逆シャアのラストは、本当に業が深いと思う
あのような締め方で、悪くはないんだけども
シャアの生きた時代という一つの節目の締めくくりを御禿はああいう形にして、答えらしい答えを出さず、人々にそれぞれの解釈を促す演出にしてしまった
その結果、後の展開に自由度というか可能性の拡がりが生まれ、世紀末のガンダム市場はカオスに満ちた
(当の御禿は怪物化したガンダムに一度振り落とされてしまった)

コンテンツとしての、ガンダムとはなんぞや?というものに対して
御禿の手を離れ、作り手売り手買い手、それぞれの数だけガンダムが存在することになってしまった