公が死ぬ間際に見てる幻想なのかなとも思った >>35
最初の方で娘の居所を答えられないところを見るとそうかなという気はしますね。 そこ気になってた
海辺に倒れ込んで、それ以降の映像は。。 となると電話で楽しそうに会話してるのも。。になる 疑い出すとキリがないというか、ほぼ全部疑わしくなりますよね。
周りの人がやたら好意的で「若い。美人だ」とか言うのも違和感ありましたし。
冒頭に倒れるシーンがありましたし、マルホランド・ドライブのパターンもありえるのかも。 個人的にはドントルックアップよりこっちの方が好きだなあ
まあ短くいえば子育ては後悔の連続で誰しも完璧には程遠いと
年末年始はオリジナル作品はそれなりにやっぱいいの来るね 母親としての悩みと葛藤を描く映画『ロスト・ドーター』が残す「謎」と深い余韻
https://www.newsweekjapan.jp/amp/stories/woman/2022/02/post-634.php?page=1
2022年2月3日(木)10時49分
<母性に対して女が抱く違和感や葛藤を掘り下げた映画『ロスト・ドーター』を、原作と共に解き明かす>
イタリアの作家エレナ・フェッランテは2018年に英ガーディアン紙に寄せたエッセーで、自分の小説を女性が映画化するなら原作に縛られないでほしいと書いた。
「私が作った檻から出てはいけないと、女性の監督には言いたくない。私たちはずっと男が作った檻に閉じ込められてきた。その檻が壊れつつある今、女の芸術家は完全に自律しなければならない」
となれば、フェッランテの06年の小説を映画化するに当たって脚本・監督のマギー・ギレンホールは、存分に脚色してもいいとのお墨付きを得たようなもの。だがネットフリックスで配信中の『ロスト・ドーター』はかなり原作に忠実で、だからこそ両者の相違が面白い
(以下、ネタバレあり)。 物語の「脱イタリア化」という脚色
あらましは原作に沿っている。ヒロインのレダは大学教授で離婚歴があり、成人した娘が2人いる。
ある日、休暇先のビーチで日光浴をしていたレダは、大所帯の家族連れに場所を譲れと迫られ、その中の幼い娘を連れた若い女ニーナ(ダコタ・ジョンソン)に目を奪われる。母娘を観察し、やがてその人生に関わるレダの来し方を映画は解き明かしていく。
現在においても回想シーンでも、レダが寝床で見つける虫などのディテールを含め、原作の見せ場が再現される。だが全体を大きく変える脚色が1つある。舞台や登場人物の「脱イタリア化」だ。
小説の舞台は南イタリアの海辺の町。レダもニーナの一家もナポリの出身で、時に地域ごとの文化の違いが緊張を生む。レダには、故郷を捨てて洗練されたフィレンツェでの生活を選んだ背景がある。だから子育てと不倫の恋に悩むニーナには同情するが、その不作法な家族は過去を思い出させる迷惑な存在だ。 片や、映画の舞台はギリシャ。レダ(現在をオリビア・コールマン、若き日をジェシー・バックリーが演じる)はイギリス人で、アメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジに住んでいる。専門も英文学ではなく比較文学だ。
平和なバカンスを乱す一家はナポリ人ではなく、ギリシャ系のアメリカ人。海辺の町の住人も英語圏の出身に設定し直されて地元の若者ジーノはアイルランド人の学生ウィル(ポール・メスカル)に、レダが滞在している貸家の管理人ジョバンニはライル(エド・ハリス)に変わった。
イタリアを舞台にイタリア人が織り成す物語は、映画版では旅行者と移住者の物語になる。レダとニーナはイタリア人でなくなったばかりか民族的背景も異なるため、母親であることに対する2人の葛藤がより普遍的な悩みとして浮かび上がる。 違いはほかにもある。最も目立つのはニーナの夫トニの描き方だ。小説では「30歳から40歳のずんぐりした男」で「太鼓腹に傷痕が走っている」が、映画のトニはスリムでハンサム。モデルの顔も持つオリバー・ジャクソンコーエンが演じている。
語り口も変化した。小説はレダの一人称で彼女の視点から語られるが、映画はナレーションを使わず、コールマンの演技で心の動きを伝える。
また、レダは小説よりもおしゃべりで、胸のサイズの話など原作では心の中のつぶやきだったエピソードを、口に出して語る(小説のレダは若い頃は大きかった胸が子供を産んで小さくなったと述懐するが、映画では逆。これはコールマンの豊満な体形に合わせたのかもしれない)。
一方、レダの名前はそのままだし、ゼウスが白鳥に変身してスパルタ王妃のレダを強姦するギリシャ神話の逸話と、これを題材としたW・B・イエーツの詩にも言及される。男は好き勝手をしても罰を受けず、その陰で女、特に母親が苦しむのはイタリアでもイギリスでも変わらない。 ヒロインは死んだのか?
