業界での逸話、伝説系の話を聞かせてくれ。 [無断転載禁止]©2ch.net
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凄い!と感心出来たり、温かい方の話ね。
俺が好きなのは、スプラが何かの賞取った時
壇上に上がった開発者にスプラグッズで身を包んだ子供が賞状とお礼してくれて
それに感動した受賞者が男泣きした話
後はポールマッカートニーからサイン求められた宮本さんw 任天堂 神対応 で検索して3時間くらい没頭してきな セガのスペースチャンネル5と言うゲームに
マイケル・ジャクソンが出演したいと言ってきた。 古代さんが音楽担当したアクトレイザーの出来に植松さんをはじめとした
ff4スタッフが驚愕した話
ff3のプログラマー、ナーシャに
どうしてもわからないところがあると
スタッフが電話掛けたらその場でコードで説明始めた話 いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります
イチからつくり直していいのであれば、半年でやります 名作推理ADVファミコン探偵倶楽部のシナリオを書いた坂本賀勇はそんなに推理小説とかよんでいたわけではないが、「書き始めたらサラサラ書き進んで、3日でできちゃった」らしい これは個人的な話になるけど
ゼビウス作った遠藤さんはかなりの2chユーザーで
とある板でキャップ付きでコテハンやってた。
大ファンだったので、掲示板上でいいからサイン下さい!ってお願いしたら
aaで作ったサインくれた。
あれは本当に嬉しかったなぁ いい話かどうか微妙だが……
セガの中裕司がある日呼ばれて社長室に行くと、満面の笑みを浮かべた社長と鈴木裕がいて
「ソニックを使って今流行りのポリゴン格闘モノを作れば大ヒット間違い無しでウハウハ」
という計画を聞かされ、内心頭を抱えたそうな
結局あまりヒットしなかった 鈴木裕はバーチャ開発に息詰まった時に解決するプログラムが夢に出てきた。 >15
ファミ通/メディクリが集計する前に、スクエニが何を根拠にしたか不明なまま
「100万本の販売(出荷ではなくセルスルー)を達成」
と広報として大々的に発表してしまったせいで大混乱。 抽選で当たってTGSのビジネスデイに行われた日本ゲーム大賞授賞式に参加したことがあって
その時にスマブラの桜井を間近で見た
特にオーラ等は無くいたって普通の人だった >>17
鈴木裕が宮本茂になれなかった事がよく分かる良エピソードじゃないか http://www1.odn.ne.jp/~cbs78480/retuden2.gif >>21
自分もなぜかアトラスからチケットが送られてきて(たぶんアンケートの粗品)ビジネスデイに行ったことがある
んで、ステージを見てたら斜め後ろに広井王子が来て知り合いらしき人と喋ってた
クーロンズゲート遊んでますか? と聞かれて
「いやー、遊んでると眠くなっちゃって全然進まないんだよねえ」と答えてて、ちょうど自分もプレイ中だけど寝落ちすることが多くて心の中で広井王子に激しく同意した アトラスと言えばゲーム内容に問題があったのか、あるいは会社の建っていた場所のせいなのか怪奇現象が頻発したらしいな。
あとあるゲームの中に呪いのメッセージが入っているという都市伝説もあったな。 >>23
懐かしいw
ベーマガで連載されてた、
fーzero1分58秒への道
も面白かった。
一周目ダートとフェンスの僅かな好き間を通り抜けるテクニックが発見される過程が熱かった 一国の首相が大舞台でゲームキャラのコスプレしたことは割りと凄いぞ スチャダラパーのBOSEが「今夜はブギーバック」で儲かったお金で
バーチャ2の筐体を購入したこと
友人で曲作ってくれたオザケンにめっちゃ感謝してた。 組長を怒らせたシリーズ。 ナムコ編、 スクウェア編 ファミコンFFの日空挺は当時の技術力では考えられなかった的な話を聞いたことがある >>1
ブヒッチがオンしちゃってニシくんが失禁したブヒッチ事変とかなw 組長がゲームボーイを床に叩きつけた以上の伝説ってある? >>12
そういえば松野もネット黎明期に名前出して書き込みしてなかったっけ
当時自分は松野信者だったのですげえびびった 『エネミー・ゼロ』は当初プレイステーション(PS)で発売されることになっており、ソニー・コンピュータエンタテインメント主催のイベント「プレイステーションエキスポ」にて製作発表会が行われた。
