何でPCエンジンはファミコンに負けたん?
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PCエンジンってグラはファミコンより凄かったし、デカいキャラ操作できて衝撃的だったし、クソゲーもファミコンに比べたらそれほど多くなかったのに何でファミコンに負けたん? 負けてはいない
ちゃんとポジションとアイデンティティはあった >>3
別にCD-ROM2出てくるまではムービーゲー殆どなかっただろ というか寧ろゲームのキャラが喋るのはビックリだったろ ネーミングによる消費者との距離感
大半はPCという単語にいい印象を持ってなかったんじゃないかなと >>5
だからROMでムービーゲーやり出してオワコンになった最初の例だろ PCEはかなり良かったけどな…争ってたのはSFCとMDのイメージだけど >>12
メガドラって一応、海外では売れてたからな でも日本では・・・うん そもそもファミコンに勝とうと思ってるわけじゃねえしな。
ハドソンやNECがファーストのうま味を味わえればそれでいいって感じで。 ファミコンには負けてないだろ
スーファミ出た時点ではまだまだ現役だったし
PCエンジンはファミコンを世代交代に追いやった要因の一つでしょ エンジンは初期のカードの頃はまだ良かったがCDでアニオタ向けになってから一気に落ちぶれた印象 >>16
でも天外魔境は名作だったろ スーファミにも天外魔境ZEROってのが出たし Huカードの最大容量が当初2Mbitしかなかった
そのためR-TYPEは二枚に分かれて発売された >>19
だけど海外版では1つにできたらしい 海外だけずるいわ・・・ 日本も後からCD-ROMでカップリング版が出たけど変なデモ入れてコレジャナイされてた アクションとアケ移植の出来の良さで一瞬だけ覇権を取りかけたけど
すぐに家庭用がRPG全盛になってROM側にバックアップが積めず性能も頭打ちになって
最新ゲームを遊ぶには周辺機器で拡張するか
新機種を買い直すかのブルジョア専用機に >>15
>世代交代に追いやった要因
ファミコンからスーパーファミコンで間が七年だからむしろ世代交代時期としては順当過ぎて
流石に要因扱いするのはどうかと
因みに据え置きの世代交代で任天堂ハードだと七年は最長記録だったりする 小学生には本体が高すぎた
絵はきれいだけどファミコンでいいやってなった 俺当時全く知識なかったからpcエンジンのコンセプトが全く分からなかった
なぜシャトルとかいうのがあるのか
スーパーグラフィックスとはなんなのか
CDROMとはなんなのか
なぜロムロムとか言ってるのか
何もかもわからんかった 初期に力入れてたナムコとコナミが
あっさり手を引いたイメージがあるな
代わりにファルコムやマイクロキャビンとか
PCメーカーがinした感じ >>28
なんでコナミが初期なんだよ
参入したのかなり後だろ
しかも腰抜けナムコと違ってCD-ROMに全力投球だ コスパ
ファミコンが性能の割りにものすごくコスパがいいんだよ、それに負けた >>29
そうだっけ?
メガドラ派だったから
やたらコナミが目立って気がしただけだったな そもそもFCが終わりかけて世代交代する頃にPCエンジンが出たから負けたって感覚なかったけどな
FCに負けたのはSG-1000とかセガマークVとかあの辺だろ セーブ出来ないって言う致命的な弱点があったからだよ
このせいでRPGやSLGが出ない歪なゲームラインナップになってた 上位機種をいろいろ出したからマニアしか残らなかったんだろ これは今でも感じるんだけどHuカードとCD-ROM2が同じ区分なのがおかしすぎる
スーパーシステムカード3.0もCDソフトも必要で明らかに別のゲーム機なのに
PCエンジンDuoは全く別のゲーム機として出すべきだった(Huカードは後方互換として) 隙間に居ただけで勝負してたって感覚はないなあ
世の大半のキッズはファミコンで満足してたし
エンジンは金持ちの友達の家でちょっと遊べば十分だった
その後はCDROM2でマニアハード化したから遠い存在になったし >>33
PCエンジンの発売された1987年はファミコン全盛期じゃないか?
