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平成も終わりだしそろそろ平成のゲーム史について語ろうぜ
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0001名無しさん必死だな
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2019/01/24(木) 21:42:28.19ID:n+4ESkic0
1989年
3月21日 - セガ『ファンタシースターII 還らざる時の終わりに』。

4月21日 - 任天堂「ゲームボーイ」。別途ゲームソフトを購入して利用するタイプの携帯型ゲーム機としては、エポック社「ゲームポケコン」に次いで2機種目。

6月30日 - ハドソン『天外魔境 ZIRIA』。世界初のCD-ROMを媒体として用いたRPG。
CD音源による当時の家庭用ゲーム機の音源では到底奏でることのできない音楽と音声
による演出がされ、CD-ROMによる新しいゲームの幕開けとなった。

8月27日 - 任天堂『MOTHER』。
マクシス『シムシティ』。
Brøderbund『プリンス・オブ・ペルシャ』。ロトスコープによって製作されたプレイヤーキャラクターのリアルで滑らかなアニメーションが特徴[28]。

10月 - アタリコープ「Atari Lynx」。

12月 - カプコン『ファイナルファイト』。

12月15日 - コナミ『グラディウスIII -伝説から神話へ-』。グラディウスシリーズ中難易度が高い事で有名であった。

12月15日 - スクウェア『魔界塔士Sa・Ga』。ゲームボーイ初のRPG。スクウェア初のミリオンセラー作品でもある。

1990年代
1990年
2月11日 - エニックス『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』。

4月1日 - ナムコが国際花と緑の博覧会に『ギャラクシアン3』を出展。 当時の最高水準の技術で、28人同時プレイの体感ゲームとして過去にない壮大なゲームとなった。閉幕後はナムコ・ワンダーエッグに移設。2000年末に廃棄された。

4月21日 - セガ『時の継承者 ファンタシースターIII』

4月27日 - スクウェア『ファイナルファンタジーIII』。
6月 - セガ『コラムス』発売。初めて連鎖というシステムを組み込んだ落ち物パズル。

9月 - アムストラッド「GX4000」。イギリスで発売されるが商業的に失敗。

10月6日 - セガ「ゲームギア」。日本国産初、カラー液晶を搭載したカートリッジ交換式携帯ゲーム機。

11月21日 - 任天堂「スーパーファミコン」。ファミリーコンピュータの後継機。『スーパーマリオワールド』も同時発売された。
SNK(旧社)「ネオジオ」。家庭でゲームセンターのゲームができるといううたい文句だった。当初はレンタル機として提供された。

12月 - コモドール「Commodore 64 Games System」。コモドール64をゲーム機としてデザインし直したものだが商業的に失敗。

12月1日 - NECホームエレクトロニクス「PCエンジンGT」。世界初となる据え置き型ゲーム機との互換性がある携帯型ゲーム機。

12月7日 - ハドソン『ボンバーマン』(PCエンジン)。シリーズで初めてプレイヤー5人での対戦が可能になった作品であり、バトルゲームの提案を始めシリーズの発展に大きな貢献をした藤原茂樹が初めて関わったシリーズタイトルでもある。
アタリゲームズ『ピットファイター』。実写取り込みのキャラクターによる対戦型格闘ゲーム。
0002名無しさん必死だな
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2019/01/24(木) 21:43:24.50ID:uUHBMqWDM
海外にもゲームあるのになんで平成が終わるからって語らなくちゃいけないんだ
0004名無しさん必死だな
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2019/01/24(木) 21:51:23.93ID:n+4ESkic0
1991年
3月 - AOL『Neverwinter Nights』。世界初のグラフィカルMMORPG。インターネットが未発達の時代であり、
AOLのパソコン通信サービス上で運用された。
3月 - カプコン『ストリートファイターII』。社会現象にもなり、
対戦型格闘ゲームをジャンルの1つとして定着させた。
4月20日 - バンプレスト『スーパーロボット大戦』。スーパーロボット大戦シリーズの始まり。
7月1日 - 「ネオジオ」の一般販売が始まる[29]。
7月12日 - 『ファミコン通信』が週刊化される。
7月19日 - スクウェア『ファイナルファンタジーIV』。
6月23日(日本では7月26日) - セガ『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』。日本ではそこそこの売上だったが、海外では爆発的ヒットを記録。これとサードパーティーの囲い込み成功のため、
海外での「メガドライブ(海外名称ジェネシス)」のシェアを「スーパーファミコン(海外名称SNES)」に
対抗しうるまで持ち上げる。

10月25日 - コンパイル『ぷよぷよ』。翌年アーケードゲームに移植され、
落ち物パズルの対戦のはしりとなる。
11月25日 - X指定(フェアリーテール)のアダルトゲーム『沙織 -美少女達の館-』を中学生が万引きした事件に端を発し、『沙織』発売元等関係各社を京都府警が家宅捜索(沙織事件)。
コンピュータソフトウェア倫理機構設立のきっかけとなる。

12月 - フィリップスがCD-iプレイヤーを発売。
12月12日 - セガ「メガCD」。
12月13日 - NECホームエレクトロニクス「SUPER CD-ROM2」。
任天堂が日本で小売店のフランチャイズ制度「任天堂エンターテイメントショップ」を開始。
これに加盟した小売店は任天堂機の人気ソフトが優先的に供給された。[30]

1992年

1月9日 - 任天堂とフィリップスがスーパーファミコンの周辺機器「スーパーファミコンCD-ROMアダプタ」を1993年に発売予定にすると発表するもお蔵入りに(この企画にはソニーも加わっており、
スーパーファミコンとCD-ROMアダプタの一体型のマルチメディアマシン「PlayStation」も発売する予定だった(後述のPlayStationとは別物))。
2月28日 - 公正取引委員会がゲームソフト卸売会社藤田屋に対し、『ドラゴンクエストIV』の抱き合わせ販売について独禁法違反として排除措置命令を審決(藤田屋事件)。[31]

