ゲームで育ってきた人の作ったゲームはつまらないのは、ゲーム性がないからではないかな? [無断転載禁止]©2ch.net
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ゲームで育ってきた人の作ったゲームはつまらないのは、ゲームで育ってきた人の作ったゲームはゲーム性がないからではないかな?
ではないかな
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VIPQ2_EXTDAT: none:none:1000:512:----: EXT was configured オワコンがオワコンになったのはオワコンになる運命だったからであろう つまらないは日本企業だけ
WOWで育ってきた人はウィッチャー3を作った お前ら日本語出来ねえなぁ
日本人ではないからかな? 簡単にクリアされたら悔しいじゃないですか
これがある限り面白いゲームにはなりえない
クリアされて当然、そこからどう遊んでもらうかを考えられる人が良いゲームを作ることができる アンダーテイル原作者はMOTHERと東方で育ってるけどな ここは>>1を無視しながら、日本のゲーム業界には何が必要かを語り合うスレです 上から目線で語るやつがゲーム性なんて定義が曖昧すぎる言葉を平気でつかってれば説得力が違うな 今コンシューマ作りたいなんていう20代がいたとしてもろにムービーばっかりのPS世代だった人だろ
色々厳しいんじゃない? 他のゲームがそうだったからと思考停止で仕様を真似るバカが多いから
どうしてそういう仕様になったのか考え直さないと 幼稚園児のお遊戯を作っている人がゲームを作ろうとしたら、面白いゲームができる
ゲームで遊んだ人が作ると面白いゲームを作れない ゲームを作るっていうのは人間との対話だから
人間をどう脅かしてやろうかって気持ちでないと作れない
面白いゲームを作ろうとすると
人間を見ていないから一本道で全然ゲームにならない ゲームだけで育ってきた人、
ゲームとアニメだけで育ってきた人
このあたりの引き出しの狭い人が作るモンがつまらないだけだと思う
ゲーム作りだけじゃなくコンテンツの作成ってそういうの凄く大きい >>23
それ以前に作ろうとする物の段階から違ってる
ゲームで遊んでゲームを作ろうとする人の作った作品は、はっきり言ってゲーム部分なんてどうでもいいと思ってるから
コンピュータゲームを作りたい人のゲームは、「何かすごいものを作りたい」ってだけ
ゲームで遊んでないゲームを作りたい人っていうのは遊びを作りたい
迷路とか作って人に解いてもらうのが好きな人の作ったゲームはちゃんとしたゲーム コンピュータゲームを作りたい人っていうのは
「CGで美麗なキャラや景色を作りたい」「現実の物理現象を再現したい」
「ストーリを作りたい」
「すごいプログラムを作りたいって人」
どの人間も現実世界のように行動して感情を持っていて…
本当のゲームを作りたい人の作りたいゲームっていうのは
プレイヤーの挙動を気にしてる
プレイヤーがこういう行動をとったらどう返してやろうか
どういう結果を返してやろうか?
普通だったら見逃してしまうここに秘密を隠して見事見つけ出したらご褒美
何をしたらどう分岐するようにしてやろうか
バッドエンドを回避するために必要な条件をどこに隠してやろうか
ムービーや特別なイベントをどこに隠そうか?
すべて人間を見て作ってる ゲームとは関係のない部分に力を注いで、ゲーム部分はないのと同じだから
延々と作者の作った芸術を見るだけの内容になる てか受けてるゲームのほとんどがゲーム性のないもんばかりやん 洋ゲーとかだと世界を創造したいって欲望が強いようにも思うな
仮想世界を生み出したい本物の様な嘘をつきたいって感じだ
その路線もまた正しい 基本ゲーム作りに求められるものっていうのは
「ゴールまでの道のりをどうするか?」
そういう部分が完全に前提がないから 前提がないというか最初にゲーム目的が伝えられてないものはゲームじゃない ゲームっていうのは目的を達成する遊びだから
その基本からおかしい 何をするか分からないから指示を受けるって構図がそもそも間違い
魔王を討伐するなり、家から外に出るなり、ゴールを目指すなり
最初にその前提がないと 幼少期からゲームで遊んできたが、それ以外の遊びの経験が少ないんだろ
コンピュータ上で再現された仮想の遊びしか知らないんだから人間としての幅が狭いんだろうな 今の「ゲームが作りたい人」は目標にするゲームやお手本があるから
そこが壁になってブレイクスルー起こせないのかもね
自分で設定した壁を越えられるのなんてどのジャンルでも一握りだから
ゲームなんか作りたかぁねーんだけど
ゲーム部門に回されたからいっちょおもしれーもん作ってやるか
みたいな人の方が既存の方に縛られなくてワンチャンある、みたいな
まあワンチャンあるだけで平均点とったら赤点になりそうだけどな ゲームが好きな人はスポーツとか理不尽すぎてやってられんからな
でも今どきは多種多様なゲームがあるわけだしゲーム中心でも幅が狭いとは思わん
延々とソシャゲやらオンゲやってる廃人みたいなやつが問題なんだろう ただ、ゲームで育ってきた人が今のゲームを作ってるんだとしたら
べつに今のゲーム面白くねーってわけじゃないけどな
昔も今も、面白いゲームは面白い 前スレ1000まで読んだけど、結局長文兄貴が何が言いたいのか良くわからなった… >>29
そういうのはすごいプログラムとかすごいシミュレータ
ゲームに入れない方がよい 斬新なゲームを思い付く人がいても
なかなか企画が通らないってのもあると思うよ
やっぱりある程度売らなきゃいけないから売れ線から外すのが怖い そもそも斬新なゲームを考える必要がない
普通のゲームを作ればいい ゲームってなんだろう
エンディングに全員が辿り着ける必要はあるんだろうか
長時間のプレイを求めてるんだろうか
一般人はプレイ中の5分や10分が楽しいほうが大事なんではなかろうか おまえらみたいな自称ゲームファンとか
「ゲームの本質とはシナリオや演出だ!」とか
トンチンカンなこと平気で言いやがるからな ゴールに入れるため
手を使ってはいけない
→頭と胸と足を使おう
=サッカー
城に入るための手段を探して
北に行けば山にぶつかって進めない
西は関所で通れない
→今行ける東だけで先に進むための手段を見つけよう
=非一本道
ゲームとはこういう
一本道ゲームはその逆算
鍵をとるために東の塔へ行け
先に東へ行けという答えが来て、後はその通りたどらされるだけ 目的のないゲームでさまよっててもつまらない
やる事を命令されるだけでもつまらない こういうスレって昔からあるが、大抵は「自分の嫌いなゲームのクリエイターの雰囲気」を語るだけだよな わけわからん日本語の割にはまともっぽく語ってるスレだと思ったけど、IDすらないのかよ 数人のプログラマーがキーボード叩いて作る時代と違うからな
大きなチームで利益を出すビジネスとして作る時代
たとえ若手がチャレンジングなゲームを作ろうとしてもプロデューサー(笑)に
「どんな判断だ?金ドブに捨てる気か?」
なんて言われたら新しいゲームなんか出てこないよ 新しいゲームなど作る必要ない
普通のゲームを作ろう むしろ分からずにチャレンジした結果がつまらないゲームではないかな? フリーローミングとか全部チャレンジした結果の産物
でも多数の人はちゃんとした普通のゲームを求めてるからつまらないという ゲームで育ってきた人の作ったゲームを遊んだことがない
というかどれがそれに該当するのかわからない ゲームだけで育ってきた人とか皆無だろ。
せっかく作れる立場になったのだから好きなように作ればいいだけじゃん。 いろんなことができるゲームはゲームやってきた人が作ったゲームだと思って間違いないよ
あとは難易度高かったりするのも 戦略性が足りないゲームはつまらない。
どんな行為も結果をランダムにすればゲームになると思ってるクズ開発者はほんとに今死んで。 ゲスト 1時間前 #5
クソグラwww今更ドット絵やってる旧人類wwww
このチープなのが任天堂にはお似合いwww
switchのソフトなんでこの路線で叩いていきましょう OpenWorldなゲームはいろいろな事ができるけど
何もできない
開発者目線でいろいろできる事を用意するけど
プレイヤーからしてみればそんなものは何の役にも立たない プレイヤーの求めてるのは無意味に置物を破壊したり、無意味に人間を攻撃できる自由ではない
ものを壊そうと叩けば割れる
で?何?
何の意味もない やり過ぎると詰将棋になるがね
ガチャが好まれてる現状を考慮すれば結果が固定すぎるのも嫌がられると思うよ
人と差が生まれることによる優越感はとんでもない娯楽だから >>61
そういう人はゲーム作成に向いていないって事じゃないかな
向いている人は、「園児向けにゲームを作って園児と戯れるのが好きな人」とか
「人をだますのが好きな人」
「人間を観察するのが好きな人」
向いていないのは、「プログラミングを使ってすごい事をやりたい人」
「世界観を作りこみたい人」
「壮大なお話を書きたい人」
今集まってきてる人はこういう層
根本的に向きが違ってるゲーム向きじゃない 現出するシチュエーションの数自体が膨大になれば「同じ解き方」もめったに出ないし、
もともとゲームに確率が導入されてるのはゲーム内では再現されない差異の解決策なわけで
そろそろもっと限定的な使われ方に引っ込むべきだと思うんだよ。 それは好まれるのかね?
人が嵌り流行るものは昔からギャンブルだろ どちらかというとみんなに「同じ解き方」をしてもらうのが本来のゲーム製作の基本的な思考回路
一つの家から外に出る時
窓から出てもいいじゃん、扉から出てもいいじゃん、ベランダから出てもいいじゃん
これをすべて作って満足っていうのが今の人の思考回路
でもゲーム制作的な思考回路っていうのは逆
窓と扉とベランダがついている
窓と扉から出た場合は失格、ベランダから外に出た場合にのみゴールが与えられる
これがゲーム的なゲーム
みんなこの部分が欠如してる事に対してつまらないと不満
もっと複雑にするとただベランダから出てもダメ
お鍋のふたを開けて、キッチンの電気を消してからベランダから出るという点順を実行した場合にのみゴールとか
その手順を発見するためのヒントをどこに隠して織り込むか 要するに作り手の言う答えに強制するのがゲームの基本的な思考回路
いろんな答え、プレイヤーの自分の答えを否定するのがゲーム >>73
お前のいう最高のゲームはQTEだよ
指定時間内に指定のキーを押せ
究極のゲームはすでに実現していた
良かったな 言葉遊びになってる気がしないでもないけど、
実体験の乏しさがゲームのつまらなさに反映してるのではないか?という意見には同意
お前ら本当にビデオゲーム作りたいのかよ?