ドラクエ3すら出てないので世代交代も糞もないよ >>28
コナミはスナッチャーやときメモ出てたやん PCエンジン持ってる奴はマジで金持ち扱いだったな
俺はディスクシステムの方が羨ましかったがそれよりレアだった どちらかというとPCゲームを駆逐したイメージだけどな。CS機の進化を促進させた名器。 93年くらいまでプレイしてたわ。
最後はほとんどスポーツゲーム専用機になってた。 ムービーゲーやりすぎてシェア失ったら雑誌のサンプル稼ぎでしのいでたくらい落ち目だったからな PCエンジンの携帯機は大竹まことがCMしてて
10万位するキチガイ携帯ハードだったが
据え置きと携帯機が同じソフトでプレイ出来る辺り
VITAやswitchより20年先を見ていたな PC買えなかったからこっちのシュヴァルツシルトで我慢してたな
あとはシューティング目的か >>38
そんな前だっけ
R-TYPE見てからFCはもうないわーって感じだったからもっと後かと思ってた PCエンジン出荷
コア LT CD CD2 Duo GT
87年度 60
88年度 75 *8
89年度 75 17
90年度 90 25 12
91年度 50 1 *5 15 30 *2
92年度 17 20 40
93年度 10 10 10
94年度 10
95年度 *2 PCエンジンって北米では「TurboGrafx-16」っていう名で出たな 16は16bitって意味だったみたいだけど
本来 PCエンジンって8bitゲーム機だったよな 負けたかよ?
スーファミ出なければ時間の問題だったろ
価格帯からして違うしな >>19
違う、クオリティを落として3メガで出す案もあった みんな仲良くしているところに
勝ちだの負けだの持ち込んできたのはプレステくんだよ 高いうえに種類も色々あって周辺機器と接続できるモデルできないモデルなんかもあって
こんなややこしいのそりゃマニアしか買わないわ >>45
大竹まことがCMしてたGTなら5万しないくらいだぞ >>1
ドラクエとFFが無かったから。この頃は常にコレだな。
それプラスでスーパーマリオが強過ぎたからな。
ハドソンがシューティングキャラバンをPCエンジンに切り替えたのに
最後は野球ゲームになっちゃったしな。色々失敗してたな。 ファミコンとかいう超巨人相手にかなり善戦はしただろ
後発でかんたんに勝てるわけもなかろうよ
あと一応当時のSEGAには勝ったんじゃないかとは思うが デカいキャラってザ功夫のことかな
でかいだけだしな
ガッカリがすごい >>58
というかRPGだな
FF・DQのおかげでRPGの豊富さが勝負の決めてだった
セガが負けたのもこれ
PCEはバッテリーバックアップ電池が搭載できず、別売の機械を買わないとセーブできないのもまずかった PCゲームメーカーを誘致していたのは目の付け所は良かったよな。
だが、そうなるとやはりプレイヤー層もニッチな人々しか集まらなくなるので、
結局ジリ貧になる運命だったのだが。 ダンジョンエクスプローラーの4人プレイはスゲェ楽しかった 本体高かったからお金に不自由してなさそうな家の子しか持ってなかった印象 名古屋市内で見かけた風景としては、PCエンジンって同人系ショップと同じ様な店づくりだったんだわ。
最高潮時はやっぱりときメモ。
あの当時のコナミは鋭いグッズ開発力だった。
そういう風景ばかりだったので、セガ機と競争の末勝ったという感じではなくて、
アニオタに近い居場所を掴み取ったのだと思う。 PCエンジンDUOがグッドデザイン賞を受賞したという事実 >>66
最高潮というより、時期的に最後の輝きだろw
94年ってPCエンジン発売から7年も経って完全に末期 もともと勝つつもりで出したハードでは無いだろ
世代も違うし 1988年 コナミワイ 魂斗羅 DQV ダブドラ メタファイト ヒットラー FCウォーズ マリオ3 龍剣伝 ガーディック外伝 グラディU ロックマン2 ワギャン 火龍U