デモ映像を流した後、飯野が挨拶をするという流れだったが、デモ映像終了後に飯野は壇上で突然マッキントッシュのキーを叩いた次の瞬間、
スクリーンに映し出されていたプレイステーションのロゴがセガサターンのロゴにモーフィング変形し、それに続き、当時のセガの社長である入交昭一郎による「セガサターンへようこそ」というメッセージビデオが流れた[6]。
事実上のプレイステーション版の開発無期限停止とセガサターン版の開発開始の発表であり、その手法があまりに異様であったため、エネミー・ゼロ事件とも呼ばれている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/飯野賢治 >>21
そういえばだいぶ前のTGSのテトリスのイベントで
真横にいた外国人がアレクセイパジトノフ氏だった。
オーラなのか知らないがすぐパジトノフだと解って一人勝手にテンション上がってた。 「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。
イチからつくり直していいのであれば、半年でやります」
ってマザー2作り直したイワッチ >>43
この時、開発環境全部整え直したんだっけ? アメリカかメキシコどっちか忘れたけど砂漠を掘ったらATARIのゲーム機がザクザク出てきた
アタリショックでゲーム機埋めた伝説は本当だったw ちょっと趣旨と違うけど
ゲームキューブの機動戦士ガンダム 戦士達の軌跡をクリアすると
エンディングで開発スタッフから
収録後にお亡くなりになったセイラさんの中の人へのメッセージが出る >>45
メキシコの砂漠にアタリのETが埋め立てられた話だな
都市伝説だったけど実際に発掘されてドキュメンタリー映画にもなった >>17
中さんは、セガ時代にGBAで初めてソフト出すとき任天堂に行って
受付で、セガの中ですって言ったら
受付の人が、はい、セガの中様ですね。…えっ!?
って反応だったという話が好き DSの「風雲!大籠城」のメーカーはゲームとは関わりのない他業種だったのでどうすればゲーム機に参入できるのかわからず、思い切って任天堂のサポートセンターに電話して聞いた >>48
俺は、中さんが自分の誕生日に「もしかしてお祝いくらい書き込まれてるかも」と当時サービス中のPSOのBBSを覗いたら、いつも通り『中死ね』と書き込まれてたって話が好き 当時開発が難航し、ほとんど頓挫しかかっていた「MOTHER2」のプロジェクトを立て直すため、プログラマーとして開発現場に送り込まれた岩田。そのころすでに開発スタートから4年が経っていたにもかかわらず、ほとんど動かせる形になっていなかった。
それを見て岩田は言った。
「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。イチからつくり直していいのであれば、半年でやります」
そして実際に半年でほぼ完成状態まで作った。
みたいな話? >>31
天才プログラマー、ナーシャ=ジベリ伝説だなw
バグを利用して高速移動を実現していたからナーシャ以外は誰も再現できなかったらしい。 「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。
イチからつくり直していいのであれば、半年でやります」
この発言のインパクトが強すぎて忘れられてるけど
岩田は開発環境を統一するとか、未来を見てきたかのような事をしてんだよな そんな岩田を持ってしてもMOTHER3は完成しなかったという… mother3の開発を断念した宮本・岩田・糸井の3人の対談は読みごたえある 伝説て程ではないけど好きな話
killer7 サウンド高田雅史
「最初は全編アンビエントな曲でいこうと考えていました。(中略)そこから羈絆門の音楽(Rave On)とか弾けた感じにしたりと(笑)。
あの曲って非常に分かりやすいテイストでしょう?料理で言えばカレーライスなんですよ。
微妙な匙加減で作った薄味の料理が並ぶ中、そこへカレーライスをドンとだしたら「やっぱりカレーライスは美味しいね」ということになってしまった(笑)(中略)美味しいカレーだと言っていただけるのは嬉しいですが、ちょっと複雑な新教です」