版権稼ぎのマネーゲームしたいだけだろ?と思うときは多々ある
例えば、グラフィッカーに資料一つ与えて模写させる「だけ」なのと
実際に公園なんかに出向いてどうなってるか?を観察させるのまでやるのとでは、
完成度が違ってくると思う
開発費と実利、ある程度余裕が出来たら社員旅行に連れて行くなり
釣り手にもう少し心の余裕を持たせてやって欲しい この人の言う通りゲームを作るとQTEになる
そこで少し知能の進化した開発者はこう考えた
これだとつまらないな
そうだ、4つのキーの中から正しい操作を選ばせることにしよう
かくしてQTE開発者は自由度の概念を獲得したのであった 何をやってもいいんじゃゲームにならない
向こう岸までジャンプで渡る時
高い位置だけど向こう岸までの距離の遠い足場
向こう岸までの距離が近いけど低い高さの足場
どっちを選べば向こう岸まで渡れるか
一方は落とし穴に落ちる
自分の頭で推理して正しい選択をすれば向こう岸に渡れる
こういうのがゲーム性
開発者の言う正しいやり方に到達するのがゲームの基本 サルから進化したゲーム開発者
大発明QTEに対して最低限度の自由度の概念を獲得
彼の旅路は長い ゲームとはプレイヤーの「自分のやり方」を否定するところから始まる
プレイヤーがこれがいい→そのまんまゴール
これじゃゲームにも何にもならない
そこを分かっていないから「自由度の高いゲーム」なんてゲームを作ってしまってる
主人公は南の町まで行きたい
でも南の町とこことの間には関所が設置されていて、通れない
そこで遠回りして西から回り込もうとすると山にぶつかり行き止まり
それじゃと東から回ろうとすると、強敵がいて今のレベルじゃ到底進めない
そこで関所を通るための手段を探す
王様が病に苦しんでいる
薬草を手に入れる事ができれば関所を通るのに必要な手形を発行してもらえそうだ
プレイヤーの自分のやり方をすべて否定するところから始まる、開発者の自分のやり方を発見すればやっと進む事を開発者に許される
誰もが通れる訳ではない狭き門
例外としてさらに難しいやり方や、普通だったら見落とすような部分に開発者の隠したものを発見すれば
別の道、近道を許されたり
そういう構造のがゲーム なんでお前って自分の方が知能が高いと思ってんの?www 実体験からの驚きや感動は必要不可欠
感覚で実感が伴ったものは頭であれこれ考えたものより有能
面白かったという結果をゲームに反映させるんだ
そりゃゲームも面白い 今の和ゲー作りの中核はPS以降期前後のゲームバブル世代だぞ
裏方がゲームクリエーターって呼ばれ出してメディアにも露出してチヤホヤされて
子供の将来なりたい職業にゲームクリエーターだかゲームプログラマーが入ってた時代
雑誌でスクエアかセガの幹部が視野の狭いゲームおたくは取りません
色々な事をして下さいって
ゲームはおたくが作る物だと思ってたから覚えてる サッカー
ゴールまで球を運ぶには、球を手で持って、邪魔する人間を押し倒して進むのが一番いい
手を使えるようにすべき、敵を殴れるようにすべき、これが今の人の思考回路
本来の思考回路
ゴールに球を入れるゲームを作りたい
手を使ったら簡単に入れられてゲームにならない
手を使ったら反則にする
敵プレイヤーを殴ったら反則にする
プレイヤーに都合のいい簡単に進める自由を剥奪する事でゲームは成り立つ
ゴールに近い選手にパスすれば簡単にゴールできる、それも否定
それらの条件を潜り抜けてゴールまでこれたものに点数は入る
ゲームとはプレイヤーを審判の決めたルール以外通さない事で成り立つ
もともとルールがなければ人は自由
ルールを作るという事は一つ一つできる事を制限して削る事
ゲーム作りとはできない事、やってはいけない事を一つ一つ作りこむ事
それを崩すからつまらないただ○を押し続けるだけの内容になる
根本的な事を今の人は分かってない
プレイヤーのやりたい事をできるようにする
ではそこで何をやれというのか
出来る事(プレイヤーだったら自分がやりたい事)を作る
プレイヤー出身の開発者の自己満足でしかない
開発者のやりたい事をやって何か楽しいのか? プレイヤーのやりたい事をできるようにするって結局○をただ押してるだけにしかならない
ただ前進する以外やる事ない 日本の戦後の発展は、パクリを超えるものを開発できる技術力
多くのゲームを経験して、いい要素を集めて集大成として開発できる能力は必要、 長文書いてる人の言う本物のゲームって面白くない ちょっと想像してみたら分かる
なんと言うかちょっと古いと言うか10年以上前に開発者たちがとっくに通過してしまった表現方法を
ゲーム性だと終着点であったと勘違いしてる 能動的なゲームと受動的なゲームってのが長文兄貴には理解できていない
ある程度レールに沿って楽しむ方が楽しめる人もいるってこと
それに合わせることができないものはたんなる押し付けに過ぎない。
押し付けはゲームではない ゲーム>インタラクティブムービー>ムービー
このインタラクティブムービーが丁度いいって人もいるんだな ゲームってのは「こうあるべきだ」の概念ではなく
そのゲームのルールを知らない素人に対してどうアプローチするか、そのセンスで面白いかそうでないかが決まる
つまりまぁセンスと経験の問題っすね >>89
10年前どころか何千年も前にできた
大昔に作ったものを現代人が勝手に変えて脱線 >>93
任天堂は割とお前の言うようなゲームをそのまま出してんじゃね
ゼルダなんかは、たまにはそうじゃないものをやってみましたって感じで
それでもほこらの一つ一つなんかはお前の言うゲームになってる >>92
ゲームってのは先に必ずルールを理解してから遊ぶもの
上を押すと北へ進み下を押すと南に進む 長文君は自室の骨董品と文化遺産を最新型のゲーム機に交換しなよ >>90
ゲームとは能動的でないと成り立たない
プレイヤーが何も選択や判断を必要とされないのはゲームにならない
ゲームに対して受け身でいなきゃいけないなら大多数はつまらないという むしろゲームで育ってきた人間だったらもっとゲームゲームしたゲームを作りそうじゃない?
増えてるのはどちらかと言うと映画みたいなゲームだもんな
これは多分ゲームが好きな人がゲーム作ってるんじゃなくて
映画監督とかをやりたいけどイマイチ映画業界で芽が出なかった人がゲーム業界に流れ込んで来てるからではないか?
要は小島監督的パターン >>1
クリエーターの作るゲームも、売れたゲームのパクリが大半なんですが VRって大した事ない
ゲームってものがゲームを楽しむものからただの一過性の体験性に変えられているから
そこが原因 単純に俺らがゲームやりすぎて満足できなくなってるだけ >>102
それだけじゃないだろ。実際売り上げ下がってるしな。ゲーム新規層にも売れてないって事や >>98
映画みたいなゲームというのと自由度の高いというゲームが作られていてそのどちらにもゲーム的な要素はない 上を押すと北へ進み下を押すと南に進む中でどうやったら魔王の場所まで到達できるかな
そう把握した上でどういう選択をすればいいかなと遊ぶのがゲーム ゲームを通して日常では絶対に体験出来ない世界を楽しむって路線は悪くないだろ
出来ないが出来るって最高じゃないか 映画型を忌み嫌う理由が分からん
自由度の高いゲームにはゲーム性が無いとするのであれば、そのゲーム性は
必要でも必須でも無かったって事だよ 映画的なゲームもそれはそれでいいとは思うんだが
PS2時代位からあまり発展はしてないよな。そりゃあ見た目とかは綺麗になってるけど・・・
例えば昔出たLDゲームの発展系みたいなのは作れないかね?
プレイヤーの行動によって全然ストーリーが違ったりしてさ。エンディングも全く変わってくると言う
エンディング70種類とか。今の技術でガチで作ったら面白そうな気がするが・・・
物凄く手間がかかりそうだがw 対戦ゲームばっかりやってる奴の作ったゲームとかアクションばっかりやってる奴のゲームは面白くなりそうだがRPGばっかりやった奴のゲームは絶対最悪 >>106
ゲーム性がなければゲームではない
ゲームでないのでゲームを通してないし
日常では絶対に体験出来ない世界っていうのがどういうものなのか >>103
売上下がるとかどこの世界線での話だよ
ゲームという括りでなら昔以上に伸びてるぞ 世界全体で撃って伸ばしてるだけだから実質は落ちてる >>110
目標に対する能動的な選択ってほぼすべてのゲームに存在するもので
勿論オープンワールドにも存在しているんじゃないのか? 漫画しか読んでない人の漫画がつまらんのと同じだな
もっと他の知識を取り入れないと駄目 オタクがゲーム作ると凝りすぎてどんどん複雑で難しいシステムになってくイメージはある ゲームで育ったかとかそんなのより
プレイする側、ルールを知らない奴がどう動くかを想定して
それに対応するような作りが出来る、考えられるような奴じゃないと面白いゲームはできないよ
受け手を意識してないオナニー作品は良作たりえない。ゲーム以外でも同じこと。 >>116
まあシューティングゲームがそれに近い事になったしな ここの奴らって人には視野が狭いとかオナニーすんなとか言ってる癖に
他から何かを学ぼうという発想はないし、俺の言ってることが絶対正しいの
スタンス崩さねーし、人を批判してる奴が一番クズだったりするんだな >>119
それは「人を批判してる」事に入らない訳?w >>114
ゲームに必要な条件は、ゲーム側から達成すべき目的を与えられ
それに対して能動的にプレイヤーは行動し
プレイヤーの能動的な選択に対してゲーム側から目的と対比された結果判定を返す事 有能な奴に来て欲しければ地方公務員より待遇を良くしなさい >>123
PS1だったか2の頃でまだまだ好調だった頃のスクウェアが凄い条件で人材募集掛けてなかったか?
