記事抜粋
これまで、私の体験と元兵士たちの記録をたどって、ニューギニア戦線の実相を描いてきました。
それは、勇戦敢闘したある兵士の物語ではなく、飢えて野垂れ死にしなければならなかった大勢の兵士たちの実態です。
重ねて強調しておきますが、これはニューギニアに限りません。
太平洋戦争戦域各地に共通していたことなのです。
二百数十万人に達する戦没者の大多数が、本国から遠く離れて、同じような運命をたどらされたのでした。
この酷いとも凄惨とも、喩えようのない最期を若者たちに強いたことを、戦後の日本人の大多数は、知らないまま過ごしてきました。
この事実を知らずに、靖国問題についていくら議論をしても虚しいばかりだと私は思います。
この思いが、人生の終末を生きている私に、この原稿を執筆させる動機を与えたのです。
戦後、とりわけバブル景気華やかだったころ、数多くの戦友会によって頻繁に行われた慰霊祭の祭文に、不思議に共通していた言葉がありました。
「あなた方の尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか安らかにお眠りください」
飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要因があったのでしょうか。
怒り狂った死者たちの叫び声が、聞こえて来るようです。
そんな理由付けは、生き残った者を慰める役割を果たしても、反省へはつながりません。逆に正当化に資するだけです。
実際、そうなってしまいました。
なぜあれだけ夥(おびただ)しい兵士たちが、戦場に上陸するやいなや補給を断たれ、飢え死にしなければならなかったのか、その事実こそが検証されねばならなかったのです。
兵士たちはアメリカを始めとする連合軍に対してではなく、無謀で拙劣きわまりない戦略、戦術を強いた大本営参謀をこそ、恨みに怨んで死んでいったのです。
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/10141900/?all=1