PCエンジンじゃ勝てんわw そもそもエンジンは2人プレイすらマルチパッド買わないとならんからな
そりゃファミコンに勝てんよ スナッチャーとイースとモトローダーと桃鉄が良い思い出だ あの時代は良かったな。FCでFF2、PCエンジンでアールタイプ、MDで獣王記をやってた。 ナムコは商売にならないと見るやとっとと撤退したな
変わりに入ってきたコナミも予想以上に売れなくてガッカリしたそうだ
でも最後にヤケクソぎみに出したときメモがまさかの大ヒットでなんとか元は取れた ドラクエ、ファイナルファンタジー、マリオ、ロックマン、ファミスタ、ダビスタがない なんかコア構想のせいで
高価なイメージしか無かった 値段だな
当時のFCキッズ達は25000円でも高く感じた 売り上げの点ではスーファミ出す出す詐欺に負けたけど
ソフトはそんな悪くもねーだろ CDロム機になってからはギャルゲのイメージに染まったな
シューティングゲーにまで声優が喋るアニメシーン挟んだりして >>81
でもってなんだよ おぼっちゃんか?
ファミコンの14800円でも高いつーのに >>1
これはメガドラにも言えるけど
スクウェアとエニックスが参入しなかったから
当時は空前のRPG全盛期でその中でもドラクエは社会現象と言えるほどのブームだった
ただPCエンジンはそれ以外にもRPGがかなり出たんで
成功と言えるほどには売れたよ グッドデザインってモンドセレクションと一緒で
金出せばもらえるって認識 >>20
でもオーバークロックしてチラつき少ないのは日本版のみ >>81
PCエンジンは確かに高かったけど、スーパーファミコンも25000円だから
直接的な原因では無いね あの時代だとPCエンジンが一番好きだったわ。
餓狼SPの移植度も同世代機と比べても圧倒的に良かったし。 ドラクエとかまともなRPGが出てこなかったから。
ネクロマンサーとかスサノオじゃ無理だよ。
後カトケンやビックリマンも子供が軽く楽しむには難しかった。
電池をカードに入れられないから天の声が出るまでバックアップもできない仕組みだったのも敗因。 本気でファミコン/スーファミ潰そうとしてたんなら
ハドソンは任天堂機に一切出さなかったろうと思うが
そうしなかったと…いうか出来なかったみたいだし CDロムロムは高すぎたのがなぁ
良作多数だったのに >>95
確かにハドソンはPCエンジンがあっても任天堂に敵対意識向けてたかと言われればそうでも無いんだよな >>85
クリスマスとかにねだるのに
万越えてると遠慮が出ちゃってたなあ やっぱりセーブだね、出来なかったのが痛い
でもゲーム自体はいいのが結構あった
タイトル忘れたけどファンタジーのシミュレーションは面白かった >>50
どう見てもドラクエ3で決着ついたレベルだったぞ
PS1のFF7と同じ流れ
くっそ高いバックアップユニットにCDドライブにアーケードカードと
目玉ソフトに金を出させ過ぎなのもマイナス なんでPCエンジンはエロゲ出すようになったんだろうな >>70
マリオ3とDQVの2本だけで吹き飛ばされるレベルw
ちなみに初代桃鉄も88年
いや、俺はPCエンジン大好きだったけどね >>1
発売が4年以上遅い
当時のファミコンは全盛期でドラクエ3発売間際だった
PCエンジンのおよそ3年後にはスーパーファミコンが出た
本体価格が1万円高い
付属コントローラーが1個
二人プレイに別売りマルチタップが必要
つまり実質ファミコンより1万5千円高い
音が変
カセットに拡張チップを搭載しにくい
メガドライブやスーパーファミコンに比べ少なすぎるRAM容量 コア構想などと聞こえはいいが
セーブ機能は別売り
ビデオ出力は別売り
2コンは別売り
とにかくめちゃくちゃ金がかかった >>105
PCエンジンで一番売れたソフトはR-TYPEで約50万本というのは嘘だったと?