確かゲーム雑誌にそう言う広告が載ってたから覚えてるよ
しかしその後スクウェアがそんなものすごい名作作ったという覚えもないから、あまり意味は無いかもしれない・・・ >>122
オープンワールドでもそれらの条件は備えているけどなあ
達成すべき目標を選択しプレーヤーは目標へ接近し目標を撃破して報酬を経験値を得る >>125
二つ条件が足りない
一つ目は目的
ゲームっていうのは最初から目指す目的が決まった状態で始まる
「魔王を倒す事」「手札を先に捨てる事」「ゴール地点へ到達する事」
始まった瞬間何を目指したらいいのか分からないのは目的がない
次にないのはプレイヤーの能動的な選択に対してゲーム側から目的と対比された結果判定を返されてない
魔王の城へ向かおうと進んだ結果山や関所にぶつかるという結果を返される
手形を持たず関所に入ると追い返されるという結果
密室から外に出たいので窓を調べたら、引きずり込まれゲームオーバーという結果
目的に対して近づけたのか失敗だったのか自分の選択が審判される
それを乗り越えて目的に到達するのが面白さ かまいたちの夜1は我孫子武丸と言うミステリー作家が脚本と監修を行った名作である
我孫子さんは続編の2でも一応参加してるものの、割合は多くなく2でのメインは田中と牧野って人の担当になった
その結果、分岐も大して無く、たまに申し訳程度にネタ的なバッドエンドが入るクソゲーに変質してしまった
この田中って人はこう語ってたそうだ「分岐ってギャグの事だと思ってたw」
そう。ゲームを知らない人がゲームを作ってもそれはそれでダメって事だ・・・ プレーヤーがどんな選択をしてもゲーム側が答えを返さないので暖簾に腕押し
独り相撲状態 好きな依頼を受けました
好きな場所へ行きました
好きなものを壊しました
メインの依頼を受け実行しました
これに何の価値が? >>127
知るべきなのはゲーム
TVゲームやコンピュータゲームで育った人は正直どうかと
ゲームというものを理解してないと 知識も知恵も経験も体験も、人の優しさも醜さも、
何かを失う喪失感や無情感も、
何かを得られる快感も、全ては現実世界に存在するものだ
それを仮想空間で単純化してどう体験させるか
あるいはその反対に、現実世界ではあり得ないことを空想してそれを形にするか。
いずれにせよ、現実世界を知らなきゃ表現できないものだ >>126
オープンワールドでも目指す目標はストーリーに於いて明示されている事の方が
多いんじゃないか?キャラクターが近くの村へ寄ってみようと提案する事すらある
目指す目標は明示されてる
結果判定もなされることは多いだろ それは時間差がある事もあるが
キャラクターが盤上から取り除かれる或いは盤上に残る事が出来ると言った形で
これも一種の目的に対する審判結果だろ >>132
そういう要素とは全然関係がない
ゲームとは人間
人間をどうするかって部分
どう行き止まりにするか?どう失格にするか?
どこにゴールに進むための鍵を隠すか?
どういう作り方をすれば人間は迷いそしてゴールへ到達できるか >>133
目的というのはゲーム外で示されないといけない
要するにゲームを始める前からプレイヤーには理解されている
状態で開始する
ゲーム内で言い渡される目的というのは指示、指図、命令
こういうのが出るとプレイヤーの自由な選択権が否定されるからやらされてると感じる
中途の目的を何度も告げられると非常に束縛間を感じる
はじめる前にゲーム目的を提示されたら後はゲーム内に入ったらもう後は完全に行動権はプレイヤーに渡される
完全にプレイヤーの判断だけで選択行動をとる事を要求される
そこでどこに行けという命令を受けるのはプレイヤーがプレイ権を行使しようとしたら茶々入れられてるのと同じ
結果とはその目的に対しての結果
プレイヤーが目的を達成するためにプレイ権を行使して、窓を開けました
そうしたら手が出てきて引きずり込まれゲームオーバー、失格
目的に対しての失格、目的に対してプレイヤーのプレイは失格と判定された
プレイヤーは作り手の提示する条件をすべて満たしてゴール地点にきました合格
ゲームではプレイヤーがプレイ権を行使した場合直ちに速やかにその結果判定はなされる
それはすべてのプレイングに対して実は行う事で、何も起きないというのは何も起きないという中立な結果を審判が返しただけ
全ての行動が監視されて査定されている前提
一つ一つのプレイは目的に対してプラスに働いたのかマイナスに働いたのか 人間をどうするかは>>132が指摘しているけど
良心や葛藤を揺さぶるのも含まれてるよ ゲームは人間なんだろ
血塗れ男爵とか屑過ぎて嫌になるけど助けたかった これもゲームだ で、ここで偉そうに語ってる連中の中にゲームクリエイターはいんの?w 今のゲームは最初に目的は提示されないけど
中途の目的は大量に提示されるから命令を聞いてるだけ 大抵、そのジャンルのお約束を知ってる前提で異常に難易度が高いか、いきなりエンドコンテンツから始まるような薄っぺらいゲームが多い >>136
良心や葛藤や感情はゲームには含まれない
人間というのは二人称
自分から見た他人
良心や葛藤というのは人間を見ている訳じゃないから
人間との対話
一人で思いにふけったり感激するっていうのはようは一人でやってる事
人がいない
必要なのは対する「人」 作り手もプレイヤーを人間だと思って作る
プレイヤーはこう進めようとするはずだ
だからこうしたらこういう結果にしてやれ
プレイヤーもゲームを人だと思っている
自分がこういう手を打ったらゲームはこう返して来る
一手一手進める 関所にぶつかると手形が無いと追い返される 王様が病気なので薬草を
持っていけば手形をくれる ってゲームより
王様が病気だけど薬草も集めず放置してたら王様病没内乱発生関所は放棄されたので
通行可能です但し商人プレイだと地獄を見るって感じのゲームがやりたい 嫌いな駒(キャラ)を助けた助けなかったというのはただの自己満足
ゲームは助けた結果どうなのか
助けた結果失格になるのか?失格を回避できるのか?
その駒を助けるという行為は、作り手の答えと照らすとどうか
作り手は何を言いたいのか >って感じのゲームがやりたい
それが大多数の人にはつまらないゲーム
プレイヤーのやりたいやり方でやれたらそれをやる意味ない
ゲームっていうのは作り手に完全に支配されているからこそ面白い 作り手に完全支配て今のゲームまんまやん
スレタイで懸念するような問題などなにもない
ぞんぶんに堪能いたせ つかんな複雑怪奇なの今のクオリティでは無理だろうけローグぐらいのクオリティで自作しとけよ >>143
ゲーム上からそのキャラが取り除かれるがゲームのシナリオ進行には影響しないので
殺そうが救おうが自由である 何れにせよ失格にもならない、としたら
貴方はこれを無価値だとゲームではないと判断するだろうね
>>144 それに何の価値が? >>145
それは支配じゃない
ただの命令
支配できないから命令している
支配=北に行っても南に行っても手のうち
支配できない=南に行かれたら困るから北へしか選択の余地を与えない だからさ
”自分で作ったゲームを自分で遊ぶ”
これこそ完全無欠
理想のゲームライクやん >>149
西のものを東へ動かしたら西のもの東へ移った
そうやったんだから当り前
当り前の動作しかできない
当り前の事に何の意味?
東へ移そうとしたらそれはできない
ではどうしたらできるのか?
となって初めてプレイヤーがそれをやる価値が出る
さらに移す事できたらご褒美 当たり前のことをプレイヤーがやらず
それでいて作り手の支配におさまってる
もうこれ自作自演いがいにありえないやん >>150
製作者の作った文法を使ってしか喋れないんだから方言ぐらいは使わせてほしいし
悪態だってつきたい だが貴方は標準語で敬語以外は認めないと言い出す
南への突破を拒否されるのなら命令も支配も変わらんよ
自分で作ったらどうやれば達成できるか当然知ってる訳だから
複雑な手順でもできて当り前 そうそうだからこそプレイヤーと作り手の関係が完全無欠となる
理想のゲームが誕生するんじゃないか 支配=プレイヤーの自由選択ができる
命令=プレイヤーは自由はない命令を受けるだけ 複雑だけどなにも迷わない
突拍子のない行動だけど予想の枠からはみ出ない
まさに理想のゲーム ゲームはプレイヤーに完全な自由がないとゲームにならない そうそうそれでいて作り手による完全支配
カンペキじゃないか >>152
西の物を東に移す過程で出会いと別れがあったし西の物の由来も
知ることが出来たので面白かった最後には売り飛ばす事が出来たので
懐が温まった こういうゲームはパズルとは異なったゲーム性を持つよ? そういうのはゲーム性とはう違う
体験性
自分はこういう体験しました
こういう感銘を受けました
ゲーム性っていうのは、ゲームをゲームたらしめている要素
要するにここがなければゲームをやってると感じない
ルール性、判定性、プレイ性 >>161に書かれた事を実際やってもゲームをやったとは微塵も感じられない
こういう部分が本当のゲームをやりたい人たちから見ればつまらないと映る訳で
もちろんこういう事をやりたい人もいるけれど一般じゃない ゲームを「概念」で捉えてる限り
なにもすすまねーな お前ら見てるとさ
やっぱゲームで育ってきた奴は碌なゲームを作る事ができないって感じてしまうよ ようはアレだ
今までは作り手による問題ばかり注目してきたが
これからは遊ぶ側にも相応の作法が必要になったきそうていうな
ちゃんと自由を主張しつつも作り手の完全支配に収まるよう努力する
一見矛盾してるように見えて自作自演という手法で用いればすべて丸く収まる摩訶不思議な世界
すばらしいではないか ちなみにゲーム性を備えたからといって即座に面白いという訳ではない
やっとゲームの仲間になれただけで
やっと糞ゲーになれた段階
面白いかどうかはここから先
さらに映画ゲームとは馬鹿にする言葉だけど
映画とゲーム性を両立すれは作り方によっては面白い作品にもなりうる
本来見てるのみだった登場人物の意思決定とその結末をプレイヤーの行動によって返される べつにSTGでもレースゲーでもいいんだよ
ただ単にきれいな弾幕を見せようとするだけ→センス無し
プレイヤーの動きを想定しつつ敵を配置していく→センスあって面白い
こんなレベルでも差が出るものもある
難度最高をワンコ白とかそんなトロフィを置くだけで敬遠される場合もあるから注意しな ここの奴は言いたいことを言うの下手すぎるな
ゲーム性ならQTEでいい「指定時間内に押せ」というルール
それが面白いとは限らないだって?当たり前じゃん
こんな単純なこと言うのに何十行もかけてるアホ 即死QTEだらけの一本道の冒険ゲームがあったとしますよ
これは立派な「ゲーム」ですよ
そんなのつまらないって?それは価値観の問題です
立派なゲームですいかにグラにかけていようと 最近はなかなか見ないがインタラクティブムービーだな
レーザーディスクゲーム
個人的にはムービーゲーはインタラクティブムービーよりも劣ってると思うわ
ムービーゲーの悪いところは
結果的にインタラクティブムービーのゲーム性を面白くできないでただ面倒にしているだけと言う
ある意味インタラクティブムービーよりも害悪なものになってしまっていることだ ゲームで育った人の感じたゲームの姿ってのは、体験した内容でゲームの骨格じゃないって部分
ストーリーや感動や操作性や、そういう部分だけでゲームを作ろうとするから結局内容はただ直進するだけ
好きな道から行けるとかそういう部分だけ再現される そもそも「ゲーム性」ってなんだってばよ?