3月7日 - チュンソフト『弟切草』。アドベンチャーゲームの一形式としてサウンドノベルを創始。

3月26日 - ハドソン『天外魔境II 卍MARU』。CD-ROM媒体によるRPG。

4月 - 家庭用コンピュータゲーム販売チェーン各社の団体であるジャパンテレビゲームチェーン協会(JAG)が設立される。

4月1日 - 日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(パソ協)がゲームタイトルに性的描写の存在する旨を伝える「18禁シール」を製作、販売。

4月13日 - アメリカの発明家ジャン・コイルがセガを相手取り提起していた特許侵害訴訟で、セガに43億円(当時)の支払いを命ずる判決が下る。[32]

4月27日 - 任天堂『星のカービィ』。後に大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ等を手がける桜井政博のデビュー作。

5月5日(日本では1994年) - id Software『ウルフェンシュタイン 3D』(「DOS」用ソフト)。世界初のファーストパーソン・シューティングゲーム(FPS)とされる。

5月21日 - 「Nintendo Entertainment System」用チートシステム「ゲームジニー」を巡って争われた「Galoob vs. Nintendo」について、
アメリカの合衆国控訴裁判所はゲームジニーが著作権を侵害していないとの判断を下す。[33]

6月26日 - ゲームアーツ『LUNAR ザ・シルバースター』
8月25日 - 日本のアダルトゲーム制作各社により、アダルトゲームを中心としたコンピュータソフトのレイティング団体、
コンピュータソフトウェア倫理機構(EOCS、ソフ倫)が設立される。

8月27日 - 任天堂『スーパーマリオカート』。日本におけるスーパーファミコン用ソフトとして売上本数最高記録となる。
9月27日 - エニックス『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』。
10月30日 - アトラス『真・女神転生』。『女神転生シリーズ』としては同社初の自社販売ソフト。多数のハードに移植され、後に同社の看板シリーズとなる。
11月21日 - セガ『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』。
12月6日 - スクウェア『ファイナルファンタジーV』。
12月17日 - エルフ『同級生』。恋愛アドベンチャーゲームの草分けであり、ストーリー重視のアダルトゲームの草分けでもある。
ミッド
0005名無しさん必死だな
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2019/01/24(木) 21:58:33.26ID:n+4ESkic0
1993年
1月29日 - ゲームアーツ『ゆみみみっくす』。CD-ROM媒体をフル活用したインタラクティブコミック。
2月16日 - 富士通「FM TOWNS マーティー」。パソコン「FM TOWNS」をゲーム機型に簡素化し普及を狙ったが失敗した。
世界初の32bit CPU搭載ゲーム機とも言える。

7月 - ハドソン『HI-TEN ボンバーマン』。世界初のハイビジョンゲーム[34]。
8月20日 - パイオニア「レーザーアクティブ」。
PCエンジンまたはメガドライブに対応した拡張パックを組み合わせることでレーザーディスクベースの専用ゲームをプレイできるレーザーディスクプレイヤー。

9月17日 - コモドール「Amiga CD32」。欧米圏で最初に32bit CPUを搭載したゲーム機。
9月23日 - セガ『ソニック・ザ・ヘッジホッグCD』。CD-ROM媒体による超音速アクションゲーム。
10月7日 - ナムコ『リッジレーサー』。アーケード用としては初めてテクスチャマッピングを施したポリゴン表示を実用化。
11月23日 - アタリコープ「Atari Jaguar」[35](日本では1994年12月8日発売[36])。
1995年9月21日には外付けCD-ROMドライブ「Atari Jaguar CD」が発売されたが[37]商業的に失敗し、
これを最後にアタリはハードウェア事業から四半世紀に渡り遠ざかる。

12月1日 - 任天堂「ニューファミコン」。ファミコン発売10周年を機にリニューアル。
12月10日 - id Software『DOOM』。
FPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)が一躍メジャージャンルになるとともに、
後の同ジャンルに多大な影響を与える。

12月17日 - セガ『ファンタシースター 千年紀の終りに』。
12月 - セガ『バーチャファイター』。世界初の3D格闘ゲームとして大ヒット。シリーズ化もされ第5作が稼働中。
日本国内での家庭用ゲームソフトの流通において、過剰在庫に起因する小売価格の暴落が頻発するようになる。[38]

1994年
日本において、ハードメーカー各社から相次いで新機種が登場。次世代機戦争などと言われた。
この頃になるとニュースなどでもゲームの話題が取り上げられるようになる。

3月 - 松下電器「3DO REAL」。
3月11日 - コナミ『実況パワフルプロ野球'94』。
4月2日 - スクウェア『ファイナルファンタジーVI』。
4月23日 - セガ『ヘブンリーシンフォニー』。CD-ROM媒体によるレースシミュレーションゲーム。
4月29日 - コモドールが倒産。
5月27日 - セガ『ソニック・ザ・ヘッジホッグ3』。
5月27日 - コナミ『ときめきメモリアル』。恋愛シミュレーションゲームの走り。
6月14日 - 任天堂「スーパーゲームボーイ」。スーパーファミコンでゲームボーイのソフトをプレイするための拡張機器。
8月 - エス・エヌ・ケイ『ザ・キング・オブ・ファイターズ'94』。
9月 - セガがセガユナイテッドを設立。日本国内において「セガサターン」のハードとソフトを専門に扱う販売会社であり、
一次問屋の機能を持つとともに大手ゲーム販売専門店との直接取引を行った。これによりセガは日本国内での販売店舗数を急拡大することに成功したが、
CD-ROMの生産設備を所有しなかったため、CD-ROMの特性を生かした柔軟な生産調整を行うことはできなかった。

9月9日 - エス・エヌ・ケイ「ネオジオCD」。
9月23日 - 光栄『アンジェリーク』。女性向け恋愛ゲーム(乙女ゲーム)の草分け。
10月18日 - セガ『ソニック&ナックルズ』。他のメガドライブ用ゲームカセットを差し込むロックオンカートリッジを採用。
11月22日 - セガ「セガサターン」。同時発売としてビクターVサターン・日立Hiサターンがある。
11月24日(日本では11月26日) - 任天堂『スーパードンキーコング』。
11月下旬 - セガ『バーチャファイター2』稼動。新たな3D対戦格闘ゲームの幕開けとなった。
12月3日 - セガ「スーパー32X」、ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation」。
12月23日 - NECホームエレクトロニクス「PC-FX」。
12月 - ナムコ『鉄拳』。バーチャファイターに次ぐ3D格闘ゲームとしてシリーズ化されロングヒットを記録。
エンターテインメントソフトウェアレイティング委員会(ESRB)が設立される。
米国およびカナダにおけるコンピュータゲームのレイティングなどの審査を行う団体。
0006名無しさん必死だな
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2019/01/24(木) 22:03:52.13ID:n+4ESkic0
1995年