嘘つくメリットがわからない 昭和の時代を今の感覚で語るのはおかしい
流通から何まで今とは違う
ファミコン発売時点で14種類のTVゲーム機が出てた >>105
初めてミリオン突破したのPS1だったはずだが PCエンジンLTとかいう今でもクソ高い値で取り引きされてるゲーム機…… 本体の値段が高い。あまり普及できなかったのはこれが一番の理由だと思う。 >>114
仮にめっちゃ安くてもGBAに対するワンダースワンくらいにしかならんかったと思うぞ 数ヶ月おきに同じスレが立って
中年のおじさんが同じことを書き込むスレ まぁ先見性は高かったメーカーではある
しばらくPCエンジンのスタイルの延長になったわけだからな 高くないから後付で盛りまくって
次世代で止め刺したんでしょ >>1
自滅に近い。
経営が真面なら勝てたかもね。 ファミコンとは共存してたろ
SFCからヌルゲー信奉になって画一的でつまらんくなったな
このころは格ゲー黎明期でSNKが特に伸びてた >>70
完全に円熟期だな
どのタイトルも当たり前のように
ファミコンの性能限界をガシガシ攻めてた PCFXも出されるとかじゃねえの?
夜店の政で推して知れみたいな? 追い込みみたいなんそれでも売れたらあんたの勝ちやないんですか?、てかてかのスーツ掃って立つ姿を想像するが CDロムロムやメガCDがまったく売れなかったから
組長のPSが100万台売れたら逆立ちしてやる発言に繋がったんだろうな pcエンジンはデータ保存に難点あったからね
そこをもうちょっとスマートにできてたら違ってたかも。 ファミコンを速くしただけのなんちゃってスーパーファミコンが本家に勝てる訳ないだろ そもそもセガマイカードが容量の問題で捨てられてカートリッジに戻ったのに
Huカードを採用した時点で間違えてるわ
時流が読めてない 天の声を買ってさらにデカい電池入れとかないとセーブすらできないゴミハード >>114
まあこれはある
結局ファミコンが現役の間にファミコンより安くて性能が高いハードは出なかったからなあ コア構想という消費者負担が半端じゃないコンセプトだったからな
ただRPGは良作が多数有ったので楽しめたかな
マイトアンドマジック3が遊びたくてDUO買ったしね
他ソルモナージュ、天使の詩、ダンジョンマスターセロンズクエスト等々
それとCDのソフトは値崩れ早くて地元にあったセレクトインキムラヤって言う量販店で新品500円〜1000円で買えたので買い漁ったわ
大概ゴミソフトだったけど ガキから見てもスタイリッシュだしHuカードかっけー!とはなった
マイカードとか当時は存在も知らなかったし
でも新しい本体買ってもらうならファミコンソフトをだったな >>57
そうだっけ?
