ビデオゲームについて普遍的に言えるのは
「コンピューターを用いてルールに基づいた体験を享受する」ということのみであって
その性質の使われ方については多岐にわたっている
物語を表現するためだったり、楽しむためだったりするし
コミュニケーションツールや、他者と凌ぎを削る競技のためだったりもする
最近だと、筋トレのためのツールにすらなった
確かに、その性質は馬鹿からガチャで搾取するための集金装置として使われることもあるが
だからと言って、香川県のように1日1時間などとほざいて、国民からその他すばらしい体験の機会を奪っていい理由にはならない

ビデオゲームを毛嫌いしている人間の多くは、ビデオゲームが何か画一的なものだと勘違いしてるんじゃないのか?
その原因については様々考えられるが、「コンピューターを用いてルールに基づいた体験を享受する」という普遍的な性質があるからと言って、何でもかんでも「ゲーム」と呼んでしまうこちらにも少しは責任はあるのではないか