スーパーファミコン用ソフトが大容量化により価格が高騰。1万円を越えるソフトが珍しくなかった。
Electronic Entertainment Expo(E3)の第1回が米国のロサンゼルスで開催される。
3月11日 - スクウェア『クロノ・トリガー』。
7月21日 - 任天堂「バーチャルボーイ」。サードパーティーがつかず、半年で新作ゲームソフトの発売が途絶える。同ゲーム機開発者の一人である横井軍平はその後、任天堂を自主退社してコトを設立。「ワンダースワン」の開発に携わる。
8月25日 - マイクロソフトがパソコン用OS『Windows 95』を発売。以後、Windowsがパソコン用OSのデファクトスタンダードとなる。
9月30日 - マイクロソフトがWindowsにおけるゲーム用APIであるDirectXのバージョン1.0をリリース[39]。
11月1日 - 任天堂、セントギガのBS放送を利用してスーパーファミコン向けデータ配信事業である衛星データ放送を開始、専用周辺機器「サテラビュー」を販売。
12月9日 - エニックス『ドラゴンクエストVI 幻の大地』。
12月15日 - ナムコ『テイルズ オブ ファンタジア』。
12月22日 - 『ファミコン通信』の誌名が『ファミ通』に変更される。

1996年
スクウェアが『ファイナルファンタジーVII』をPlayStationで発売することを発表。スクウェアが任天堂との決別を公言する。
これをきっかけに、SCEIと任天堂との力関係が逆転する。
コンピュータエンターテインメント協会(CESA)が発足。
1月26日 - Leaf『雫』。アドベンチャーゲームの一形式としてビジュアルノベルを創始。
2月 - スクウェアが子会社デジキューブを設立。日本でのコンビニエンスストアにおけるゲームソフトの販売のはじまりであり、
一次問屋としてのソニー・コンピュータエンタテインメントを介さない新たなゲームソフト流通網を構築する試みであった。

2月27日 - 任天堂『ポケットモンスター 赤・緑』。衰退しつつあったゲームボーイ市場が本ソフトの登場により復活する。
また、ゲームは綺麗なグラフィックでなければならないという概念が形成されつつあったのを吹き飛ばす。

3月22日 - カプコン『バイオハザード』。世界的にヒットしてホラーゲームを浸透させる。
3月28日 - バンダイ「ピピンアットマーク」。
4月 - コナミを先駆けとして、大手サードパーティーが日本国内でゲームソフトの自主流通(小売店への直接販売)を開始する
6月23日 - 任天堂「NINTENDO64」。
3Dスティックによるアナログ入力や、コントローラの振動機能を普及させる。

7月21日 - 任天堂「ゲームボーイポケット」。従来のゲームボーイを小型化したもの。
8月9日 - エコールソフトウェア『デスクリムゾン』。インターネットを中心にムーブメントの起こったカルトゲームの先駆け。
以後10年以上ファンイベントが行われている。
8月22日〜24日 - 第1回東京ゲームショウである東京ゲームショウ'96が東京ビッグサイトで開催される。
9月 - 3DO『Meridian 59』。世界初のインターネットベースの本格的商用MMORPG。3D描画を採用していた。プラットフォームはWindows。
9月 - Imagine Mediaが『Imagine Games Network』として自社のゲーム雑誌別に5つのウェブサイトを開設。
これが1998年に『IGN』ブランドの下で再編・統合される。

11月23日 - バンダイ「たまごっち」。発売後、社会現象にもなった。
12月6日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント『パラッパラッパー』、『クラッシュ・バンディクー』。
インターチャネル『センチメンタルグラフティ』の発売を発表。ゲームそのものは1998年発売となるものの、膨大な量のグッズとイベントなど関連情報を大量発信するスタイルを行い、
本編のゲームが無いのにヒット作という評価となる。日本におけるPlayStation用ソフトの販売契約方法(再販価格維持、
中古品売買禁止、同業他社への在庫転売禁止)をめぐり、独占禁止法違反容疑が浮上[38]。ソニーを支持するか否かについてジャパンテレビゲームチェーン協会(JAG)加盟のフランチャイズチェーン間で対立が生じ、
JAGは協調派のテレビゲームビジネス協議会と徹底抗戦派のテレビゲームソフトウェア流通協会(ARTS)に分裂した。
任天堂が問屋団体「初心会」を解散させ「一心会」に再編する流通改革を実施。二次問屋の排除が試みられた
0007名無しさん必死だな
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2019/01/24(木) 22:13:44.24ID:n+4ESkic0
1997年
1月14日 - エニックスも『ドラゴンクエストVII』をPlayStationで発売することを発表。

1月31日 - スクウェア『ファイナルファンタジーVII』。それまでのRPGの常識を覆したフルポリゴンRPG。PlayStationで発売されたことによって、
それまで売り上げが均衡していたセガサターンとの差を大きく開くきっかけとなった。
『ファイナルファンタジーVII』により「PlayStation」が次世代ハード戦争の覇者となる。
また、同作品のようにフルポリゴン化された画面やCGムービーの挿入など高度な画像処理を前面に押し出し、
ストーリー性などにも力を注いだた「重厚長大」な作品が人気となる。

9月24日 - オリジン・システムズ『ウルティマオンライン』。MMORPGとして初めての大ヒット作。
9月30日 - ローソンと任天堂が日本国内のローソン店頭でのゲームソフトデータ販売サービス「ニンテンドウパワー」を開始。
当初はスーパーファミコン用ソフトがサービス対象、2000年3月1日にはゲームボーイソフトも対象に。
10月 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本の小売店の不良在庫となったゲームソフト約200タイトル(70万本)を1本あたり2000円で回収する。
ソニーが家庭用ゲーム機ビジネスに参入するにあたって日本において構築した流通システムが機能不全を起こしていることを示す出来事であった。

