SEGA SATURNで落ちぶれたSEGAとNintendo 64で神作連発の任天堂の差は何? [無断転載禁止]©2ch.net
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どこで差がついたのか
スーパーファミコンとメガドライブでは差無かったよね FF7が分岐点
これがサターンだったらセガが勝てててSONYが死んでた セガサターンというネーミングもダサいし
本体デザインもダサいし
コントローラーのデザインもダサいし
「セーガー」っていうサウンドロゴもダサいし
とにかくすべてがダサかった サターンはスタートでPSの値段見て慌てて値下げに走った段階で色々もうダメだったような…
ついでにゲームアーツしか付いていけんようなハード設計も メガドライブが大正義過ぎた上に
メガCDや32xのせいでセガサターンの足引っぱてたから そもそも44800円で覇権狙えると思ってたのだろうか >>4
待てせーがーは好みあるかも知れんがサターンの起動画面はカッコいいだろ セガはソニーのネガキャンをまともに食らったからなあ
ソニーがいなければまだセガのハードも出てたと思う サターンは名作多いけどな
2Dならこれ以上のものはないし >>3
その前に世間的にはPSに流れてたからスクウェアはFFをPSに決めたんじゃねーの?w そうFF7で状況一揆に変わったからな
FF7がサターンだったら今任天堂と闘ってたのはセガだったかもしれん >>10
結局3D主流になったのが運のつきだったな…しかもその3D主流の流れ作ったのが他でもないセガのバーチャってのがまた >>14
ポリゴン数こそサカーンの方が少なかったが綺麗だったけどね
PSのポリゴンは隙間だらけだし発色もイマイチだった
ポリゴン数、半透明、動画の綺麗さで負けたけど >>12
>>13
いやいや無いでしょw
サターンがちょっと頑張ったのって日本だけだぞ?
世界市場ではハナッから壊滅的に売れてなかったんだから
発売から2年ほども経った時には、世界全体でみりゃもう完全にPS勝利だったわけだよ
世界規模で知名度あったFFをサターンにするなんてまずありえなかったろ アメリカ市場にどれだけ受け入れられてたかの差
アメリカ市場でそこそこやれれば潰れないで済む セガの失敗
・セガサターンと同時にメガドライブも後付け周辺機で性能アップして同時に展開しようとしたこと
・サミーと合併した事 >>19
任天堂は64GCの時そんな感じだったからなあ ダライアス外伝とかPS版とSS版の差ひどかったなあ
PS版はスタートした瞬間からフレーム落ち発生するという >>20
パチマネーに助けられている部分もあるので
サミーについては失敗ともいいきれないんじゃね? プロ野球チームをつくろう!は64のどのゲームよりも面白いから サターンはPSより遥かに良い機種だったのにもったいなかったね
セガはマニア向けに走りすぎるんだよな サターン面白いゲーム多かったけどな
まぁゲハは売り上げ重視みたいな部分あるからでぃすられるのは仕方ないね 3月に出た「セガ vs. 任天堂――ゲームの未来を変えた覇権戦争」という本の書評にちょっと引用が載ってた。
この本セガ側が主人公というか、セガ・オブ・アメリカのトム・カリンスキーが主人公らしい。
だが、何にも増して任天堂の復活を可能にしたのは、
同社のゲーム体験を特徴づける「良質のゲーム」へのこだわりだった。
タイトル数ではいまだにセガの後塵を拝していたが、
任天堂のソフトも急ピッチで拡充されつつあった。
しかも同社の観点からすると最悪、そこそこ、平均点以上という
質的にもばらばらなソフトの寄せ集めにすぎないライバル企業のラインアップと異なり、
任天堂のゲームはいずれも一定以上の品質水準をクリアしていたのだ。
これはセガと任天堂の間に横たわる根本的な違いをよく表していた。
セガは一部のゲームが標準以下の品質だったり、奇抜すぎたり、暴力的だったり、
あるいは内容が性的すぎたりすることを特に問題視しなかった。
セガはあくまでも選択肢を与えることの重要性を信じており、
何が良いゲームで何がそうでないかは最終的には消費者が判断すべきだという哲学を信奉していたのだ。
対照的に、任天堂はこの自由放任主義に反対の立場を取り、
ソフトの評価プロセスでもっと主導権を発揮すべきだと考えていた。
厳しいルールの下で管理される開発サイクルから、ゲームを中心に展開されるマーケティングまで、
任天堂は小売、日常業務、流通を管理するのと同じやり方で創造的なプロセスを管理しようとした。
「管理」という言葉を多用しすぎれば、いつか突然「ビッグブラザー」が姿を現すのではないかという不安を招きかねないが、
任天堂の動機によこしまな意図はまったくなかったことは強調しておく必要がある。
同社はむしろ、良い意味での「兄貴分(ビッグブラザー)」の役割を引き受け、
幼い弟が誕生日や歯が生え変わる時にもらったお小遣い、
あるいはリビングの長椅子のクッションの間から見つけた小銭を無駄遣いせず、
貴重なゲーム体験を得られるように世話を焼こうとしたにすぎない。
このようにゆっくりと着実に顧客層との信頼関係を築く手法は、
今すぐにでも『ソニック・ザ・ゲッジホッグ』を入手したい消費者にとってはまるで無意味かもしれないが、
任天堂はセガのゲーム機を買った人々も何度か駄作をつかまされれば必ず見方を変えるはずだと信じていた。
結局、面白いゲームが多かった、というのは
つまんないゲーム掴んじまった人に対しては何の言い訳にもならないって事なんだろうなあ。 世の中そんな単純じゃないからな
良いもの作ってりゃそれでいいんだ…
真実はいつか明かされる、正義は勝つ…
なーんてそんな簡単な話が真だったら苦労はせん
評価の高い良質なゲームをつくってたところが商売下手で簡単に潰れ、
平均以下のゲームを連発しながらも宣伝上手だったり、上手い立ち回りをしたりで今でも残ってるメーカーもある
アタリショックっていうのも、巷で信じられている「クソゲーつくりすぎてゲームの価値が下がってバブルがはじけた」ってのは実は大嘘だしね >>4
「せーがー」はむしろセガサターンからは不採用になってるんだが。
オマエ本当にリアル世代か? >>22
アケゲー・海外含め最盛期はメガドラ時代
寧ろ海外で爆死したサターンは暗黒時代レベル >>22
それは国内だけの話で海外込だとセガハードで一番売れなかったハードだぞ
実際サターンの赤字で死にかけた サターンはバーチャというアジア人気しかないゲームをメインにしたのが失敗の始まり
3Dソニックが無いのも致命的
サクラ大戦といい、 >>35
DCじゃないの?世界で売れなかったセガハードって >>1
それでも国内でセガサターンに負ける64も哀れだなw サターンはバーチャというアジア人気しかないゲームをメインにしたのが失敗の始まり
3Dソニックが無いのも致命的。
3D、海外展開の弱さから、FFがPSを選択したのも必然か。
例えPSにFFが出なかったとしても、サターンではなく64で展開していただろう。
いわばサターンの敗北は必然であった。
中期の目玉がサクラ大戦だったり、トコトン海外に弱い時代遅れのハードだったな。 >>37
DCはまだサターンと比べれば海外で健闘した。
サターンはそれだけ売れなかった。 2Dに強いサターンなのに2Dソニック新作出さなかったのが敗因
さっさとジェネシス切り上げてロンチ近くにソニック4発売してれば海外で天下取れた ハード設計で負けてたんだよ
PSは取捨選択しまくってプラス面を充実させたが、サターンはあれもこれもやろうとして結果、当時訴求力MAXだった3D性能がPSに劣り、
ハードも色んなチップが積まれて値下げが簡単にできない構造になってしまった
一方PSはわかりやすくプリレンダムービーとポリゴン能力に特化し、尚且つサードが参入しやすい環境を作りまくった
ハードも単純な構造で値下げも容易にできた
もう最初っからサターンは負けが確定してたんだな >>42
完全に流れは3Dポリゴンだったのにサターンの仕様は謎だよなぁ
しかも3Dポリゴンの流れ作ったのセガ自身なのにな 参入障壁となる流通面をソニーは最初からクリアしていたどころか玩具流通よりも大きなCD流通を押さえてたからその時点で資金力の差が出ただけ
しかもソニーは卑劣さでは任天堂をはるかにこえることができた
こんなところと正面から対抗できると考えたセガがバカだった 当時状況としてはSSが優勢、次にPS。64は糞ガキ以外には売れていなかった。
カセットにこだわって、ソフトも厳選されてたが、ハード争いには加われなかった失敗ハード。
流通に失敗して、ヨッシーストリーやJ2のようなワゴンも多かった印象。 >>44
当時の話としては、単純にセガはまだ家庭用ゲーム機が3Dポリゴン世代になるのはもう一世代後になると思ってたのよね。