話終わらないよね >>1
禿の言葉を受け売りで使うオマエのようにお約束要素をパクってゲーム作るからだろw >>171
QTEではゲーム性にならない
ゲームっていうのは最初の問題の以降に出題をしてはいけない
もし出題をしたら次々問題を出され出されるたびに解決するお使いになる
QTEっていうのはその系統をより簡略化したもの
税所の問題に対してプレイヤーはプレイする事ができない
ただ一本道を進むだけ
その中に次々簡単な問題を出題してもそれはゲームをプレイしている事にならない >>80
確かにそういう方向性で進化してきたよね
開発者が設定した「解」を求めて模索するトライ&エラーっていうのか?
その中でもある程度プレイヤーが自由にできる幅を持たせてた
最近オープンワールドがやけに騒がれるのは、飽きもあるけど
ゲームを作った側の自己満足に抗いたい反発が根底がるんじゃないかと思う
オープンワールド自体を冷静に捉えれば、ゲームデザインの一種にしか過ぎない
ただそこに無限の可能性が広がってるかのような「夢」を持たせる事で釣り得にしてる
ゲームデザイナーのように、進化に遅れると周回遅れになって後で厳しいから
挑戦しておきたいって都合もあるだろう
VR/AR然り、ただ漠然としてるだけでそこに仕込むネタは出来上がってはいない
グラフィックの進化は確かに目覚ましい
オープンワールドに近い状況、中身が成熟してない
ただ、そういう騙し方の良し悪し抜きに、焼き畑商法みたいな興味の引き方をすると
売り手買い手共に先細りするだけじゃないか?と思ってる
破壊と創造も勿論重要だと思うが、温故知新で過去からも学べる事って大きいと思うんだよな
「前へ倣え」が行き過ぎてる危惧は感じる 進む先が決まっていて結果は見えているのに敢えてそれを何度もやり直す
これは一本道の特徴
一本道を進むと問題が出てきてその問題を解決するとさらに次の一本道
そこを進むと次の出題、これを延々と繰り返す
という一本道標準のやり方を出題すらもう面倒なのでさらに簡略化したものがQTE
自由度の高いというRPGも一本道のRPGもどっちもこの手の構成
ゲーム部分に関して言えば一本道 ガチャ/DLC搾取、前宣伝だけ都合の良い事流して中身開けてみたらショボイ
体験版を事前に配信しても、ユーザーにデバック手伝わせるとしか思えない有様
ここ何年か売り逃げが横行してきたが、そろそろしっかりして欲しいな
開発者だけでなく売り手全員が「ゲーム性とは何か?」を考えてくれてもいい時期 >>178
>プレイヤーが自由にできる幅
ゲームっていうのは基本的には完全に自由(疑似的含み)でないと成立しない
できる範囲の事は全て試す事ができる
80の例なら開発者が設定した「解」に対して全周囲東西南北どこでも行って見る事ができる
幅って言い方をすると作る側が作り与えるもの
作り手がこの中から選べという選択肢を与えられるのと
今切れる全ての選択肢の中から答えを探すというのではいろいろ異なって来る
上は与えられた選択の中のどれかが正解という前提だけど下は正解というものを自分で見つけ出さなきゃいけない
だからむしろ解を隠すという事ができる
そしてそれを見つけ出す楽しさ 自由っていうのはもともとプレイヤー自身が持っている
作り手のする事はいかにその自由を制限するか
プレイヤーに行かれたら困る場所に行かれたら困る訳で
何らかの理屈をつけて制限する
ここから先は山、通れない
こっちは高レベル、通れない
制限する事で実際活動できる範囲、進める道が浮かび上がる >>177
それはもうお前が完全に脳内世界のゲームの定義に行ってしまってるんだよ
もしくは「面白いゲームのための方法論」
難易度進行があろうが、なかろうが
一定のルールの元でプレイヤーを判定したらそれはもうゲーム
ゲームと「ゲームの方法論」を混同してる 概念をいくら語ろうとも
プレイヤーはついてはいかない 簡単な例でいえば
昨今よくある「防衛任務」
ゲームで育ったような奴はこういうのを「歯ごたえのあるミッション」と称して入れたがるがこれがもうオナニー、だめ。
こういうので理不尽にゲームオーバーにさせられるプレイヤーのストレスをちっとは考慮しろってんだ。
基本的にはこういうミッションはすべからく排除、ないしあるとしても防衛対象は頑丈にしてプレイヤーのストレスの要因になることをできるだけ避けるようにする。
こういう配慮、プレイヤーとの対話ができる奴が面白いゲームを作れるのだよ。 その一定のルールがない
一定のルールっていうのは最初に課された目的から見た一貫したルール
途中で出題されるって事はその途中途中でルールが出されるって事だから出されるたびにそれを解かなきゃいけない
そこで感じるのはただ面倒というだけ
ゲーム目的自体QTEをこなす事じゃないから
もしも「次々出されるQTEのハードルを超えるゲーム」という目的だったらそれでゲームになるけど
実際は別の作業の合間突如無意味にQTEは出題される
実際に行ってる事は目的が不明瞭で何だか知らないけど進んでる途中に次々問題を出されるって状態
これではゲームとは言えない
これをゲームというなら一本道をただ直進するだけのRPGもゲームに入る
同じただルートを進んでいるだけの途中にハードルが出て来る構造
根本的にこれらはゲームの構造をしていない
ゲームには目的が必要
それと目的に対するプレイが必要
そう考えると必然的に一本道という概念は消えるから
次々問題を出すから一本道になるだけ >>185
プレイヤーの存在を認識していないから対話にならない
それと最近は物事を直線的に解釈するしかできない人が多い あとムズゲースキーはプレイヤーの方から製作者の方に話を聞きに行こうとしてるな。
ここはこうあるべきと想定されたもの。それを感じ取れない奴はダメ、みたいな。何様やねんと。
プレイヤーの方から製作側の意図を探りながらプレイするのではなく、
プレイヤー側にそのゲームの意図を伝えるような作りをしてほしいね。
まあそうすると痒い所に手が届くようなヌルゲー!つまらん!と言われるかもしれないが
そこはゲームとしての幅だな。F-ZEROがタイムアタックだけでも熱かったように しかしだな長文さんの言うゲーム論は広く体系的に議論された結果でもないし
議論の過程で鍛えられた物でもない それに加えて長文さんの定義するゲームから
外れた物もコンピューターゲームには散見されるがそれは一般にゲームと看做されている
となればそもそも長文さんのゲームの定義に普遍性が無いと判断する方が妥当ではないかな? >>186
お前の話が一貫してないんだよ
個々の事象を語りたいのか
7000円で売るパッケージとしてのゲームのことを語りたいのか
それとも「面白いゲーム」のことを語りたいのか
自由度否定したいだけだったらQTEがゲームだっていうのが一番手っ取り早い
(QTE自体は立派なゲームだ) 外れた物がコンピューターゲームとされているけれど昔からいうところのゲームとはみなされてない
コンピュータでないゲームと見た時に言うゲーム >>190
自由度を否定しているのは今のゲームの方
今のゲームには自由度がないという事こそ事の初めの問題で
ゲームには自由度が絶対に必要になる 今のゲームは
場所だけ用意したから勝手に自由に遊べよ的なゲームと
自由度が全くない製作者の意思に従え的なゲームでまさに二極化してる気がする。
中間ぐらいがあんまり無くなったね >>192
はい論破
As well as being a professional competitive sport, darts is a traditional pub game
https://en.wikipedia.org/wiki/Darts ルールがあってプレイヤーを判定するのがゲームだって言ってた
あたりまでは1%ぐらいは見どころあったんだがな
俺の語る自由度みたいなこと言い出してから駄目になった
別人かもしれんけど 自由っていうのには二種類存在する
一つは結果の自由
これは今自由と称している自由
もう一つは行動に対する自由
こちらこそゲームでいうところの自由度 >>198
お前は「それは俺の考える理想のゲームデザインでは無い」
って言い方をすればいいんだよ
定義レベルで「ゲームでは無い」って言い方するから馬鹿なのがバレた >>191
貴方の意見として尊重はするがそれ以上を主張したいのなら
ソースを出せ >>200
As well as being a professional competitive sport, darts is a traditional pub game
ダーツはみんなゲームだと思ってるよ?