11月 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが従来小売店に課していたPlayStation用ソフトの値引き販売禁止政策が消滅し値引き販売が一般的になる。
12月 - コナミ『beatmania』。音楽ゲームの先駆け。
セガとバンダイが合併し、新社名をセガバンダイとすると発表。しかし、後にこの計画は解消された。
セガがセガ・ユナイテッドをムーミン(問屋)と合併しセガ・ミューズへ再編。
ソニー・コンピュータエンタテインメントの流通システムに倣い小売店への直販化やソフトのリピート発注の迅速化を行う流通改革を行った。
任天堂系問屋団体「一心会」が解散する。
12月18日 - ハドソン「てくてくエンジェル」。世界初の育成散歩計。ゲーム付き歩数計市場を構築するきっかけとなった。以後シリーズ化。

1998年
1月14日 - コンピュータエンターテインメントソフトウェア協会(CESA)、コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)、
日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(JPSA)が合同で「違法中古ゲームソフト撲滅キャンペーン」を開始する。

1月20日 - 公正取引委員会がソニー・コンピュータエンタテインメントに対して独占禁止法に基づく排除勧告を行う。
ソニー・コンピュータエンタテインメントは応諾せず、審判手続へと移行した。
1月30日 - 任天堂「スーパーゲームボーイ2」。ポケモン人気を反映してか、ゲームボーイポケット用の通信ケーブル端子を備えて発売された。
本体色も、当時流行のスケルトンカラー(青)である。

3月27日 - 任天堂「スーパーファミコンジュニア」。スーパーファミコンのモデルチェンジ版。
4月6日 - セガ『バーチャファイター』。コンピュータソフトウェアとして歴史的な足跡を残したことを評価され、スミソニアン総合博物館に各種資料が保管されることになる。
4月14日 - テレビゲームビジネス協議会加盟各社によりテレビゲーム専門店協会が設立される。
9月3日 - コナミ『メタルギアソリッド』。世界戦略を最初から視野に入れたゲームソフトの先駆け。
10月21日 - 任天堂「ゲームボーイカラー」。
10月28日 - エス・エヌ・ケイ「ネオジオポケット」。ドリームキャストとの連動で話題になる。 
11月27日 - セガ「ドリームキャスト」。湯川専務が出演する自虐的なCMで話題になる。
日本において中古ゲームソフトの販売を違法とみなし排除を目論むソフトメーカーと、
中古ゲームソフト販売を求める小売店団体(テレビゲームソフトウェア流通協会)の対立が深刻化し、
法廷闘争に発展した(中古ゲームソフト裁判)。
この年から日本ゲーム市場の利益が減収へとシフトしはじめる。
以後、日本ではニンテンドーDSの記録的ブームとなる2006年まで売上本数や利益の減少、および市場の縮小が続く。
0008名無しさん必死だな
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2019/01/24(木) 22:26:49.31ID:n+4ESkic0
1999年
1月21日 - 任天堂『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』。高いキャラクター性と対戦ゲーム性を両立した作品として話題となる。
2月11日 - スクウェア『ファイナルファンタジーVIII』。記録的な売り上げを達成し、スクウェアの経営方針転換のきっかけとなる。ただ「コンビニ限定販売」という流通方法に多くの課題も残した。
3月4日 - バンダイ「ワンダースワン」発売。
3月18日 - 『三國志III』のゲームデータ改造ツールを巡って争われた三國志III事件について、
東京高裁は『三國志III』は著作権法上の「映画の著作物」に該当せず、そのゲームデータ改造ツールは著作権を侵害しないという判断を示す。
3月19日 - SNK(旧社)「ネオジオポケットカラー」発売。
4月27日 - 『ときめきメモリアル』の改造済みセーブデータの入ったメモリーカードの販売を巡って争われたときめきメモリアルメモリーカード事件について、
大阪高裁は『ときめきメモリアル』は著作権法上の「映画の著作物」に該当し、その改造済みセーブデータの入ったメモリーカードの販売は著作権を侵害するという判断を示す。なお、2001年3月18日に控訴棄却により判決が確定した。

7月15日 - スクウェア『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』。高い売上記録を残すが、スクウェア内部では上記の『ファイナルファンタジーVIII』と比較して少ない売上だったことが指摘され、
前年発売の『ゼノギアス』製作スタッフなどとともに『ファイナルファンタジー』偏重の流れ(FFシフト)に反発した社員の集団退社が起こりはじめる。

8月5日 - ナムコ『ソウルキャリバー』。アーケードゲームからの移植版としての制作期間が短かったにもかかわらず、ドリームキャストでも屈指の作品となり、日本国外でも売り上げを伸ばし、
北米を中心にユーザーを獲得。世界での総売り上げ本数が100万本に達した。

8月23日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントがPlayStationのエミュレータ「bleem!」の販売差し止めを求めていた訴訟で、サンフランシスコ連邦地裁が販売継続を認める判決を下す。
9月 - 新声社の倒産により、『ゲーメスト』廃刊。ゲーメストスタッフの一部により、アスキー(現:エンターブレイン)から『アルカディア』創刊。
11月 - ナムコ、アーケードにて『ミスタードリラー』を発表。シンプルな原点回帰したゲームながらも好調な成績を収め、「軽薄短小」なシステムのゲームを見直すきっかけとなる。
11月 - 公正取引委員会が、ドリームキャストのハードとソフトの卸売を行っているセガの子会社セガ・ミューズを独占禁止法違反(再販売価格維持)容疑で立ち入り検査。
セガは翌2000年7月に販売部門を自社に新設し、卸売業務を自社に移すことで摘発を免れた
12月 - ゲーム業界の老舗メーカーであるデータイーストが和議を申請し経営破綻。後、2003年6月に破産宣告。
12月11日 - 任天堂「64DD」。
日本コンピュータゲーム協会が発足。主にパソコン向けのコンピュータゲームを開発する企業による業界団体。
0009名無しさん必死だな
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2019/01/24(木) 22:33:04.68ID:n+4ESkic0
2000年代