それが家電の雄ソニーがライバル機を出してくるってことになり、その詳細を掴んだらなんとびっくり3Dポリゴンを実現化させたハードだったんで
あわてて設計段階のサターンに急きょ大変更を行った。
それがあの変な仕様につながっている。
パーツ選定もほぼ済んでた段階だったので、もう半ば無理やりCPUx2にしてポリゴンの頂点演算性能だけはPSとほぼ同等にして、
2Dハード用の描画チップでポリゴンを描写した(変形スプライト)。
結局、苦肉の策だったんだな。
どちらにしてもセガが駄目だったというよりかは、ソニー(久夛良木)が凄かった、って感じ N64対策の意味もあっただろう
セガが断ったSGIと組んで究極のゲーム機を作るって言われてたからな
結果出来たのがサターンw >>47
96年64発売〜97年FF発売前位の国内の話だな
その後64は国内でもサターンと同程度に売れ、全体的にはDS発売迄PS一強時代に進んでいく >>51
海外で売れてなかったのはDQ
FFは海外でも売れてただろ FFは人気だったろ海外でも
むしろ当時日本のゲームでFFより受けてたのって任天堂のブランドタイトルくらいだろうしな >>51
FF7以降と比べれば地味だが、6の時点でそこそこ売れていた
だからこそ、海外進出を本格化するためにも
3Dに強いPSの選択は必然だった。
もしサターンで出て、3D表現に乏しいFFだったならばあんなに世界的大ヒットはしなかった可能性も高い >>54
サターンは北米で発売当初から目も当てられないほどの爆死してたんだから海外をちょっとでも意識したのならSSは絶対に選択肢には入らんわな まぁ当時は日本のゲーム会社はどこも海外向けにはそんなに考えてなったと思うけどもね
(利益を確保するのに海外なんかまったく当てにして無かった、という意味で)
だからFF7が海外市場を意識してたかどうかはちょっと疑問はあるが…タイミング的にはそろそろ考えはじめてた時期ではあったのかもな >>39
会長がソニック降ろしてペパルーチョにしたのがドン判だ
大川が解任したのも当然の結果 >>3
それな
それまではアケ移植が鉄板だったがFF7以降はCSオリジナルでも面白いっていう見識が生まれたよね
実際、数も売れたし
その後もSTVやnaomi互換のドリキャスとセガはアケ移植をメインにしていたがその頃アケではバーチャ2から3への移行時期でそこら辺の読みが外れた 日本だけ見るとそうだけど
サターンは海外で売れなかったから
時岡オカで世界ギネス記録した64の立場と全然違うんだなあ セガCSの主力市場である北米でスーパー32Xとサターンをほぼ同時期に出したのがいけない
ソフトが分散して北米サターンはソフト不足で出足から躓いた
93年末に32Xとジェネシス一体型のネプチューンを同発して早期にバーチャ1を投下して
北米でバーチャを広めるぐらいでないとな
AC全盛期の当時の日本と違って
すでにACが衰退した北米ではセガのアーケード発のタイトルを宣伝する場が無かった
北米のキラーソニックはCS発だし、セガは国内ACと海外CSの連絡が悪すぎた
当時の任天堂とNOAにも言えることだけど 半透明が無いから他より見た目が悪いってのがある
PSで剣の残像とかが綺麗で派手だった ほとんど全てのシリーズ物が終わってセガとかもうほとんど空気だもんなw
龍が如くと一緒にCS閉めてもええぞ >>63
アトラスまで吸収してるからセガ自体は完全体セル
セガがなくなる前にパチンコが先に終わりそう >>23
処理落ちのおかけでシャコとかも随分戦いやすくなったけどね。 >>47
アラフィフの糞爺がこんなこと書いてるとか、泣けるよな セガとしては全盛期だろ、
Model 2、AM2研、鈴木裕の全盛期だ。 海外人気の差だな
ユーザーの愚かさを理解できず、せっかく北米で大人気になったソニックを封印したセガ
ゲームボーイ・スーパーファミコン・64すべてでマリオ地獄を展開した任天堂
バーチャファイターも海外人気がないし負けて当然 負けたからと言う理由でセガに眼中が無かった奴が多かっただけで
実はPS・64・SSのうちSSに興味がない奴は
DCの頃のセガゲーを見るとだいたい驚愕する >>70
悔しいけど64よりもサターンの方が人気はあったよ。64はソフトが全然出ない上にソフトが売り切れたら再生産が遅かったので苦戦した。
しかもPSやサターンよりも本体が出るのが遅かった上にマリオ64など短期間で新しい振動パック対応バージョンが出たから仲間達に大笑いされたし >>71
たぶん勘違いしてるけど
俺が言ってるのはサターンとドリキャスってセガの方向性が逆だから
サターンが苦手な奴(特に64派)は変な偏見を持たなきゃドリキャスのセガゲーすげー馴染むぞ
って話 メガドラ サターン ドリキャス
セガのハード一つも買ったことなかったけど
セガのソフトが成熟してたのってドリキャス時代じゃなかったのか? セガの企業風土と任天堂の企業風土の違いでは
セガって大企業としてまともな体制じゃなくて
役職とかメチャクチャで役職名でお茶汲み係みたいのもいたんでしょ
一般職じゃなくて男の総合職で メガドライブでもSEGAはそんな神作なんか連発してないわな
日銭がガッポガッポ稼げるアケードと違って当事コンシューマーは
日陰部署、タイトルは移植ものでも外注連発、高卒プログラマーに
丸投げするようなとこだぞ、高卒がソニックつくって化けた >>75
元々メガドラ(ジェネシス)は海外ではスーファミ以上に強かったから任天堂をくるしめたしな。ただ、セガサターンも海外で売れなくしたセガのマヌケさも見られたがw
ちなみに64は逆で日本ではセガサターンにも負けたが海外では売れている。 >>66 お前は何歳だよ、クソガキ。
当時は幼稚園児でちゅか? サターンはハード構成がよくなかった
異常に複雑な構造になっておりPSに負けた原因でもある メガドラ売り続けたかった海外と
サターンに移行したかった日本
負けてる側が足並み乱れてたらそりゃな >>82
そうだ
メガドライブにサターン並のCPUを積んで凄いハードにしたスーパー32Xを(略) 3Dが得意なPS
3Dに特化した64
セガだけが時代を見えてなかった >>82
ゲハで色々たらればを考察されるけど
母体がセガであるかぎり何やっても結局勝てなさそう その横には、3Dナニソレな性能で壮絶に爆死したPC-FXというハードが サターンは負けるべくして負けたって感じだな
ハード設計もそうだけど18禁エロゲー解禁とかも論外だし
メモリーカードも馬鹿みたいにデカかったしデザインも洗練されてなかった
ロクヨンとプレステは新しいゲーム機って感じだけどサターンは同世代なのにちょっと古臭いじゃん サターンって日立とかビクターの家電メーカーも巻き込んでおり、おそらくそれらメーカーの意向もあり、
松下の3DOのようなマルチメディア端末を志向していたのであろう。
結果的には3DOは終焉を迎え、サターンは製造コストと販売価格のミスマッチに苦しむ事になるわけだが。 >>87
パワーメモリーの壊れやすさは最早伝説
本体はPSより頑丈なのにな… そういやPSの性能にビビって直前にCPUを無理やり二つにしたんだっけな
だからハード設計がチグハグで性能が出にくいとか
そうなるとCPUが二つの分だけ製造費も余計にかかるからコストダウンもしにくいしな
>>89
パワーメモリー自体じゃなくて端子の接触不良じゃなかったか?
接触不良の状態でデータ上書きなんてしたら完全に飛ぶわけだし
壊れたようなもんだけど そうそう本体側のカートリッジ端子が設計レベルでおかしいんだよな
格闘ゲーム用のROMカートリッジ/RAMカートリッジなんかも認識しないことが多かった >>90>>91
破損データだらけになるんだよな
たがら現在進行形の大寺なデータは本体から動かせなかった 国内セガと海外セガの対立
ソニック封印
ハード設計のちぐはぐさ
と、負けるべくして負けたハードなんだけど、何故か当時調子乗りまくってた首脳陣はこれで勝てると思い込んでた節があるのが痛々しい
メガドラがちょっと海外で健闘した程度なのにな 正直正式名称決まった時に不安の種は膨らんでたな
で、Beメガ時代にあれだけ海外の活躍が伝えられてたのにサタマガになってからパッタリ途絶えたんであっ…てなった >>4
サターンはせーがーなんて言わねぇよクソにわかが。 >>84 と >>88
な様にSEGA経営陣の低知能さが全てとしか言いようがない 未だにサターンボンバーマンが最強のボンバーマンだと思ってる
一人用でもマルチでも パワーメモリーのデータがよく消える!
と言ってた知り合いだが
電源を入れたまま抜いていた時は
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