六道神士著のAGEHA2巻で「奔る!二宮尊徳像!」を解決したのち
画風を変えた事を鑑みればどう言う時「何も出来なくなる」のかが特定可能
「聖人君主の言う事を覆す状況」を要求された時である
言い換えれば自分が求めているものである
「聖人君主の言う事は正しい証拠」を要求された時
「何も出来なくなる」という話です
「聖人君主の言う事」とは「世の中とはこうなっていますよ」の「極論」である
これに従わない奴との戦いや従わない奴との絶交を連想するのが物語だから
自分は物語を求めている、でも世の中はこれに従わない奴が主権を握っている
これに従わない奴と深い仲になりたくないから
「金だけの付き合い」を言いたいけど「禁句」扱いされている
だからこそ二次元業界の事を「レジスタンス」と扱い
「滅私奉公」を目指しているかどうか確認とっているのだが
画風を変えたと言う事は「そうやって見るものじゃない」と言う事になる
そして何だかんだでエゴグラフィーをやってみたら
「自分と言うものがない」と言うのが自分と言う話になりました
言い換えれば「自分と言うものがないの肯定」を連想する選択ばかりを
自分はしている事が判明しました
つまり「聖人君主の言う事の定義」とは「滅私奉公をしなさい」にしか過ぎず
「滅私奉公をしなくて良い方法」を要求された時
「何も出来なくなる」と言うのが「奔る!二宮尊徳像!」と言う話です
つまり二次元業界の言う「何かが違う」とは
「自分と言うものがない」の事をさしていると同時に
「滅私奉公の肯定」を連想する内容で物語を纏めるから
二次元業界は「警戒」していることが判明するのだ