2000年
3月4日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本で「PlayStation 2」を発売。
4月1日 - アスキーよりエンターブレインが分社。『ファミ通』などの出版事業を移管。
4月18日 - 日本で家庭用ゲームソフトを販売するフランチャイズチェーン本部と流通会社14社がTVゲームビジネス協議会を設立。
「PlayStation 2」発売に際し、ソニー・コンピュータエンタテインメントがPlayStation.comで一般流通より安い価格での直販を開始したことと、
フランチャイズチェーン本部へのバックマージンを廃止したことに対する危機感が背景にあった[49]。なおTVゲームビジネス協議会は
2002年4月にGRA(GAME RETAILERS ASSOCIATION)に名称を変更した

5月30日 - セガがドリームキャスト向けにゲーム配信サービス「ドリームライブラリ」を開始[51]。クラシックタイトルのダウンロード販売の先駆け。
6月15日 - 青少年の精神に悪影響を与えるからという理由で、中国政府が中国国内向けの外国製ゲーム機の製造・販売を禁止した。
7月7日 - スクウェア『ファイナルファンタジーIX』。
8月3日 - セガがドリームキャスト用ソフトのレンタルを「TSUTAYA」において2000年9月30日から開始すると発表[54]。
8月22日 - 任天堂、『MOTHER3 豚王の最期』の開発を断念。後に再開され、『MOTHER3』のタイトルでゲームボーイアドバンス用ソフトとして発売されるが、
当時はNINTENDO64向けに開発されていた。

8月24日 - ハドソン『ルーンジェイド』。コンシューマーゲーム初の本格MORPG。
月26日 - エニックス『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』。出荷本数は400万本を超え、日本でのPlayStationソフトの歴代記録1位を樹立した。
9月20日〜21日 - 第1回CEDECが開催される。
10月1日 - 日本において国立国会図書館法の一部を改正する法律が施行され、
コンピュータゲームソフトを含むパッケージ系の電子出版物に納本義務が課せられた。
10月8日 - 韓国でeスポーツ大会「World Cyber Games」の第1回(World Cyber Games Challenge)が開催される
12月19日 - バンダイ「ワンダースワンカラー」発売。
Blizzard Entertainment社『DIABLO2』。以後のゲームに影響を及ぼした要素が多数散見される。

2001年
1月26日 - NTTドコモがJava機能「iアプリ」搭載携帯電話「503i」シリーズを発売。日本において携帯電話上で動作するコンピュータゲームの市場が生まれる。
3月21日 - 任天堂「ゲームボーイアドバンス」。
3月27日 - ゲームソフト販売店チェーン・カメレオンクラブを展開する株式会社上昇に中古ソフトの販売中止を要求したため権利不存在確認訴訟を起こされたエニックスに対し、
東京高裁は控訴を棄却。[57]さらに3月29日にはカプコン、コナミ、スクウェア、ナムコ、ソニー・コンピュータエンタテインメント、
セガの6社によるテレビゲームソフトウェア流通協会加盟会社への訴訟において、大阪高裁が小売側勝訴の判決を下す。[58]これらにより、
日本における中古ゲームソフト売買が合法であるというコンセンサスが出来上がる。

3月31日 - セガが「ドリームキャスト」の製造を打ち切り、ハード事業から完全撤退。
4月2日 - エス・エヌ・ケイが民事再生法を申請(10月31日に破産宣告)。エス・エヌ・ケイが開発したゲームの版権は、10月30日の入札でSNKプレイモアが落札。
7月19日 - スクウェア『ファイナルファンタジーX』。
8月1日 - 公正取引委員会がソニー・コンピュータエンタテインメントに対し、
「PlayStation」ソフトウェア販売に関する独禁法違反(再販売価格維持)について排除措置命令を審決。

9月14日 - 任天堂「ニンテンドーゲームキューブ」。
11月15日(日本は2002年2月22日、欧州は2002年3月14日) - マイクロソフト「Xbox」。Xbox Liveが開始。
『ファイアーエムブレム』の類似作品であるとして任天堂より警告を受けていた発売予定ソフト『エムブレムサーガ』(当初名称)が『ティアリングサーガ』とタイトルを変えて発売されたことに対し、
発売元であるエンターブレインなどを相手取り、任天堂などが著作権と不正競争防止法に関する訴訟を起こす。詳細はファイアーエムブレムを参照。
コナミによるプロ野球のゲーム化権利や音楽ゲームの特許の独占、他社製品名による登録商標の申請が問題となる。プロ野球のゲーム化権利については、
他社製野球ゲームへの再許諾を遅延させるなどの行為が行われ、後に公正取引委員会より独占禁止法に基づく警告を受けた
0010名無しさん必死だな
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2019/01/24(木) 22:40:57.30ID:n+4ESkic0
2002年
2月 - 日本テレビゲーム商業組合結成。かねてより乱立状態にあったゲームソフト販売店関係団体の統合が果たされる。
4月25日 - 最高裁が中古ゲームソフト売買を合法と判断。
日本における中古ゲームソフトを巡るゲームソフトメーカーと小売業者間の法廷闘争が終結。[61]
4月25日 - ドイツでエアフルト事件が発生。
犯人の少年が『カウンターストライク』に耽溺していたことから、暴力的な内容のコンピュータゲームの規制を強化する動きが起き、
青少年保護法の制定とソフトウェア事前審査機構(USK)の設置に繋がった

5月16日 - スクウェア『ファイナルファンタジーXI』サービス開始。コンシューマゲーム初の本格MMORPG。
6月 - 日本においてコンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)が発足し、同年10月から活動を開始。
これ以後の日本の家庭用ゲーム機用ソフトは対象年齢などのレイティング審査が課せられるようになる。