以降Rave Onはファンの間でカレーライスと呼ばれるように ナムコのPCエンジンソフトに変な隠しメッセージ入れてたのが発覚して全回収とかあった気がする。
やったプログラマはもうこんな事するなよ、って怒られただけで済んだとかなんとか。 >>23
これ学校の図書館にあったわ
なんかバイオハザード1の開発してたのを漫画にしたとか 気になったから一応
>>53
ナーシャ・ジベリ な 伝説のオウガバトルを作り上げた頃 社員が少ないから松野が自ら電話のユーザーサポートやってたらしく
「システム全然わからんぞー 責任者呼べーっ」て電話がかかってきたときも「あっ僕です」みたいな感じで
4ヶ月ぐらい直接ユーザーの生の声をきいてたって アルティマニアに書いてあった >>17
>>48
>>50
中さん 最高ですね
BEメガ 95年1月号より抜粋
本誌:
2年前の対談(鈴木裕と中裕司の対談)の時には
「任天堂さんに追いつけ追い越せって」っていう意気込みを語ってもらいましたが、
今はそれがだいぶ実現したんじゃないですか?
中:
なんか任天堂さん、ちょっとおとなしくなってしまいましたよね。
アメリカに長くいたせいもあるのかもしれませんが、日本に帰って来ても、
やっぱり任天堂さんおとなしくなっちゃった気がすごくするんですよ。
ウチがぶち抜いちゃってもいいんですけど(笑)
とりあえず任天堂さんには、やはりライバル的存在であってもらいたいんで、
頑張ってほしいですね。 >>57
そのマザー3が再び動き出す時の話も面白かった
岩田、宮本、糸井が乗ったタクシーでの話 レベル5がDQ8の開発に抜擢されたとき、日野社長ははりきって育成収集などの各種やりこみ要素をプレゼンしたが、堀井雄二に「蛇足です」「プレイヤーの負担にしかなりません」「盛り込む意味がありません」などと大半が却下された
そのときのボツネタを片っ端からぶち込んで作ったのがローグギャラクシーで、結果は知っての通り ソニックアドベンチャーは開発が難航していたがどうしてもドリキャスのロンチに間に合わせる必要があり、社内の開発者をほぼ全員使ったデスマーチで完成させた。おえらいさんまでデバッグに駆り出されたらしい
そのせいで他の開発中のゲームが割を食ってしまい、中には開発自体が中止に追い込まれたプロジェクトも出た
怒り狂ったスタッフが部長を血祭りに上げろと暴走し、部長は一日社内を逃げ回ったが捕らえられて頭を下げるハメになった。別にその人のせいじゃないのに…… PS版鉄拳3ではメモリの容量の関係で、アニメーションデータがアーケード版の10〜15%程度まで圧縮されている。
これにはナムコの天才プログラマーが開発した”メモリに負担をかけずにCPUの機能を使って、ひとつのモーションに対してフレーム単位で体の部位を引っ張れる”という謎の技術が活用されている。 大戦略誕生秘話
大戦略が無ければマスモンもFEもスパロボもオウガも無かった FF6の開発時、坂口博信は1999年のニューヨークが舞台設定の物語を提案していた。 バーチャのジェフリーのスプラッシュマウンテンはバグという話は有名だが、正確にはボツ技がバグで復活してしまった
開発中は33Pで出る予定だったが、封印をKを同時押しすることによってすり抜けてしまった(1はPKを同時押しする技が無かったため)
ウルフもスプラッシュマウンテンが使えるのは、開発中は33Pでジャイアントスイングだった名残り >>38
その直前の控室で読んでたマンガがサラリーマン金太郎w >>73
それ、ソニックアドベンチャーじゃなくてシェンムーだったって話。 >>8
自分で書いたソースなら電話でも説明とか改修案言えるぞ スパルタンXはアイレムのファミコン参入第1弾になる予定だったが
どうしても自分がスパルタンXを作りたい宮本が
アイレムの親会社の社長にかけあって強奪
開発担当者は激怒したが任天堂からスパルタンXが発売されることとなった >>72
ドラクエとの出会いが今のレベル5を産み出したんだろうな。
それまでは良くも悪くもゲームマニアに好かれるメーカーだった。 アイレムはスペランカーでファミコンに参入することになり
カセットをLEDで光らせたらかっこいいやんと思いつく
任天堂は面倒なのでお断りしたかったが
スパルタンXでアイレムに借りがあったので仕方なくOKした くおーぶつかる、ここでアクセル全開、インド人を右に!
レバー斜め入れ大ピンチ すぎやまこういちが森田将棋のアンケートはがきを書いただけで放置してたら
奥さんが勝手に投函して
そのはがきを見た千田がゲームの音楽つくってって頼みにきた話好き >>5
ちょっと違う
マイケルのゲーム(マイケルジャクソン ムーンウオーカーだったかな?)作った後に次回作もセガで作らせて下さいって言ってたのになかなか作られなくて
いつになったらマイケルのゲーム作るのかって本人からキレ気味に電話があったらしい
ちょうどスペースチャンネル5作ってたときだったので、苦し紛れに「実はこうゆうゲーム作ってるけど、主役は女の子で、マイケルには重要な役を任せたい」とか言って納得させたらしい セガがテトリスのライセンスを取ったと思ったら家庭用ゲーム機ではなくPC用だったという話
任天堂が旧ソ連のELORGに直接交渉に行ってセガのライセンス未取得が発覚し
宙に浮いてた家庭用ゲーム機でのテトリス販売ライセンスを頂いたというww
テトリス事件は有名か ロンダルキアの洞窟は初心者に配慮して
右手法で進めばたどり着けるようにつくってあるって話すき
中村は難しいと言われて心外だったらしい スーファミCDロムの一件で任天堂とソニーが破談になってプレステが生まれたって話は有名だけど
その後ソニーとセガで新ハードを開発しようとしてた話はあまり知られてない 今では続編が遅いことで有名なドラクエだが2は1の8ヶ月後、3は2の1年後に出てる
なんと1と3の間は2年も経ってない 古代さんがファルコムのバイト時代にイースの作曲をほぼ全て任されてたのは凄いなぁと思ったけど
そもそもあの時代ってバイトでもゲーム製作の深い所に関われるのが普通だったんだね >>74
10%減らすんじゃなくて
10%に減らしたのかよ エロゲ会社でトップを走り続けているアトリエかぐやというメーカー
その昔ASTEC21という社名でCSゲームの販売、制作を行っていた
代表作はアジトで業務用ネオジオで格闘ゲームの発売も予定していたがお蔵入りに
その後エロゲ業界で大成するんだから人生なにがあるかわからんな 飯田和敏は大学時代に『任天堂・電通ゲームセミナー』に通っていた、一年かけてゲームの作り方を教えてくれるセミナーだ
そこでの企画コンペで吸血鬼を題材にしたゲームを出した、時代が進むごとに処女が少なくなって難易度が上がるという一発ネタが受けたが、宮本茂だけは何か考えていて反応がない
「やばい、ふざけすぎたか?」と思ったら宮本が顔を上げて「血を『吸う』行為とボタンを『押す』行為は正反対だけど、そこはどうするの?」と聞いてきた
ゲームはインタラクションだということを思い知らされて、これが開発者を志すきっかけになったそうだ >>96
もとナムコのめがてん細江氏もバイト上がりですし
セガもリクルーターがスーパーハングオンの作曲を担当してたっけ? >>96
グラディウスや沙羅曼蛇の作曲やっていたMIKI-CHANGもバイトやった筈 セガが東京ゲームショウにPS2版『スペースハリアーII』を出展した時の話
ユーザーへの初お披露目の舞台で担当Pが緊張する中、真っ先に現れたのは、スーパー32Xとセガサターンで『スペースハリアー』の移植作業を担当したゲームのるつぼのスタッフたちだった
「えっ?」と思う間もなく、一人がプレイ開始
移植を手掛ける者にとって“レジェンド”である彼らは、PS2より断然低いスペックのハードでスペハリを移植してきた人々である。そして、スペハリが好きで好きで仕方ない、マニア中のマニアとも言える人々だ