結末は解釈が分かれるだろう。レダは激高したニーナに、帽子を留めるハットピンで腹を刺される。そのまま車を運転して事故を起こし、傷口から血を流しながら転げるように砂浜に出て、娘たちに電話をかける。
安否を気遣う2人にレダは「生きてるわ」と答える。そして話を続けながらどこからともなくオレンジを出し、かつて幼い娘にしてみせたようにその皮をくるくると「ヘビのように」むく。レダは既に死んでいるのだろうか。
この場面、小説では砂浜ではなくレダの部屋で展開するが、曖昧さでは劣らない。該当部分を読んでみよう。
「私はそろそろとソファに腰を下ろした......脇腹を貫いたピンは無害なのか。テーブルの帽子に目をやり、肌にこびりついた血を見た。日が暮れていた。私は立ち上がって明かりをつけた......荷造りを終えて、着替え......髪を整えた。電話が鳴った。 発信者はマルタ。うれしくなって電話に出た。マルタとビアンカが前もって練習したかのように声を合わせ......耳元で陽気に叫ぶ。『ママ、なんで電話をくれないの? 生きてるか死んでるかくらい教えてよ』。心を深く動かされて私はつぶやいた。『死んでるわ。でも元気よ』」
「生きてるわ」と「死んでるわ」。言葉は反対だが、曖昧さは残る。レダは若いニーナに、夫を裏切り子供を捨てた過去の自分を重ねた。だがニーナはレダをピンで刺し、同じ道を選ぶことを拒む。
若き日の自分に負わされたレダの傷は癒えるのか。それとも命取りになるのか。
小説も映画も同じ謎を残して幕を閉じる。 雰囲気がどよーんとしてるせいで重く捉えがちだけどこの映画そんなに深刻じゃないからあんまり気にしなくていいよ
せっかくのヴァカンスに来たのに隣にヤクザの家族がいて踏んだり蹴ったりだよ
あと女性版ミッドライフクライシス
メソメソしてるのはそのせい
そんだけ >>35
そういう映画に慣れてるせいで読んじゃう癖が付いてるのかもしれないけどそこまで考えなくていい
あの人逞しいからあんなんじゃ死なない 母性ないのは仕方ないが
なら産むなという感想しかない
産んで母性ない母に育てられる娘と
疲弊する女なら間違いなく前者が悲劇で守るべき存在
その母を肯定してはないが、でも否定出来ないよね?
という本音は肯定したい周りくどさがイライラする
映画作りはうまいが、この母性批判に乗っかれば
ネグレクトや虐待への消極的肯定になるだろ?
同じく母性なき母への人間味も入れた誰も知らないと似て非なるもの
監督というかフェミはもう少し何を言ってるかを整理して欲しいわ
肯定し難い人々を肯定しかねない
ただ女を捨てれず子を持ち、母にれない女と対峙して母になる結末に見えなくもないが このけったいな映画嫌いじゃないけど子供産まなかった女はどんな顔して見ればいいの キャリアも子育ても100パーできるってことはないし
そこには常に後悔がつきまとう、ってだけでしょこの話 >>50
子ども産まなくてよかった、と思いながらみる