7月 - ギリシャにおいて全てのコンピューターゲームの所持・利用を禁止する法律(ギリシャ法第3037号)が制定される(2004年廃止)。
7月 - 森昭雄が『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版)を出版。
7月12日 - バンダイ「スワンクリスタル」。
8月12日 - セガがPC用ゲームソフトのオンライン・レンタルシステム「B-CLUB」をISP向けに開始[63]。
10月30日 - 欧州において任天堂と現地ディストリビュータ7社がゲーム機とゲームソフトの並行輸入を妨害したとして、
欧州委員会が任天堂らに対し合計1億6780万ユーロの課徴金を決定。
そのうち首謀者と認定された任天堂に課せられたのは1億4912万8千ユーロ

11月21日 - 任天堂『ポケットモンスター ルビー・サファイア』。記録的な売り上げを出す。
これを機に、ポケモンの関連商品の販売などを行う事業を『ポケモン』という略称をそのまま使って社名にし、分社化(株式会社ポケモン)。
日本のゲーム市場が前年比で1000億円近い減収となり、日本における市場縮小が顕著化し始める(ゲーム離れ)。
同時期の欧米市場は大規模な拡大を見せるとともに欧米製ソフトが市場に普及、日本の世界シェアが著しく低下する。

2003年
1月21日 - セガ『甲虫王者ムシキング』。昆虫相撲とトレーディングカードをゲームに取り入れ、子供達に人気を博した。
2月14日 - 任天堂「ゲームボーイアドバンスSP」。
3月13日 - スクウェア『ファイナルファンタジーX-2』。
スクウェアが任天堂との対立関係を解消する。同社は任天堂系ハードにおける、ソフト供給を再開する。
4月1日 - スクウェアとエニックスが合併、スクウェア・エニックスとなる。
4月 - 任天堂『MOTHER3』の開発中止を撤回。
9月12日 - Valveが「Steam」クライアントの初版を公開。[65]当時のSteamはオンラインゲームの更新用プラットフォームであった。
9月30日 - 任天堂、「ファミリーコンピュータ」「スーパーファミコン」の生産およびディスクカード書き換えサービスを終了。
11月26日 - コンビニエンスストアへのゲーム流通を確立させたデジキューブが破産し、解散。
デジキューブ出版部門の一部は、スクウェア・エニックス出版部門に、著作権とともに吸収される。
汎欧州ゲーム情報(PEGI)が設立される。欧州におけるコンピュータゲームのレイティング審査機関。
日本における市場規模が5000億円を下回る。
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2004年
2月14日 - 任天堂が、ファミコン生誕20周年企画として、『ファミコンミニ』シリーズ(過去の名作ファミコンソフト)をゲームボーイアドバンスで完全復刻。
E3にて任天堂がそれまでの非ゲームユーザーもターゲットとした新機軸の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」を発表。
同イベントにてソニー・コンピュータエンタテインメントは「PlayStation Portable」を発表し、任天堂のゲームボーイアドバンスの牙城に挑もうとする。

9月21日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation Portable」の重大な発表をすることをこの日に予告。
しかし同日に任天堂が対抗するような形で「ニンテンドーDS」の発売日と価格を発表し、
ソニーの発表会は予定より遅れて開始され有耶無耶のまま終了する(空白の17分間)。
10月1日 - セガとサミーが経営統合、セガサミーホールディングス設立。
11月21日(日本では12月2日) - 任天堂「ニンテンドーDS」発売。
11月27日 - スクウェア・エニックス『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』。360万本を超える本数を販売、PlayStation 2用ソフトとして日本国内1位の記録を樹立。
12月12日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Portable」(PSP)。DSとともに年末に発売され、携帯ゲーム機戦争として年末商戦の話題となる。
ちなみにPSPは任天堂以外の他社製の携帯ゲーム機で最初から完全カラー表示となるのはゲームギアから約14年振りとなる(PCエンジンGTはPCエンジンとの互換性があった。
ネオジオポケットとワンダースワンはどちら共に最初はモノクロ表示であったが、
後にカラー表示となってマイナーチェンジ版として発売をした)。
12月16日 - Valve『Half-Life 2』。Steamを介してダウンロード販売が行われ、Steamがゲーム配信プラットフォームとして成立する礎となる。

2005年
4月11日 - コナミがハドソンを傘下に。
5月19日 - 任天堂『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング』。幅広い年齢層をターゲットとした作品。「脳トレ」ブームの火付け役となる。
6月 - Rockstar Games『グランド・セフト・オート・サンアンドレアス』のWindows版用Mod(性行為が可能なミニゲームに関するデータの封印を解除してプレイ可能にするもの)が発端となり、
そのゲーム内容とレイティングがアメリカで大きな問題となる(「ホットコーヒー問題」)。

6月7日 - Rockstar Games『グランド・セフト・オートIII』(日本でのパブリッシャーはカプコン)が神奈川県に有害図書指定される[66]。
9月13日 - 任天堂「ゲームボーイミクロ」。
9月28日 - スクウェア・エニックスがタイトーを傘下に。
9月29日 - バンダイとナムコが経営統合、バンダイナムコホールディングス設立。
11月22日(日本では12月10日発売) - マイクロソフト「Xbox 360」。
12月29日- 任天堂『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』。
この作品の発売と正月商戦の相乗効果で任天堂の予測を超える爆発的な売上を記録し、翌年1月2日-3日頃には市場在庫を払底、深刻な供給不足に陥る。
任天堂から異例の謝罪広告と増産体制構築のアナウンスが出されるが、半年経っても需要が供給を上回る状態が続いた。
同様にニンテンドーDSが各メディアに取り上げられるなど社会現象化し、女性や中高年といった既存ゲームユーザー以外の消費者にも普及・浸透する。

Valveが「Steam」で他社タイトルの販売を開始。
新世代株式会社「Xavix PORT」。任天堂「Wii」「Wii Fit」の先駆け的存在。
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2006年
1月19日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント『RULE of ROSE』。11月には欧州で発売されたが、
EUの司法大臣フランコ・フラッティーニが作中における描写を「みだらで残酷」と評しPEGIのレーティングシステムの変更を求めたり、
英国での発売がキャンセルされたりするなど、物議を醸した[67]。