そんな彼らが7面(LUCASIA)までプレイして「あっ!」と声を上げた
「一体何が?」とドキドキしながら担当Pが感想を求めると、「とてもよくできています」というお墨付きと、「ただ一つだけ…」として以下の点を指摘された
7面の氷の岩について、これは地上物なので地平線の下にしか表示されないのだが、ハリアーが地面を走っていると地平線よりはみ出てしまうことがあり、そこから地平線が上がると色化けを起こす(黒くなる)バグがあるのだが、そこが再現されていない
ハードウェアの設計上は正しい絵になっているのだが、実機の動作とは異なっていたのだ
元るつぼのスタッフ曰く「バグなんですけど、岩がキラキラして綺麗に見えた」と
この時のやり取りを記憶していた担当Pと開発会社(エムツー)は、3DS版『スペースハリアー』を製作する際、このバグの再現を取り入れたのだった >>74
あのゲームって何か分からんけど他のゲームとは違うものが感じられたよな
2までとも同じ様で別ゲーに感じた [ ゲームボーイ 発売タイトル数 ]
|1989年 | 25タイトル .| ← ハード発売年
|1990年 | 118タイトル |
|1991年 | 111タイトル |
|1992年 | 115タイトル |
|1993年 | 80タイトル .|
|1994年 | 93タイトル .|
|1995年 | 58タイトル .|
|1996年 | 38タイトル .|
|1997年 | 53タイトル .|
|1998年 | 98タイトル .|
|1999年 | 146タイトル |
|2000年 | 175タイトル |
|2001年 | 112タイトル | >>96
スクウェア創業者の鈴木尚氏も光栄のバイト出身ってのは知って驚いた マリオの名前の由来はニンテンドーオブアメリカが家賃滞納してた倉庫の大家で
マリオ・セガールっていうおっさん >>109
確かに感動的な話ではあるのだけど、日本のゲーム開発は職人芸的側面が大き過ぎるのがね
せめて各種アルゴリズムの設計書位は残しておかないとね
海外では、特にAI周りの技術資料はメーカーを超えて共有しているのに比べると考えるところがある >>96,>>108
坂口博信も田中弘道も学生バイトあがり。
アルバイト時代からメインプログラマーやってたし、メインデザイナーやってた。3年間も。 mother2のいわっちも凄いが
石原がmother2を頓挫しなければ
ポケモンに影響が出たかもしれないというのも凄い運命だな >>113
この当時でも欧米はもうその体制になってたのか >>116
ヘッドハントでスタッフがバンバン抜けるからね、仕方ないね PCが暖かくなった話
デスマーチのプログラマーが、アハハハハーーーーッとPCにコーヒーをかけ始めた ナーシャは坂口と仲が良かったからFFのプログラムを引きつけただけで
RPGの面白さをなんにも理解してなかったって聞いて笑った
ストレスを貯めさせないために毎日ステーキを食べに連れてったとか DCの最後話すごかったな
外人に中が呼ばれてもうソニックなんて誰もやらねーんだよボケが この部屋からでていけっていわれて涙目敗走したっていう >>120>>122
なんだ面白いな。どっちも読んでみたい話だな 任天堂の印刷物は、全て小さな町工場に依頼してるって話とか
まだ任天堂がゲームに参入する前、業績悪化で多額の負債を抱えて倒産の危機に。
取引先への支払いにも困窮している状態のとき、小さな印刷会社の社長が
困ったときはお互い様と数ヵ月分の支払いを待ってくれたという。
その事、ゲームウォッチとファミコンの大ヒットで世界的な企業に成長した任天堂だが
その時の恩義を忘れないようにと、今まで全てのパッケージをその印刷会社に委託し続けている。
大手に大量発注すれば、コストもかなり抑えられるだろうに。良い話だ。 DS時代、関西のとあるおばちゃんから内職で任天堂の部品で輪っか作り出したとか聞いて
輪っか?何に使うんだ?と思ってたら後のDSiのカメラレンズの枠だった
何処から情報が漏れてるかわからねえ ソース不確かなんだけど
DSポケモンにプラケースの外に紙箱がついてたのも
>>124
の理由らしいが、どこまで本当なのかわからん
信ぴょう性は都市伝説的だけど
任天堂なら有り得そうっていう印象だな >>128
もしかしてカードタイプのamiiboとamiiboのチップもここ?
だとしたら凄いね >>72
そんな堀井が鍛冶システムぶっこむの容認するだもんなあ >>128
すごいね、お互い創業した明治の頃からの付き合いなんだ
でもさすがに今は「小さな町工場」ってレベルでもないね
大手と比べたら小さいにしても >>124
最近はゲームのパッケージから紙の説明書廃止したりしてるけど、おもちゃとかの説明書なんかでは今でも取引してたりするのかな? 大昔にE3会場を歩いてたら見覚えのある禿親父が通路みたいなとこに勝手にPCをセッティングしだしたのでボーッと見てたら、巨大な猿と牛が暴れるプログラムをデモしはじめた。
目があったので逃げにくくなり、しばらく話を聞いてて思い出したが、そいつはピーター・モリニューだった。デモがバグって止まった隙にその場から逃げた。
なんか縁を感じたのでその後に発売されたBLACK&WHITEは買ったけど、やっぱりバグまみれだった。 昔、任天堂がバンダイの著作権を侵害したとき、
山内組長がバンダイに行ってバンダイの社長に非を詫びて、
金額の書いてない小切手を渡したら
バンダイの社長が0書いて返した話好き >>136
バンダイがRPGか何かを商標登録して引っかかったのかな ttp://loderun.blog.so-net.ne.jp/2008-07-15
ここから引用
私はレオナルド・グリーンバーグ会長とともに日本へ行き、任天堂の山内社長の元を訪れた。
当時、我がコレコ社と任天堂はいくつかの製品を共同で開発していたからだ。
彼らはコレコビジョンに興味を持ち、原価に10パーセント上乗せした金額で買い取りたいと申し出た。
しかし会長のレオナルドは、小売価格から10パーセント差し引いた金額での取引を望んでいた。
結局交渉はご破算となり、山内はこう言った。「任天堂は、自分たちでゲーム機を開発しますよ」、と。
レオナルドは大笑いして、彼らにそんなことは絶対できるわけがないと思ったそうだ。
――― コレコ社の技術・製造部長を務めたバート・ライナーの回想 あの大企業の社員共がよりにもよって価格コムやら2chに大挙しておしよせ、他社ユーザーへ蔑称を名付けた挙句
罵詈雑言の嵐。
ゲートキーパーの事がバレて
自称クソニー信者とやらの声がぴたっと止まった日があったらしい
これはもはや伝説 よく考えたら、ゲームボーイは製造期間が長かったせいで、CM上で2回も喧嘩売られてるんだよな >>135
年表に
平成10年 カード製造ラインを新設
とあるから、
ポケモンのTCGもここの製造っぽいな。
平成13年には本社工場を新築移転とあるから、めちゃくちゃ儲かったんだろうなあ。 ポケカに限らずTCGなんて全部札刷ってるようなもんだろ コナミが遊戯王のカード作ってるときにそういうことを言っていたとかなんとか 昔最大公約ショーって番組で、任天堂にバーチャルボーイ売れなかったら番組のスポンサーになれとか言って手形押させてた。(任天堂は当時裏番組のマジカル頭脳パワーの提供してた)
