ゼルダは別に洋ゲーのオープンワールドの和ゲー版作ろうって思ってないと思う

どっちかとというと昔のゼルダの延長線として作ったのだろう。

だからあれは大きなアトラクションのフィールドみたいなゲーム。
フィールドのあちこちに謎解きを祠として散りばめただけ。
祠は中で何が待ち受けていて、何が得られるかわかりきってる。
好奇心をくすぐる要素はゼロ。

これはつまり、
「御膳立てさせられた世界」

一方洋ゲー、我々を本当に感動させたTESのようなゲームは
「自分が触れ合える世界」

もともと俺らが望んでた洋ゲー的なオープンワールド要素はこれだろう

たまたま未知の洞窟みつけたり、
その中に住む種族が生態をもって生活してたり、
でも所属したギルドや動かした戦況、クエスト進行方法によっては、
全く彼ら種族と人生が交差することがないかもしれないという、
「自分で触れているという実感」
その先で起こる新たな展開

もちろん、大量の作り込みに過ぎない。
クエストの分岐から、世界中に散りばめられたテキスト、机のコップ一つ一つに触れ合えるところまで、
ガチで世界を作るぞ、いわばトールキンの地図のような意気込み
詳細→示唆→未設定 という綺麗なフェードアウト