3月2日 - 任天堂「ニンテンドーDS Lite」。
3月16日 - スクウェア・エニックス『ファイナルファンタジーXII』。
3月31日 - コナミグループ再編に伴い、ゲーム部門をコナミデジタルエンタテインメントとして分社化。ナムコがバンダイの家庭用ゲーム事業を譲受し、バンダイナムコゲームスへ商号変更。
4月20日 - 任天堂『MOTHER3』。任天堂ゲームとしてでは発表から発売まで最も時間がかかったゲーム(約12年間)となる。(その次は『星のカービィ Wii』の約11年間。)シリーズ史上最高売上達成。
4月25日 - コーエーネットが家庭用ゲームソフトのレンタル事業「RentaNet」を発表[68]。RentaNetは5月から試験運用が行われたが、結局1年足らずで頓挫した[69]。
5月15日(日本では5月25日発売) - 任天堂『New スーパーマリオブラザーズ』。マリオの2Dアクションは『スーパーマリオワールド』以来。
5月31日 - CEROのレーティングが4区分から5区分に細分化される。各区分にアルファベットが付与され、
旧来の「18歳以上対象」が「D(17歳以上)」と「Z(18歳以上のみ対象」に2分割され、Z区分の商品は新品・中古品ともに18歳未満の者に販売しないこととされた[70]。

11月11日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本・米国で「PlayStation 3」(PS3)を発売。発売当初は品薄が続いた。
PS3の発売に合わせ、オンラインサービス「PlayStation Network」(PLAYSTATION Network)も開始される。
任天堂、ゲームボーイアドバンスおよびゲームキューブのハード・ソフト開発が終了。
11月19日(日本では12月2日発売) - 任天堂「Wii」。2006年末までの販売台数は98万9118台に達し、一気にライバル「PS3」を追い越す。

12月12日 - スクウェア・エニックスが『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』をニンテンドーDSで発売することを発表。
ドラクエのナンバリング作が約10年ぶりに任天堂プラットフォームに復帰。かつ、初の携帯ゲーム機進出。一部メディアが「ドラクエが任天堂に戻ってきた」と報じる。
「ニンテンドーDS Lite」のハードおよびソフトが人気となり、長期・過度の品不足状態が続く。
国内ゲーム市場規模が1997年の5,332億円以来、過去最高の6,285億円に更新

2007年

PS3、1月初頭までに日本と米国でそれぞれ100万台出荷したが、
「Wii」が発売されると日本では高性能ゲーム機は一部のコアユーザーにしか受け入れられず需要が急落し品薄状態から一転、在庫を抱える店が増えた。
一方「Wii」の品薄状態はこの後半年ほど続いた。なお旧型PS2にも販売台数が及ばない時期が続いた。
2月22日 - カプコン『モンスターハンターポータブル 2nd』。日本国内でPSP初のミリオンセラーを達成。
2005年12月に発売されて以後売れ続けていた前作『モンスターハンター ポータブル』とともに日本におけるPSPへのカンフル剤となる。
6月29日 - アップルがアメリカで「iPhone」を発売[72]。
7月5日 - マイクロソフトが「Xbox 360」の不具合について、購入日からの無償保証期間を3年に延長。
修理費用として10億5000万〜11億5000万米ドルを2007年4月〜6月期決算に計上した。[73]

9月20日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント、新型PSP「PSP-2000」。発売から2ヶ月で100万台を達成。
9月28日 - セガサターンおよびドリームキャストの修理サポート終了。
10月31日 - 任天堂の時価総額が10兆円突破し、日本3位(トヨタ、三菱UFJ FGに続く)となった。DSとWiiの好調から。
10月31日 - ファミリーコンピュータ、ディスクシステム、およびスーパーファミコンの修理サポート終了。
12月1日 - 任天堂『Wii Fit』。
12月2日 - アクティビジョンとヴィヴェンディ・ゲームズが合併し、アクティビジョン・ブリザードが誕生。世界最大のゲームソフト会社となる。
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)大手のFacebookがアプリケーション開発用のAPI「Facebook Platform」を提供。後の「ソーシャルゲーム」の基礎となる。
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2019/01/24(木) 22:57:00.03ID:n+4ESkic0
2008年
1月22日 - 「Wii」の日本国内における累計販売台数が500万台を突破。PS2を抜き、家庭用ゲーム機最速の60週で達成。
1月31日 - 任天堂『大乱闘スマッシュブラザーズX』。
2月19日 - マイクロソフト、インテル、AMD、NVIDIAによってPC Game Allianceが設立。
3月25日 - Wiiオリジナルソフトオンライン販売『Wiiウェア』のサービス開始。
3月27日 - カプコン『モンスターハンターポータブル 2nd G』。わずか1ヶ月で200万本以上を売り上げ、
後述の『モンスターハンターポータブル 3rd』発売までPSPで最も売れたソフトであった[74]。

4月10日 - 任天堂『マリオカートWii』。世界で最も売れたレースゲーム作品。
7月11日 - アップル「App Store」開始。
10月23日 - Google「Android Market」(現・Google Play)開始。
10月16日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント、新型PSP「PSP-3000」。携帯機器でも最高クラスの液晶ディスプレイを搭載。
11月1日 - 任天堂「ニンテンドーDSi」。画面を拡大、カメラ・SDカードスロット搭載。
12月10日 - スクウェア・エニックスが『ドラゴンクエストX』をWiiで発売することを発表。異例の前作(『DQ9』)発売前の新作発表。

2009年
2月12日 - ミッドウェイゲームズが倒産。
3月6日 - 世界全体におけるニンテンドーDSシリーズの累計販売台数が1億台を突破。
3月23日 - Zeebo「Zeebo」を発表。ブラジル資本による新興国向けの安価なゲーム機で、携帯電話の部品をベースに作られており、ゲームソフトは3Gネットワークを利用しオンラインで販売された[75]。しかし2011年には販売が終了した[76]。
5月17日 - Mojang『Minecraft』クラシック版。
6月3日 - E3にてPSPの新モデル「PlayStation Portable go」を発表。外見とともにUMDを廃止しソフトウェアはオンライン販売のみであるなど、概要が公表される。
E3にて、ソニー・コンピュータエンタテインメントがPS3に「PlayStation Move」、マイクロソフトがXbox 360に「Natal(後のKinect)」という新インターフェイスの導入を発表。
Wiiへの対抗を見せる。また、任天堂は「Wiiバイタリティセンサー」を発表(しかし開発に躓き商品化されず)。

7月11日 - スクウェア・エニックス『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』。『ドラゴンクエストシリーズ』で日本国内最多の売上本数を記録する。
また搭載された「すれちがい通信」機能を使った遊びが注目された[77]。
8月19日〜23日 - コンピュータゲームの見本市であるgamescomの第1回がドイツのケルンで開催される。
9月3日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント、新型PS3「CECH-2000」発売。従来モデルの問題点だったサイズや価格を改善し、販売台数を持ち直す。
10月27日 - Riot Games『League of Legends』運営開始。
11月1日(北米では10月1日発売) - ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Portable go」。
11月21日 - 任天堂「ニンテンドーDSi LL」。それまでの携帯ゲーム機の流れとは異なる「大型化・大画面化」。
12月3日 - 任天堂『New スーパーマリオブラザーズ Wii』。日本国内市場におけるWiiの勢いを取り戻す大ヒットとなる。
12月10日 - サン電子が2007年に経営破綻した日本テレネットが開発したゲームの版権を取得。
12月11日 - Rovio Entertainment『Angry Birds』がApp Storeで販売開始。翌2010年に世界的大ヒットとなる。
12月17日 - スクウェア・エニックス『ファイナルファンタジーXIII』。
成長を続けてきた北米ゲーム市場が減収となる。
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2019/01/24(木) 23:06:32.50ID:n+4ESkic0
2010年
2月17日 - 主にケイブのアーケードゲームの販社であったエイエムアイが倒産[78]。
3月23日 - 任天堂「ニンテンドー3DS」を同年のE3で公開すると発表。
4月1日 - テクモがコーエーに吸収合併され、コーエーテクモゲームス設立。
4月3日 - アップルがタブレット型コンピュータ「iPad」を米国で発売。これをきっかけにタブレット型端末の普及が進み、
モバイル端末向けゲーム市場が拡大する。
4月27日 - 梅原大吾が日本人としては初のMadCatzからプロ契約を締結しプロゲーマー(プロ格闘ゲーマー)となった。
6月15〜17日(北米時間) - E3にて、任天堂「ニンテンドー3DS」、
ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Move」、マイクロソフト「Kinect」の実物がそれぞれ出展・展示される。
9月15日(欧州時間。北米では9月17日、日本では10月21日発売) -
ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation 3」の新インターフェイス「PlayStation Move」。
9月18日 - 任天堂『ポケットモンスター ブラック・ホワイト』。
日本ゲーム史上における最多の初動売上を記録(ただし、この記録は2本合計の記録であり、1本としての記録は変わっていない)。
9月30日 - スクウェア・エニックス『ファイナルファンタジーXIV』。シリーズとしては初めてコンシューマゲーム版ではなくWindows版が先行して発売される。
10月26日 - パナソニック「The Jungle」の開発が中止。
11月4日(日本では11月20日発売) - マイクロソフト、「Xbox 360」の新インターフェイス「Kinect」。
12月1日 - カプコン『モンスターハンターポータブル 3rd』。
わずか2ヶ月で前作を超える売り上げ[74]となり、2011年2月末には日本のサードパーティーで最も売れたゲームソフトとなる。
世界市場の50%を占めていた日本市場は10%にまで低下した[79]。
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2019/01/24(木) 23:10:33.27ID:n+4ESkic0
2011年
1月27日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント「NGP(後の「PlayStation Vita」)」と「PlayStation Suite」(現・PlayStation Mobile)を発表。
2月13日 - 『Sid Meier's Civilization IV』「Baba Yetu」がゲーム音楽史上初となるグラミー賞(第53回グラミー賞)を受賞[80]。
2月26日 - 任天堂「ニンテンドー3DS」発売。
3月9日 - マイクロソフト「Kinect」の世界販売台数が1000万台を超えたことと、「世界最速で1000万台を販売した家庭用電化製品端末」としてギネス・ワールド・レコーズに認定されたことを発表。
4月1日 - ハドソンがコナミの完全子会社となる。
4月 - 17〜19日にかけて、PlayStation Networkで大規模なクラッキングおよびそれによる大量の個人情報流出が起き、21日から同サービスを停止し、再開まで1ヶ月強を要した。
被害対象が7000万人を超える史上最悪の個人情報流出事件となる(PlayStation Network個人情報流出事件)。

4月25日 - 任天堂「Wii」の後継機となるゲームハード(後の「Wii U」)を同年のE3で公開すると発表。
6月 - コンピュータゲームの実況プレイを専門でライブストリーミングするウェブサービス「Twitch」が「Justin.tv」(2007年サービス開始)から分離する形で始まる。
6月7〜9日(北米時間) - E3にて、ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Vita」の正式名称・価格などを発表。任天堂「Wii U」の名称および仕様を発表するとともに実物を展示する。
8月11日 - 任天堂「ニンテンドー3DS」の定価を日本で1万円値下げ(後に海外市場でも順次値下げされる)。
8月25日 - カプコン『モンスターハンター ポータブル 3rd HD Ver.』。既存のソニーのゲームハード作品を「PlayStation 3」用にHD(高解析度画像)用にリマスターした作品(PSPリマスター)の第1作目。
12月6日 - TCG業界からの新規参入であるブシロードがソーシャルゲームサービス『ブシモ』の正式運用を開始。最初のタイトルは『BOUND MONSTERS(バウンドモンスターズ)』と『恋愛リプレイ』。
12月17日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Vita」発売(任天堂以外の同じ他社製のハードメーカーで次世代型携帯ゲーム機が発売されたのはこれが初めて。
ネオジオポケットとワンダースワンは最初はモノクロ表示であったが、後にカラー表示化をしたマイナーチェンジ版が発売をした)。
「Wii」の日本市場における年間の本体販売台数が全盛期(2007年)の3分の1未満にまで減少し、
次世代機への世代交代を待たずに競合相手の「PlayStation 3」に年間の本体販売におけるトップシェアを奪われる。
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