思ってない馬鹿はお前だけwww 結果の自由というのは「自分のやりたい結果にする自由」
これをゲームに当てはめたら「勝ちたい」「好きな点数を自分に入れたい」
ゲームとして成立できない
行動に対する自由っていうのはプレイヤーの行動の選択に関しては一切制限をかけない
プレイに関しては自由
でもその結果はプレイヤー側が決める事ではないという意味
5枚のカードが配られたらそのどれを捨てるのも自由
できる事は何をやってもいいですよという意味
ところが今のゲームで自由といったら結果を思い通りにしたい
「自分のやり方」
5は1より弱い
でも今のゲームでいう自由の考えではその弱い5を出すけどそのカードで勝ちたいといっているのと同じ
自分のやり方 >>201
ダーツはきちんとしたゲームで間違いない
こういえば分かるかな
サッカーの試合をするとダーツをやらされる
ダーツをすると試合の結果が出る
これはゲームではない
文字通り何をやってるのか分からない
途中で別の問題を出題されるというのはそういう事 >>204
要するにだな
自由度はゲームとは無関係の概念ってことは
QTEやダーツを出せばすぐ分かる問題なんだよ
その上で自由度がどーたらこーたら言ってる奴は
定義を語ってるわけじゃなくて
ゲームデザインを語ってるわけ
それに対して俺は「わかってないアホが大上段を語るな」
と言いたい >>199
定義で間違いない
今のゲームでいう自由っていうのは「自分のやりたいやり方でやれるようにしろ」
本来のゲームでいう自由は「選択権は完全にプレイヤーに所在する、でもそれを実行できるかどうかを判断するのは審判だ」
上の自由では結果までプレイヤーが握る事になる
だからゲームにならない
そして自由も感じられない この距離から絶対に近づいてはならない
投げること以外は認めない
これがゲーム >>205
自由度はゲームは必ず必要
それは概念レベルで
なんでかというとプレイというのは「プレイヤーの自由選択」を指すから
ゲームというのはプレイヤーの自由選択に対する審判で成り立つ
だから自由選択がないと話にならない >>208
ダーツに選択権なんてないから
お前の妄想 だからゲームマスターがいないものはゲームたりえないと言いたいんだろ
でもそういうものではないゲームも今は多数存在するわけだ そりゃゲームに対して無効な行動も「自由度」と
言い張るならそうだろうな
ただの言葉遊び しかしダーツゲーム(シューター)を作る時に、
後ろを向いたりといった自由行動まで実装する必要があるか?
と言えば、無い
自由度が必要というのは結局のところたの詭弁なのであった >>209
どこを狙ってどのタイミングで投げるかすべてプレイヤーが自由選択で決める
でもどこに刺さるかはプレイヤーは決められない
どこに刺さった結果点数を決める事もプレイヤーにはできない >>213
お前が自由度っていうのはその程度のことを言いたかったの?っていう
そりゃ後ろ向いてもダメ 動いてもダメ 投げること以外はダメでも
自由度って言い張るならそうだろうな
詭弁レベルだね結局 は?どこに刺さるかはある程度狙うし
役もあるのだから得点計算もして的狙うぞ?
ダーツという競技、ルールわかってんのか?
まあ?100%狙ったところにいく訳ではないってのを言い換えてるならそうかもしれんが。 まぁダーツで的の好きなところ狙えて
「すげぇ!自由だ!」とはならんわな ここが本題
ここをちゃんと理解していないから一本道や自由度の高いとされるゲームになる
一本道ゲームっていうのも自由度の高いゲームっていうのもプレイヤー側に自由度は与えられず結果を返されないという
同じ構造 あと、的の得点はあらかじめ決められてるのだから
プレイヤーが適当になげて、刺さった所を50点!と言い張ることはできないってことを
プレイヤー点数を決める事ができない、と言うのもやめてな >>216
それは自由を分かっていない言葉では
投げる場所を制限されたらとたんにこの自由がどれだけ貴重か分かる
その制限しているのが今の自由度のないゲーム なんか気持ち悪い粘り方をしてるが
ダーツってのはあくまで「真ん中に当てろ」ってゲームだぞ?
お前は定義を語ってんじゃなくて
ゲームデザインを語ってるだけだっていい加減認めたらどうだ?
プライド高そうだから無理かもしれんがw >>219
つまりお前はなるという事なのか?
だからどうしたとしか言えないが >>218
それも自由を分かっていない言葉
それを平然とやっているのが今のゲーム >>219
意味不明だってダーツからどこに投げるかを奪ったらダーツではなくね?
そこから今のゲームに自由度が無いにも繋がらなくね? >>220
違う
「真ん中に当てろ」ってゲームは今のゲーム
真ん中に当てる事を強制される
ダーツは自由に投げる事が許される
刺さった場合その刺さった場所の点数が得点として返される
中央の得点は高い
ここの違いが今のゲーム構成に大影響を与える >>223
だから今のゲームはゲームでない
どこに投げるかを奪った状態が一本道
どこに投げても正解にするってのは自由ゲーム >>224
そろそろお前の脳が一行目からバグってることを認めろよ
ゲームの定義や面白さは(ダーツを面白いと思うやつがいる限り)
自由度とは関係ない
結果や行為の自由度というのはそれを使って他の面白いゲームを
つくるための概念であり本質的な議論ではない
だが自由度を議論すること自体は意味がある >>224
その程度の自由は一本道ゲーにもあるだろ
クリアしない事を選択できる >>225
更に意味不明になってんじゃん?
どこに投げるかを奪われたゲームって何?具体的にどれ?
そのゲームのどの部分がどこに投げるか奪われた状態なん? もの凄い屁理屈くんが沸いてるね
ダーツは得点を競うゲームだよ
「真ん中」に当てろでもまぁ合ってる
総合得点を上げる為に大当たりを敢えて狙わないで、
敢えて確定可能圏内を狙い続ける、なんて戦略あるのか知らないけどw
ゲームにおける自由度ってなんだろうね?
制作側がある程度規則付けないとビデオゲームの枠すら定まらない
RPG等で段階を追ってプレイさせるには順序が必要になる、つまり制限の発生だね
しかし、何でもガッチガチにプレイヤーを拘束してしまうと息苦しくなる
中には「何でこんな事したんだろう?悪意があるのでは?」と疑ってしまう事になる
一々書かずとも皆無意識の内に気付いてる事だよね
つまり、制作側は利用者をその気にさせつつ導いてやる必要がある
構い過ぎでも駄目、放任し過ぎでも駄目
プレイヤーに選択肢が多い事に越した事はないけど
パターンを幾つも作れば手間も掛かる
そうしたゲームを今は「自由度が高い」としてるだけじゃないかな? ちなみに本筋とは関係ないけどダーツは真ん中を狙うゲームだけじゃないからな! ダーツではプレイヤーがどこに向かって投げるかを完全に自由選択できる
真後ろに投げる事だってできる
でも的に刺さった場合にだけ点数になる
=ゲーム
それがこの投げ方しか許されない
この投げ方をして、ここに刺さるしかない
そうなるまでやり直し
これこそ今のゲームの基本的な思考回路
=自由度の低い一本道
それに対してそれじゃ自由度が低い
好きな向きに投げれるようにしろ
後ろに投げ後ろに刺さったってそれは正解なんだ
左に投げたってそれで正解なんだ
投げたい方向は人の数だけ存在するんだ
=自由度の高いとされるゲーム
プレイヤーの自由と結果を切り離して考える事をできない
結果を決めるとプレイヤーの動作から抑えようとする
プレイヤーを自由にしようとすると結果まで手放す >>227
一本道ゲーでも敵に接触してそれを如何に撃破するかとかその程度の自由度はあるし
エロゲーアドベンチャーは自由度は低いが選択肢を選択する自由はあるなゲームだし >>227
自由ってのは全体から見た自由だから
ゲーム全体がどこに投げるかだけで構成されているならそれで自由になるけど
目標は全然別でその中で出てきた一部分がどこに投げてもいいって出てきてもそれは自由にはならない さも一本道が悪いみたいに言ってるけど
別にある程度流れが決まってる一本道でもいいんだよ
プレイヤー側の大体、最大公約数辺りが恐らく納得してくるだろうなって構築
それが日本で言うドラクエだよね >自由ってのは全体から見た自由だから
何それ初めて聞いたぞ >>234
ドラクエも3までは結構自由度高かったと思うんだよな
4になってある程度シナリオ重視の感じになってくると自由度がかなり減ってしまった
シナリオを重視するとどうしても自由度が減る。この二項対立の関係性は今においてもなお解消されてないね >>236
シナリオと自由度は両立するもの
それがゲーム
それができないのが今の人 シナリオ=結果
結果の積み重なりがシナリオ
それと自由度を両立したものがゲーム
両立できないからゲームにならない >>236
一応で言うと両立もできるけどね
ただ手間の割に理解されにくいから避けたがるんだわ その3までのdqというのはシナリオははっきりしている
かつ自由度も備えている バカ発見
ダーツは真ん中に投げるゲームではありません
20点の3倍を狙って投げ
300点から得点を減らしていき
0丁度になるように当てるゲームです
真ん中は50点なのでちょうどにならないときは50点取っても意味ないです >>244
http://ダーツのコツ.xyz/category2/entry4.html 長文ニキはボーリングもいきなり奇声上げて観客の方に向かってボール投げつけてもOKとか言い出しそうだな
いや実際やろうと思えばそりゃ出来るけど危険行為だし全く意味がないからどこの誰もやらないけど >>231
テーブルトップシミュレーターでもやってろww >>246
それが考慮されているかどうかの差
危険行為で意味がないからやり直し
自由度のないゲームでは、そもそもそういう行動選択が考慮されていない
一見無意味でも自由というのは
大げさに書いているので、本当に必要ないけど >>249
話が何であろうと間違いは間違い
それとこれは別
たとえに知識の浅い例を出したから訂正してるだけ ルールは一つではないいろいろなゲームが存在する
概念の説明には単調化されないと不向き 長文にゲーム作らせたらゲーム性でKOTYを狙える奴を作りそうだ 思ったように遊ばせて、「どうだ!楽しいだろ!!」ってゲームばかりだからつまらんのかと。 ゼルダは、skyrimを手本にした、
FF15は、skyrimを知らない奴ら、
過去のゲームを知ることが一番大事 >>253
貴方がつまらんと感想を持つのはそれは自由だよ
だが一般の人もつまらないと思っていると主張するなら数字を要求するよ? 自由つっても昔のゲームてそんな自由度の高いのあったっけな
少ない容量に低いスペックでどれだけの苦労話を聞かされたことか
昔の人間が昔のゲームのほうが自由度が高かったなんて聞かされたらどう思うやら 実際には進行フラグに割くためのメモリすら足りないからだけだったりするのにな >>247
自由というのは作り与えるものではない
作る側の与えるものは「場」
自由度というのは場に対する自由
一度場を与えられたらプレイヤーは自動的にそこで自由にふるまえる(理屈上)
フィールドを与えれば東西南北自由に行ける訳で
仮に作り手が南へ行ってもらいたかったとしてもプレイヤーは自由に東西南北行ける
それを南だけにしか行ける動作しかできない状態にする事が不自由な一本道の思考回路
ではそんな自由なプレイヤーをどうしたら南へ向かうように矯正できるか
そこ >>259
自由度っていうのはそもそも作り与えるものではない
作り与えた数本のルートや作った限られたやれる行為の数を持って自由度だというからおかしい話になる
自由とは場が与えられれば勝手にプレイヤーはその中で行動できるようになる
それが自由
でも勝手に動かれちゃ作り手としては困る訳で
そこから制限する
それがゲーム作成
その制限によって特定の動作しかとれない状態になる≒自由度がない 要するに
作り手がプレイヤーに与えるものが、「できる事」「やっていい事」=不自由
作り手がプレイヤーに与えるものが=「場」=自由
だから、できる事単位でやれる事をいっぱい作り与える構造の自由度の高いとされるオープンなゲームは不自由 何を言ってるのかガチで分からねえwww
本人は有益なことをいってるつもりらしいが 拳銃を使うか火炎びんを投げるかレンガで殴るかナイフで刺すか弓を使うか
交戦手段の多彩さもゲームの自由度を構築する一部であると思うけど
何というかな自由度は基本的にシナリオ絡みで語られる事が多いね >>266
そういうのは自由度ではない
自由度という言葉はそもそも不自由から自由度が足りないという意味で出た言葉だから
拳銃を使うか火炎びんを投げるかレンガで殴るかを作り与えてもらえない事を自由度がないというかどうか考えれば分かる
ただ背景にレンガが落ちていたりすると途端に不自由感を感じる
要するに場に存在するものはすべて自由にできて当然というのが自由
無から何かを与える事やましてその多さではない
できるはずのもの、行けるはずの道がちゃんと作られている事
仮に少なかったとしても 昔ゲームは自由というよりただ単に野原に放り出しただけじゃ? >>268
間違ってはいない
要するにもともとプレイヤーは自由 DQの一番最初の体験会話でもみてこいっての
いきなりフィールドに放り出して好きにしていいよつったら
何をしていいかプレイヤーはわからずうろうろして戦闘繰り返して回復の仕方もわからず徐々に消耗して死ぬだけだったと
せめてゲームの中での生き抜き方位伝えとけと、で出来上がったのがドラクエの最初の形。 てかさ、スレいくつもまたいでも
他の人にお前の言いたいことまるで伝わってないこと、わかるだろ?
それで面白いゲームがうんぬんなんて伝わるものかよ。考え直せ。 だから制限をかける
好きにしていいよ何て一言も言っていない
プレイヤーに場を与えたらプレイヤーは自由に好きかってふるまおうとするというだけ
製作者のする事はプレイヤーどう制限するか?
ゲームの作り方っていうのはまず場を用意する
それだけではプレイヤーは自由にふるまえる
だから自由を制限する事によって成り立つ
ゲームでプレイヤーを制限するものをさしてルールと呼んでる
一番勘違いしているのは「プレイヤーの目線=開発者の目線」になっているところ
プレイヤーに自由を与える=開発者がプレイヤーに自由にふるまっていいよという
こんな事は一言も言っていない
開発者にとってはプレイヤーが好きかって動かれちゃ困る訳で
プレイヤー=私が好きに動いて好きに行動するのは当り前だ
開発者=プレイヤーは開発者のやり方、進み方以外一切認めない
この関係 プレイヤーと開発者は別人
それをできないでプレイヤーを直接動かそうとする=不自由 >>272
お前ガチで気づいてないから補足しておくが
普通ダーツやる奴は20のトリプルは狙わない
ハイリスクハイリターンだし真ん中と10点しかない
それで500点からスタートしたら9回は真ん中狙うことになる
ガチで気づかないで批判してそうだなお前 >>271
自由度がある方が面白いゲームになるって言いたいんだろうね要は
ところが何故かゲームの定義とか言っちゃって超上から目線で話すから
何こいつって感じになる ダーツの話なんてしていないけど
Evaluation: Average. この人の言う自由度のあってゲームらしいゲームって具体的になんだろう?
Evaluation: Good! >>275
自由度が高いのと面白さは関係ない
けれど自由度が低いとつまらない
今の人の言う自由度というのは自由度ではない
ユーザーの言う不満の自由度が足りないの自由度とは自由度とは異なる概念
その異なる概念で自由になったと錯覚する一部のユーザー
Evaluation: Average. >>277
小難しく言ってるけど「ゲームバランスが大事」って言ってるだけ
ゲームバランスっていうのは何でもできるってことじゃないから
殴りと投石ができたら、その強弱を考えないといけない
それは制限すること
小難しく言ってるけどこいつの言ってることなんて所詮この程度
Evaluation: Excellent!! >殴りと投石ができたら、その強弱を考えないといけない
そんな事は言ってない
自由に動き回るための場が必要で作り手はいかなる場合においてもその自由を侵害できない
開発者のできるのは結果を返す事だけ
で結果を返すだけでプレイヤーを操らなきゃいけない
Evaluation: Good! >>280
お前が何言おうが実質的にはそれしかないんだよ
開発者が行為の制限するのはバランス取る行為だから
プレイヤーが要求した行動範囲に対してバランス取れってこと
以外は実質的な意味がない
Evaluation: Good! >>280
直接聞くよ そのあなたの言う自由度のあるゲームらしいゲームって
なんていう題名なの?
Evaluation: Good! だから言ってんだろうに
ドラクエでフィールドに放置させたらプレイヤーはなにしたらいいかわからずうろうろして死んだ
で、その死んだという結果をプレイヤーに返したらプレイヤーはなにこの訳のわからないゲームは。と放り投げた。
長文ニキの考えではここでプレイヤーがどう生き抜くか考えることがゲームになると捉える。
が、違う。ちゃんと最初に戦う準備をさせ、HPの回復のさせ方を教えてからフィールドに放り出す。
これがドラクエの取った道だった。そしてそれは成功した訳だ。ゲームとして楽しんでもらえた訳だ。 どうだろうな
キングスフィールド2は始まってちょっと後ろにさがるだけでいきなり転落死の大爆笑だったが
それから様々な苦労を経て最後は感動のエンディングにたどり着いて良かったという思い出があるから、
不親切でも内容によると言っていいのか……うまく説明できん バランスというよりそれ以前のゲームのルール作りっていうものがもともと制限をかける目的のもの
ゲームというのは現実でできる事を「これはやってはダメ」「これをやったら失格」と制限をかけて成り立ったもの
この条件だけでやれ
と
球を手で持ってから3歩以上歩いてはダメ
ドリブルをやめたのちもう一度ドリブルをしてはいけない
コートという概念がそもそも無限に広がるフィールドから一部分を切り取りこの中だけで動きなさいという事
それでその思考回路の前提は人間は制限をかけない状態は完全な自由という前提が存在する訳で
では作者がゲームを作る時に、その自由という状態を認識できてるかという問題
この前提がなければ、制限をかけたってなんら自由には感じない
要するに自由度っていうのは制限をかけられる前のここを見てる訳で
ここが浮かび上がらなければ自由には感じられない訳で
「化け物のいる密室に閉じ込められた」という前提を作ったら窓や出られる場所から外に出ようと考えるのが当たり前で
では廊下には窓がついているのにそこはスルーして武器をとり奥へと進み戦うといったらそれは強制以外の何者でもない
本当に自由だったらゲーム開始直後窓から出て終了
仮に窓が見当たらなかったとしても奥へ進むより普通出口を探そうとする
ではその奥へと進む本来は強制するシナリオを強制されてると感じないよう自らの選択で決定するにはどうすればいい?