見てて流石にこれは売れねぇだろ…って思ってたら、案の定爆死。いつの間にか番組も終わってた 株主「赤字なんだから、リストラしないんですか!?」
岩田「リストラはしません。社員が怯えながら作ったソフトは、人の心を動かさないからです。」 桝田省治
広告代理店に勤務しクライアントの1つであるハドソンの担当をしていたが
桃太郎伝説の製作に苦戦してたさくまあきらに強引に引き込まれる
ここで実績を挙げたことで後の天外魔境の開発でもほいほいと手伝いをさせられることになる
(この時まだ広告代理店の一社員)
仕事を終え、元の会社に戻ると自分の席は無かったとう…物理的に >>124
こういう古風な商売人気質が大人から見た任天堂の魅力だけど、新自由主義者にとっては否定したい存在なんだろうな Wikiには載ってないし都市伝説なのかも知れないけど、DSシリーズのランプ類の色は色弱気味の人でも認識しやすくする為で、任天堂に届いた少年の手紙から始まった
そしてそれはスプラトゥーンのインクの色にも受け継がれているっていう話 任天堂と和多田印刷との関係についてはこんなものがある。
ttp://eritokyo.jp/independent/ikeda-col2014-8-222.htm 初代Xboxの初期開発機はフルタワーPCに専用ボードぶちこんだもので邪魔だったが、PS3のそれはメガサイズの巨大なピザボックス型で常にファンが爆音で周り室温がみるみる上昇するモンスターだったという伝説
正式な開発機はどちらもまともだったけどね 岩田が電卓でゲームを作り友達に遊ばせたり
MOTHERを一からプログラムし1年で完成させたり >>36
スクウェア移籍の件についてファンサイトに書き込んでたな
まだ2chも無かった時代 >>41
その手の話なら
ヒマラヤ登頂で唯一生き残った電子機器がDSだったというのもあるな >>72
マジかよ
ダーククロニクルスレだったかな、
日野みたいなのがスレにいて、どんどん意見くれって言うから、
ゴルフとか蛇足でいらねーんだよって書き込んでやったのに反省してなかったんだな >>162
最近だと300m上空から落としても画面が割れないスイッチか
あとは市中引き摺り回しの刑にあったGCとか 任天堂旧本社の前で、犬の散歩をしている宮本さんにばったり会った、俺
ニンテンドックスが人気になってた頃。 >>109
泣いた。゚(゚´Д`゚)゚。
こういう良スレがたまに現れるからゲハはやめられない 岩田さんの、チョコレート菓子ガツガツ食べてても全て糖分が頭脳労働の回復に使われて
糖尿病じゃなかった事。 >>38
飯野賢治は話題作りのため、わざとあのような過激なことを演じていた。
本人はいたって真面目な普通の人。 俺の従兄弟が東大行って、任天堂に就職した。
ヒーロー状態 1999年頃、ゲーム業界への参入を目指すマイクロソフトが任天堂を250億ドル(当時で約1兆円)で買収する計画があった。
買収は、成功せずにおわるが。
宮本茂を「現在の給料の10倍」(約10億円)で引き抜こうとしたものの、宮本は「(任天堂には)仲間がいるから」と言って断ったとされている。
その後にマイクロソフトはXBOXを立ち上げる事となる。 セガはMSに買収されたほうが100倍よかっただろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています