でも、このクラベの視点、立ち位置は、
ビデオゲームの1つの楽しみ方として、こういう楽しみ方があって、そこを楽しんでいるユーザーがいるという事実と、
そしてもしかしたら、というより恐らく、そういう楽しみを見いだしているユーザーがワールドワイドでかなりの規模で存在している可能性を(こちらは可能性として)認めざるを得ない気にさせる