普通だったらするだろう事に逆らった選択を標準のシナリオとしているから自由度がないという指摘を受ける
もしも奥へ進む事を強制したいというなら、強制される前の状態の自由をきちんと立証しないといけない
元が自由だったら制限を受けてもそれは制限を受けたから自由を行使しようとしても失敗する=自由度が低い訳ではないと感じる
そこが見えてこないなら、何で奥へ進まなきゃいけないんだ、自分だったらこんな選択しない
ってなる ゲーム作り=ルール作り
ルール作りに「〜をできる」というものはない
必ず現実でできる事からの引き算
現実にできる事以上の事はできる訳ないので
だからゲーム作りで、できる事を作る、追加するって作り方がゲームじゃない なんで不自由に感じるかというと作り手がプレイヤーを自由だと思っていないから
その前提で作るから ゲームの自由度って問題解決の為のアプローチが多彩でアプローチの選択が
プレイヤーに委ねられてる状態を指すと俺は思ってるんだよね
それ考えたらいろんな攻略方法のあるエロゲーって自由度の高いゲームになるんかな
そもそもエロゲーってゲームって呼んでいいんだろうか 問題解決のためのアプローチが多彩で
アプローチの選択がプレイヤーに委ねられてるんならいいんじゃね ゲーム性もだけど
必要のないキャラの挙動とかカメラ関係複雑なボタン配置はいい加減やめて欲しい
見辛いし操作しにくいわで返って迷惑
この辺りはテストプレーしてないのがまるわかり自ら遊んでればムカついて即修正すると思う 簡単に言えば
プレイヤーの方を見て
事前情報を持ってない人がどう行動するか想定して
開発の都合を押しつけない
こういう事だろうが >>289
エロゲーは知らんがときメモはすげー自由度だな
ついでにときメモがヒットした後
コナミの採用でときメモのようなゲームを作りたいと言う奴が続出
コナミはギャルゲーってすごいなと思ってたら
実際はときメモみたいな学園物を作りたいと言う奴が大半だったと言う逸話がある
(当時は自由度と言う言葉がないのでこのように言っていた) たしかに普段ゲームをやらない知り合いがときメモにハマって
それから下級生とかサウンドノベルとかのゲームをやりだしてたな
それからもともと歴史が好きだったから三国志や信長の野望にまで手を出して
どこからゲーマーに目覚める起点になるのか分からんものだと思った 姉貴の場合はファミコンの魔界村をやってみたが「こんなの遊べたもんじゃない」とすぐに投げたけど
それからバイオハザードでホラーゲーに目覚めてサイレントヒルとかをやり始めてたな
ときメモの効果というよりその当時でたプレイステーションが画期的で
ゲーマーと一般人の垣根を取り払うのに貢献した効果だと思う 学園物だとガンパレとかいう自由度の高いゲームがあったんだけど
製作者が次に作った絢爛舞踏祭は自由度が高いのかどうかも理解出来ない
わけの分からん代物になってた >>289
ゲームで問題の解決手段が複数ついてるとつまらない
ゲームっていうのは理想は解決手段はたった一つの狭き門
その狭き門を自力で突き止めるのが醍醐味 ゲームの自由度って言葉は自由度が少ないという指摘から出てきた言葉で
好きなやり方をしたいって意味ではない
何で(今まではそうでなかったのに今は)決められた事しかできないのか?って意味だから
解決手段が自分で選べるっていったら単につまらないだけでいずれ人は離れる そもそも何故ゲームバランスが必要なのか
それはバランスが崩れていると片方は無いのと同じことになるから
例えば近寄って殴るが10点 遠くから何かをぶつけるが50点で
評価されたら大抵の人は遠隔の方を選ぶ
これは無いのと同じ
裏を返せばバランスを取るというのは自由度を(実質的に)増やすという作業になる 選択肢だけは多いがバランスの取られていないゲームというのは
ゲームとしての実質的な自由度は低い
ここでゲームバランスを取るという行為は自由度があった方がいいと
いう価値観によるものである もともとは手持ちのどのカードを捨てるかはプレイヤーの自由にプレイする権利だったのを
ゲームの進歩とともにその自由に捨てる権利が消され成功への道だけしかたどれないようになった
フラッシュの手を捨てればフルハウスになって勝てるけどフラッシュを目指すと手が完成するためのカードは来ない
何を捨てるのかは選択権はプレイヤーに与えられている
プレイヤーの選んだ選択に対応した結果が返される
それが進化によってこうなる
プレイヤーがフルハウスを選ぶのはゲーム側が決める
ムービーで指示されてとるべき行動を教えられる
プレイヤーはフルハウスを選ぶという行為をたどるだけ
それを実行すると、ものすごい盛られた演出でフルハウスが表現される
⇒一本道
それでは自由度がないと苦情が出た
そこで新たに自由度の高さをうたったゲームでは
フラッシュを狙ってもフルハウスを狙ってもどっちでも勝てる
どっちの手で勝つかはプレイヤーの人それぞれ好きなやり方で勝てばいい
とゲームの要素が崩れてる
⇒自由度の高いゲーム >>299
どっちを選んでも同じじゃむしろ自由度は低いと認識される
何をやっても結局進んでる先は一緒に収束
殴るのと飛び道具
飛び道具が一方的に強いからこそゲームとして成り立つのでは?
これでみんな飛び道具を目指すようになる
または飛び道具を持っていなければバッドエンドのフラグ
というのでもゲームになる 人は安定するとそれ以上努力をするのをやめる
欲求を満たすため
今より強い今より完全なものを追い求めるうちは進めるけど
何をやっても同じだったらそれ以上も止めない
今の作り手は何かと、足を止めて勝負って状態にするのをよいと思っているけど >>302
もちろん飛び道具で撃ち合うのは立派なゲームだよ
だがそこに自由度の概念を持ち込むとインファイトもできるように
しようということになる
接近にはリスクが伴うからリスクに伴った得点にしようということになる
これがバランス取る行為
飛び道具を持ってなければバッドエンドってには
「飛び道具を見つけてそこまで持っていく」ことが得点になるんであって
飛び道具を撃つ自体の得点ではない >>303
まあゲーム自体が珍しかった時代と違って今となってはゲームで溢れてるからね
各ジャンルともある程度成熟してるとも言え、その成熟してる状態から全く違った
新しい事をするのは基本リスクでしかない。そして開発費も高騰してるためそのリスクをおかせる人間も少ない 飛び道具を持っていなかったらバッドエンドってのは今のユーザーには
受け入れられない理不尽の一種と見なされるだろうな 事前に強い示唆があるなら
話は変わってくるだろうけどね
やはり開発者がゲームをデザインしたとしてもユーザーにそれを納得させられるだけの
説得力を持たせる必要は絶対にある 逆ではないかと
自由度の概念を持ち込むと接近戦は否定される
人間っていうのはより合理的でより強いものを求める
だから飛び道具の方が一方的に高性能じゃなければその高性能な飛び道具を見つけるために動き回らない
どれをやっても同じだったら飛び道具は必要ない
同じ程度の性能だったらはっきり言って同じ武器が二つ用意されてるのと同じで意味ない
何をやっても同じだったら自由度はないと 長文はエアプでゲームを語るのを止めるんや
エアプのままじゃ誰も話なんて聞いてくれんで ここはゲームを遊んだ人はゲームを作れないというスレ
ゲームを遊んだ人間こそ話に何の意味もないという >>310
完全防水ティーバッグが発売されたようだよ。
美術的茶葉評論家の君が監修したそうだね。 どうでもいいけど自由度の高いRPGが一番自由度が足りない ゲームを遊んでる人でゲームを作ってる人はいくらでもいるだろ 自分の作ったゲームすら遊んだことない
開発中にテストプレイすらやったことのない
そういう人をどうたとえてよいのやら……
会社に居座る意味あるの? >>314
DQ7で変なムービー入ってるのも、「PSなんだからムービーぐらい入れろよ!当然だろ」
と言うゲームを良く知らない上層部から鶴の一声があったんじゃないかと思ったりしたりするw まずこのスレタイの「ゲーム」が
Steamやゲーム屋さんで販売されている「コンピューターゲーム」なのか
スポーツやチェス麻雀、テトリスなどの「ゲームにおいてのゲーム性」のどっちのことを話しているのか
前者と後者では自由度もゲームをする目的も意味合いが違ってくる
前者の「ゲーム」ではグラフィックが綺麗、キャラがタイプ、ストーリー性
これらが面白さに繋がったりゲームをする目的にもなりうる
後者の「ゲーム」ではこれら一切ゲームの面白さとは無関係、本質ではない
ルールと目的、勝敗、資源の管理、これらの設定とバランスが面白いゲーム
どちらの「ゲーム」のことを言っているのかハッキリさせないと
違う定義なんだから話が噛み合わなくなるぞ >>299
その考え方が現代人の思考回路ではないかと
>無いのと同じ
無いもの(実用性のないもの、実際には誰も通らない道)は意味がないと思っている
だからできる事しか作らない
実際に通る道以外はいらない
それが一本道の考え方
作ったものには必ず実用性が伴うはずだ
という思い込み
自由度の考え方はその逆で
実は意味のないものをどれだけ作りこむか?
世の中の大半は今自分にとって意味のないものだから
現実世界では意味のないものの中から、今実際に欲しい必要なものを見つけ出すという行為によって成り立っている
現代人の特性として、意味のないものは排除して考えてしまう
または、作ったものには必ず実用性を与えなければ気が済まない
というのかな?
無駄な動作が大半で、その中に必要な動作が埋もれている
それを自分の足で歩いて手で調べて見つけ出す
それが本来の自由
必要な要素だけが作られる、それ以外は作らない
だから自由度が低い一本道になる >>316
「コンピューターゲーム」に「ゲームにおいてのゲーム性」がないから面白味がない
ただ綺麗なCG、かっこいいキャラ、ストーリーを見るだけになっている
つまらないという人の不満そのまんま
ゲームからゲーム性をとったらただキャラを見るだけになった、ムービーだけになった
本来は後者の中の前者がコンピューターゲーム
前者の中に後者を取り戻さなければつまらないって話 魔王を倒すためにどのような手順で手を進めればいいか
これらはスポーツやゲームの手そのものだけれど
主人公や人物同士が話していたらそのうち倒すべき宿敵が出てきて倒す事になる
これはただ話をたどってるだけ そういうのは対戦パズルゲーの話
少なくとも俺はパズルゲーは面倒で楽しめないんだ
そういう面倒こそゲームってならそういうのはつまらないと判断するんだよ で、ストーリーみるだけゲーなら戦闘の面白さ、キャラがどれだけ強くなるかを楽しむ
どれだけの強さになれるかを楽しむ。
なのでプレイヤースキルが必要な、過度にアクションに寄ったゲーはあまり好きではないね あれだな。
野球選手それぞれに疲労度を持たせれば
打たせてわざとベースを走り回らせれば相手は疲労してギブアップするドカベン戦法が使える、そういうのも自由度とか言いたいんだろ 一本道がシナリオを追うだけのステージクリア型と定義すれば
ラスアスも一本道になるが
あれをつまらないと評価してる人は多くは無いな。
ムービー綺麗なCGキャラ批判はゲハのテンプレートだがPS2時代に
濫造されたムービーゲーの印象を引き摺り過ぎだよ。
今のゲームは綺麗なムービーやCGやキャラに依存しているわけではない
それは一部に含んでいるが全体ではない。 一本道がシナリオを追うだけのステージクリア型と定義すれば
ラスアスも一本道になるが
あれをつまらないと評価してる人は多くは無いな。
ムービー綺麗なCGキャラ批判はゲハのテンプレートだがPS2時代に
濫造されたムービーゲーの印象を引き摺り過ぎだよ。
今のゲームは綺麗なムービーやCGやキャラに依存しているわけではない
それは一部に含んでいるが全体ではない。 ラスアスはどう見てもムービー鑑賞会に操作が加わったぐらいにしか見えないけど
数十本に一本こんなゲームがあってもいいけど発売されてるゲームすべてがあんなのばかりだと間違いなくゲームやめてる
ラスアスでなくDMCやニンジャガみたいなゲームばかりだと歓喜するけど
そうなったらそうなったでゲーム業界がさらに衰退していきそう LASTOFUSがムービーに操作が加わっただけだって印象は持ってない。
最後の命綱のナイフを増やすか回復アイテムを作るかで迷うゲームを
ムービー鑑賞会だとは思わない。
ムービー鑑賞会はorder1886だな。あれは操作付きムービー鑑賞会だった。
order1886が量産されたら俺もゲームをやめる。 >>320
対戦でもパズルゲーでもない
ゲームとはそういうもの
ゲームをやりこんでいる人間はそういう部分よりその先を望む
先への進み方はいいから、話をさっさと進めたい、さっさとレベルを上げたい
ゲームとは誰もがゴールする必要はない
挑んだ人間の大半が壁にぶつかって脱落するもの
それを前提で楽しむもの
スポーツだって全チームが金メダルになる訳じゃない
その前提で参加して
予選で落ちるチームも多い で、その前提でいて
誰でもゴールできるように作ったのが広い範囲に受ける で、その前提でいて
殆どの人にゴールできないようなものが糞ゲー >>316
の続きだけど「コンピューターゲーム」の面白さは
仮想世界に干渉できること、自由度とは仮想世界にどれだけ干渉できるか、制限がないか
ゲーム性とは目的のためにどのような制限をかけるか
仮想世界に映画を作って干渉できればラスアス
でもこれで面白いのはあくまで映画、ゲーム性ではない、制限が評価されたわけではない
マイクラも面白いのは作ることでゲーム性ではない
まあでも売れるのは間違いなくこっちだよね
面白いけどそれはゲーム性が評価されたわけじゃない LASTOFUS、仮想世界に映画を作って干渉できてないから一本道なのでは?
映画世界に干渉できるっていうのは主人公の意向をこっちで決定できるって事だけど
LASTOFUSはジョエルの決めた意向に沿ってこっちが動かされているだけ
映画に干渉できるゲームっていうのはその言葉通り
主人公の想定する行動と別の行動をしたらどうなるのか?
どういう結果が返されるのか?
IF
プレイヤーのプレイングに対してゲームマスターはどんな結末を返すのか?
ドキドキする >自由度とは仮想世界にどれだけ干渉できるか、制限がないか
それは違う
結果に干渉する事は自由度ではない
それと制限がないというのは正反対で、制限がどれだけなされるか?が自由度の高さになる
現実世界では身の回りの殆どのものに制限がかけられていて自分の思い通り思惑打算通り進む事は僅かでしかない
「プレイヤーのできる事」を作るというのは要するに、本来だったら在って然るはずの「できない事」は作ってない
という事
要するに進める道しか作っていないという張りぼてでしかない
本来は進める道の裏に進めない道、意味のない道が無数に存在しているはずだ
その道を体感をもって知れる
知ったうえでの無数のできない道の上での進める道だ
それが自由度
要するに自由度は乱暴に言えば「できない事の数>できる事の数」この差がどれだけ開いているか? 要するに見る部分、進む部分以外作られていない立体性のないりぼて
それに感じる感覚が「自由度が足りない」
要するにゲームっていうのは現実世界の縮図
できない事だらけの世界から自分の達成したい目的にかなうものを見つけ出し目的を達成する
それが現実
そしてゲームも同じ
現実での困難を乗り越える過程を仮想世界で疑似的に体感する >>332
>主人公の想定する行動と別の行動をしたらどうなるのか?
>どういう結果が返されるのか?
> IF
>プレイヤーのプレイングに対してゲームマスターはどんな結末を返すのか?
>ドキドキする
すべての要素がそうあるべきじゃないと思うけど
世界観がぶち壊しにならない程度にかつ適度にそういうネタ的な要素が含まれてるのは面白いかも 要するにゲームというものを逆にとらえているところ
本来ゲーム性をもとに作られていたゲームをいつしかどれだけ制限を外すかと正反対の土台の上に立っている 二次創作で育ったパクリしか能のない脳無しの作ったゲームはつまらない >世界観がぶち壊しにならない程度にかつ適度にそういうネタ的な要素が含まれてるのは面白いかも
世界観を壊さないというか世界観にのっとってそれを入れるもの
それとゲーム性っていうのが密接に絡んで来る
本来主人公を窓に進める筋書きなのにそうしなかった場合エンディングになってしまったり
エリーを送り届けるという依頼に対し断った瞬間、スタッフロール&その後のエピローグムービー
とか
作っている人間の一番分かっていないところは「プレイヤーの選択=プレイヤーの思い通りの結果になる」と思っているところ
プレイヤーの選択とゲームの返す結果は別
作り手の本筋に逆らった行動が結果までできるように作ろうとする
本来は作り手の筋に逆らった場合筋に戻すように結果を返したり、バッドエンドやゲームオーバーにするようなもの
全体的そういう骨格なのがゲーム 20年30年前からTVゲームを作ってきた層は
TVゲームの前にTRPGで想像力鍛えてきてるからな >>333
それは違う
コンピューターゲーム内の仮想世界では現実と違って再現できないことはなにもない
しかしどれだけ再現できてもそれに干渉できなければ自由とはいえない
そして何でも再現できて何でも干渉できることがコンピューターゲームにおける究極の自由度
しかしそれだけではゲーム性は全くない、目的もルールも勝敗もない
ではどうやってゲーム性を与えるかというと目的を与え制限をかける
例えば車にしか乗れない制限をかける、公道しか走れない制限をかける
誰が一番早く到着するか目的を与える、これでレースというゲーム性が生まれる
ただしこれは「コンピューターゲーム」における定義での自由度
これから君は「ゲームにおけるゲーム性」の自由度を語ると思うけど
それは間違ってないと思う、自分も同意 >>331
ゲーム性が面白い!と断言出来るゲームってコンピューターゲームより
ボードゲームとかトランプとかその辺になりそうだね。
囲碁とか一手に40分かけて打って三手後で死亡とかいう凄まじい事になるらしいし。 ボードゲームは苦手だ
直感的で爽快なゲームのほうがいい
だからスペックの高い今のゲームのほうが好きなんだ >>332
食わず嫌いしてないで実際に遊んでみることだな
感想楽しみにしてるよ 囲碁は70歳の老人と喧嘩碁やって一度も勝てたことないし
大富豪とか駆け引きがモノいうゲームも面白いのは最初だけで続けるごとにダレてくるし
長期的な戦術戦略のゲームはダメだな
しんどい仕事から離れた貴重な休日をわざわざしんどい思いして次の仕事の日まで響かせて愚もいいとこだわ 長期的な戦術戦略ゲームを流行らせたいなら昔のように短時間の労働で生活できる給料が得られるぐらいの環境でないと
途中で中断して次の休みまで持ち越しても覚えとらんわ >>346
2chでレスしてる方が楽だし楽しいよねって考え始めるともう末期やね。 まあ正直わりとヤバいところまできてる
というか一番ヤバいと思うのは購入したまま未開封のソフトがどれだけたまってるのか…… 日本の最近のゲームがつまらないのは
日本のゲームソフト群には多様性がないから。
まずゲーム性の高いゲームが売れない。
MOBA、格ゲー、FPS、スポーツ、これらの競技性の高いゲームが売れない
AAAタイトルを作る技術や資金もない(FFバイオはいい線いってる)
インディーゲーも日本では出てこない、SteamというよりゲーミングPCが普及していない 任天堂系は元々の表現能力が低めであるぶん、まだゲームであるソフトがある方だと思う。
PS系は見かけばかり品質が向上して、ゲーム部分は古いままなのが多数派な感触。
表現力が高いと映像への欲が出てゲームである事がおまけになってしまい、遊ばれる事より見てもらう方向に流されやすい傾向を感じる。 ゲームで育った人の作るゲームがつまらないのでは無い
つまらないゲームを作る人は、大抵がゲームで育った人というだけ
ゲーム作りには何十年もの歴史があって、先人が試行錯誤して、昨今の「面白いゲーム」の基礎を作ってきた
この試行錯誤を学び面白いゲームがなんで面白いかを理解することが大切 >>340
コンピューターゲームの自由というよりもっと別のものの気がする
近年そういうコンピューターゲームに慣れすぎてそう感じるのでは >>354
ゲーム開発が大規模になるほど
何で面白いのか?という部分が全体で共有できなくなるんだろうな この板見ても解るけど全く同じゲームを神ゲーと呼ぶ奴も居ればクソゲーと呼ぶ奴も居る
それぐらいどんなゲームが面白いかは人によって認識が異なると言う事
とすれば、ゲーム開発に関わる人数が増えれば増える程整合性が取りにくくなるのは自然なんだよなあ つまらないと言うのがありふれていて価値が無いとするのなら
それはそれで構わないが それは面白さとは別の評価軸って事なのかな。 steamでもスマホアプリでも少数開発のはわりと新しい志向のゲームでるよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています