革新的な作品を生み出せる可能性を持つジャンルは今やゲームだけ
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漫画も映画もアニメもドラマも小説も
曲がりなりにもデビルマンみたいな宣伝ができる作品はこれから全く出てこないピークアウトした産業だよな
http://kai-you.net/press/img/eeREREREdevilman_30d_1225-01.jpg 20時間で一つの世界を表現するゲームと、2時間で表現する映画を比べちゃ可愛そうだよ
ま、ゲームの10分の1の面白さがあれば十分ってところじゃないかね インタラクティブなことができるゲームと違ってそれ以外は
もうあらかたのパターンが出尽くした感はある
でもゲームももう似たような状況だと思うがな まだまだテレビゲームは能動性が高いからね
それ故娯楽のメインストリームには成り得ない http://bunshun.jp/articles/-/3899?page=1
> 1962年に『スペースウォー!』が登場し、ビデオゲームは成長し、拡大していったが、記号を操作して「アクション」させるという基本動作は変わらないままだった。
>その単純な動作にプレイヤーを感情移入させるための仕掛けが「競争」や「戦闘」という要素だった。
>この構造は、現在の最新のゲームにも継承されている。3DでもVRでも基本は同じだ。
テクノロジーの多くはシチュエーションに没入させるための臨場感を作るために使われる。
>映画ではアクションの選択は監督が握っているので、「戦闘を描かない戦争映画」の秀作、傑作が生まれてきた
>ではビデオゲームでそれは可能なのか? その問いに対する私なりの回答(と苦闘)が30年以上にわたる『メタルギア』の制作だった。
>ゲームというメディアが本来的に「戦い」や「競争」と相性がいいのだとしても、「反戦・反核」を訴えることはできるし、伝えることが必要だと思っていた。
その思いが『メタルギア』を産んだのだ。
>では、『メタルギア』以降のゲームはどこにいくのだろう?
>ゲームは、そろそろ「なわ」を手にしてもいい頃だろう。
「競争」だけではなく、善い空間を引き寄せて結びつける「なわ」のゲームが生まれてもいいのではないだろうか。
勝ち負けによって敵と味方を二分するのではないゲーム、勝ち負けとは違うレベルの繋がりが必要なのではないだろうか。
>そんな決意のもとに現在取り組んでいるのが『DEATH STRANDING』である。 >>6
ゲームから能動を取ったらゲームではないと思うの。 >>7
何か微妙にピントがズレているような…?
シミュレーションだって戦略SLGから恋愛SLGまであるし >>10
皮肉な話だが、同じコナミのときめきメモリアルは、エロ抜きに恋愛をゲームで描けるかに挑戦した結果だからあんまりピントがずれた話じゃないと思う。 >>11
そんなに戦闘とエロ以外のものを思いつくのが大変だったのかよって思っちゃう
まあコロンブスの卵的なところもあるんだろうが >>1
デビルマンの話で行くとゲームもゼルダとかウィザードリィの系譜だらけやん
音ゲーでも格ゲーでもデビルマン的な存在は幾らでもいる ファンタジーって本当は「こういうもの」
https://www.youtube.com/watch?v=a-PR_1guHSM
であるはずだよね
なんかいつのまにかイケメンが大剣持ってるだけの世界になっちまったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています