JRPG的な想像力ってのは、あくまでドットやローポリデフォルメの世界だから成立してたわけで
それを現世代機のグラフィックでやっても「ファンタジーの不気味の谷」というか「ハイパーリアリスティックなアニメ絵」がゲーム世界全体に違和感を生むだけだからなあ
FF15もホストホスト言われてるがFF7リメイクのクラウドも十分ホストなわけで方法論自体にそもそも問題がある

それはたんにキャラクターの表現についてだけではなく、世界観についても同様であり、ローポリのポリゴンだから許されていた漫画的な世界観、お約束というものが
リッチでリアリスティックなグラフィックで条件付けられた世界の中では、どこか不自然で違和感を生むものになり、そのユニークさもろとも窒息死させられてしまう
おそらくクラウドの女装とか、蜜蜂の館シーンとか、明らかにゲイっぽい連中の登場するシーンとかはカットされるか大幅に内容の偏向を余儀なくされるだろう
しかしそれこそが実はFF7、いやJRPGの魅力なのであって、そういう漫画的なジョークやユーモアに代表される想像力は、写実的なリアリズムとはすこぶる折り合いが悪い
何もかもをシリアスに描こうとすると、本質として「おとぎ話」でしかないJRPGは滑稽にしか見えなくなる

また、JRPGのもうひとつの特徴は、それが「見る体験」ではなく「読む体験」だということにある
舞台劇を眺めるように俯瞰視点からキャラクターのテキストウインドウを通じて大量のテキストを読ませることでキャラクターと世界を物語るのがJRPGだが
これを現代的なゲーム体験に置き換えるのはかなり困難をともなう
FF10以降のJRPGはそれをカットシーンによって置き換えようとしたが、これはゲームプレイからの切断を伴うので大半のゲーマーには受け入れられなかった
カットシーン以外の部分でキャラクターや世界を物語らせる方法はあるにはあるが、結果としてFF15のように単に舌足らずなだけになってしまうものが多い
あの量のテキストをきちんとリメイクで表現しようとすると、どうしようもなく冗長か舌足らずかのどちらかになってしまうだろう

その意味では三部作化というのは、テキストとして表現されたシナリオを丁寧に掬う意図があってのことかもしれないが、ビジネスとしては悪手と言わざるを得ない
まあこれほど最初から失敗することが決まっているリメイクというものもない