9万くらいしたと思ってた
huカードでなんと桃鉄出来るんだよな Duoで高級CDゲーム路線に走ってからは2で廉価版攻勢仕掛けたメガドライブにも敗けだしてるからな >>45
10万くらいするのはLTとかいう持ち運べないけど画面がついててロムロムにも繋げるやつだぞ LTはハード構想としては雑すぎる
PSoneに液晶付けて携帯機言っちゃうレベル 今のスイッチとPSと同じよ。
性能良くたって中身(ソフト)。
ドラクエもFFもほとんどプレイできるのはファミコンだったんだから。 一応市場は形成されとったんよ
なんだかんだとスーファミ時代でも生き残ってたからな
FXで完全にやらかしたが ファミコンには負けたがセガマーク3には勝っ…
いや、欧州等入れたらひょっとして負けてたかも 海外だとCDロムロム以降はいつまで売ったのか気になる
わざわざスナッチャーを英語で総吹替してまでメガCDで売ったからその辺りにはもう売ってないのは分かるが 中本伸一氏のPCE発売前インタビューで「任天堂と共存・共栄を目指す」って発言してるそうだな
やっぱメガドラ含めてギスギスはしてなかったと思うなあ当時遊んでた感覚だと
>>143
海外のジェネシス人気とTG16+CD-ROMユニットの普及状況見て
当時向こうのCSでCD媒体出すにはSEGA-CDでリリースするしか無かったのかもね
コナミは血の輪廻を国内専用に作ってたし
ハドソンはSEGA-CD向けにウインズオブサンダーや国内未発売のダンジョンエクスプローラー出してる 背面の拡張コネクタ装備は結構だけど、ファミコンを参考にしたのならカードスロットだけで将来の機能増強や発展まで見据えた構造にすべきだったと思う。
音源が弱いのは自覚してたんだから増設音源とか仕組みくらい作り込めなかったのか。
セーブ機能があんな実装だったのもそういう構造的な制約から来てたんだし、誰かが機械的に美しく無いって指摘出来なかったのかな。 PCエンジンの音源は案外悪くないし最終的にはCD-ROM2で拡張された >>146
そのCD音源って内蔵音源と併用だから
物凄くバランス悪かったけどな 高品質なものが高値で売ってることはよくあることなんだけど
その高品質なものが低品質なものとごちゃごちゃ混ざってて
重複や買い間違えにつながるというのがROMROMがダメだったところだと思う >>147
それは作り手次第だなぁ
しかしよっぽど下手な使い方してたのって言うほど多くはなかった気がする 当時まだ子供だった目線で言えばpcエンジンが出た時点で既にファミコンを持っている奴らがほとんどだったからそのままファミコンをやり続けたのと、CDロムロムの値段が当時は子供が親にお願い出来るレベルの値段では無かった。
昔の子供が今のゲーム機を見ると先ずは値段にビックリするかもしれない。 >>95
ある意味PCエンジンの象徴と言える
PC原人が何作か出した末にFC原人を出した時点でねえ・・・ ヒューカードが容量少ないセーブ出来ないで格ゲーやSLG出せないんだもの
格ゲー出せなかったのは痛いわ スト2は出せたのだから結局は市場規模とコスト問題だったのかな そもそもデフォルトはコントローラー1つだけでマルチ買わないと2人対戦できないという時点で >>1
ファミコンを圧倒するだけの力がなかった
まずファミコンの人気が最高潮に達してた時期にリリースされたので
それを凌駕して、ファミコンユーザーの全てを剥ぎ取るくらいのソフトが出る必要があったが
そういうものがなかった
カトケンのアクションゲームでかなり頑張って押してたが届かなかった
そこに加えて後継で16BIT機のMDがリリースされた事でアーゲードファンがMDに飛びついて
ファミコンから他の次世代ハードに移行するユーザーの一定数を掴んだ事によって
ファミコンから次世代ハードに移行するユーザーが分断されて、PCEが独占できない状況に陥った
そうしてMDとPCEがしのぎを削る中で、SFCが出てきたものだから
結果的にSFCの一人勝ちになったってだけ
PCEがもしも16BIT機だったらその後の展開が変わった可能性もある ファミコンも性能要らないジャンルで粘ってスーファミに繋げたんだよ 違うな
メガドライブに飛びついたのはBEEPに騙されてアウアーアーアーを定価で買ってた俺たちセガ人だ
初期型メガドライブは本体にバグがありゲームが暴走するわ音はノイズまみれだわで最悪のクソだった
ロンチから神ゲーソックリマンワールドが楽しめたPCE
それにひきかえ俺たちメガドライバーのロンチはスペハリ2とスーパーサンダーブレード…orz
できもしない疑似3D処理ばかりしようとすんじゃないよ
PCエンジンはR-TYPEといった2D神アケゲーを着実に増やしていたというのに
どう考えてもアーケードゲーマーを引き付けたのはPCエンジンの方だよw そもそもファミコンに勝てるとはNECも思ってなかっただろう
そういうのはセガくらいアホ(褒め言葉)じゃないと >>153
出せたといっても結構末期で主流はカードからCDに移ってたからなぁ
カードはロード時間のアドバンテージはあるけど使える容量がダイレクトに中身に反映するから
容量ガンガン使えるCDより見劣りしてしまう
しかもそのスト2はソフトの定価も確か9800円なわけで、あの小型カードに収めるにあたり
他ハードと比べると同容量でも高コストだった可能性はある >>100
まあ常識的に考えて
ドラクエ3とマリオ3の売り上げと完成度を先に見てたら
pcエンジンもメガドラも出なかっただろうね
だって後発メーカーで勝てるわけないし
あそこで完全に勝負あった
発売間もなくもしくは発売前から既に商売が成立しない市場だった SFC発売後の92年頃のシェアで言うと
SFC、FC、GBの任天堂3機種でシェアの7割
エンジンとメガドラで3割って感じの市場だったように思う
これでもユーザー目線では共存共栄は出来てたようには見えた
pcエンジンはほぼ日本にしか展開されてないハードだったらしいので
別に海外狙いとかじゃなくても日本のみのハードでもうまくやれば市場は形成できると思ってる PCエンジンのソフトていまめちゃくちゃ高いよね
ふた昔くらい前なら捨て値だったのに >>86
当時のRPG人気は凄かったもんな
何でもかんでもRPGにしときゃ売れるみたいな空気があって
ゲームの王様はRPGだ!みたいな感じだったからね
>>157
そこら辺はどうだったんだろうな
MDはセガが出してるって事で、熱狂的なセガファンのユーザーが結構いたし
アーケードからの移植も多く、ACTやSTGに偏ってたような印象がある
ただRPGもなかったわけでなく、セガの代表作のPSシリーズとシャイニングシリーズ
ランドストーカーとPCからの移植のソーサリアン、レンタヒーローとか良作に恵まれてたが >>164
メガドライブのその辺のゲームが出てきたのは中期に当たると思う 中学生だったが三機種持ってたぞ。
まあゲームしか娯楽が無かったからな。
メガドライブなんかはたまにミスターマックスで9800円で売ってたしな。 本体を発売した87年10月の状況から言うと
グラ強化に対してHuCARDの容量が当初は同時期のファミコンのロム並みしかなく
アーケードの本格移植で話題を呼んだキラータイトルR-TYPEも分作になってしまった
またバッテリーバックアップに切り替わっていくライバルに対してセーブができない弱点もあった
天の声やバックアップブースターが出たのも89年の後半と遅い
88年末に出ていたCD-ROM2と全て揃えればやっとファミコンを圧倒できたが(読み込み難を除く)
いくらバブル期でも全て買い揃えるのは高すぎるハードルだった
そして翌90年11月、強力なローンチタイトルを引っ提げてスーパーファミコンが発売
ファミコンの覇権はそちらに引き継がれた そもそも普通の子供はゲーム機を複数なんて持てなかった
ファミコン買ってもらったらファミコンのソフトでやりくりするしかなかった >>168
万年子供じゃないんだからお年玉や自分なりの小遣い稼ぎで
自力で買うようになるだろ
最初のハード以外自分で買ってたし
もちろん中古が大半だったけど 初期の頃PC原人、Rタイプ、カトケン、小川範子の他に何かあったっけ >>157
PCエンジンは製品としては最初からきちんと出来ていたと思う。
メガドラは1も2も出力段をケチりすぎだった。
AV出力品質が良かった機体ってメガジェット、セガ・マルチメガ/CDX ワンダーメガ1&2とかだったっけ。
他にも有ったけど普及モデルの本家は改造なしに高画質高音質は無理な作りだった。
初期のソフトがアレだったのはCSチーム側にMC68000の開発実績が無かったのも影響してた。
レベルアップしたのはACチームとの協業が始まった辺りからだな。 >>163
海外のマニアに存在を気付かれて流出してる。
絶対数は明らかに少ないから高額化の一途だ。 >>170
Hu-カードはアーケード移植作品がかなり多い。
オリジナルだと玉石混交。主導役だったハドソン製品は概ね手堅い作りだった。
上での書いたけどバッテリーバックアップを外付けにした事で、RPGやシミュレーション系がSFCより貧弱。 FCとPCEは棲み分けがしっかり出来てて
あまりどっちが上下なんて話しは出なかった 覇権争いとかと違い業界を盛り上げる同士みたいな感じ。
新日本プロレスと全日本プロレスとかと一緒。 そうでもないだろ
マルチなんてほとんどない時代、
獲得タイトルが市場の生死に直結してたよ 当時クソガキだった俺はとてもじゃないけど高すぎて買えなかった。
欲しいなーと思いつつファミコンで我慢してたな
のちにDUO買ったが >>170
ビックリマン、ネクロマンサー、ガンヘッド ネクロマンサーとかとちゃんけんちゃんごきげんテレビがクソゲーだったから
R−TYPEは良かったんだけどね 結構PCエンジン買ってもらった子は多かったぞ
メガドライブよりは多かった 当時のハドソンは優秀なサードだったが
ファーストとしては弱かった ハドソンの評価高いのってだいたいが移植作でオリジナルはさほどだった >>179
カトケンは難易度に多少問題があるだけで、ワンダーボーイインスパイアの良質アクションだぞ ドルアーガはFCで良かったが源平はPCEだった
イースはPCE版が一番良かった気がする
ナムコ、コナミ、メサイア製品は結構良かった記憶がある
FXは無かったことに ファーストとかサードとかは置いておいてハドソンはセガよりも子供の心を掴むのは上手かったように思う >>164
87年1月発売のDQ2がダブルミリオンの大ヒットを飛ばし
ファミコンはそこから空前のRPGブームで新規IPも続々と誕生していった
その最中にロム内蔵型のバッテリーバックアップも編み出され、次々と採用されていく
88年2月のDQ3発売はダメ押しだな
いつもなら空気を読まない高価格帯の製品ばかりをぶち込むNECが
24800円という価格設定に抑えるのは異例で、決して棲み分け狙いではなかったはずだ
それまで主流だったACT、STGでの優位を確信して87年10月発売の本体開発・生産に勤しむ中で
あの急激な情勢の変化はNECにとって非常に間が悪かった カトケンはキックのリーチ短すぎなんだよな
パワーアップアイテムで飛び道具みたいなの欲しかった カトケンか
6-3の隠しブロック全然気づかず挫折してもう数年たつわ ドラクエVがゲームソフト買って一番嬉しかったソフトかもしれない。 あの時代、MSXは別だがPCも普通に20万円以上だったからな。 ビックリマンワールドのBGMはいまだに憶えている。 >>49
CPUは8ビットだけどグラフィック周りの何かが16ビットじゃなかったっけ? 良質なアーケードゲームの移植作が豊富だったから
金に余裕がある高校生などの高めの年齢層には人気があったよ >>189
俺の人生で最も歓喜したのが
学校から帰ってきたらオカンがドラクエVを俺に渡してくれた瞬間だわw
47年生きて、色んな経験したけど
未だにアレを超える感動に出会えてないショボい人生(´・ω・`)ショボーン >>3
これね
ある意味未来のゲーム業界を予言してる事実だったよな >>194
俺も最初にSFCが我が家に来た時の感動は忘れられんわ
今後どんなに凄い性能のハードが出てきてもあの時の感動を超える事ってないんだろうなー >>24
当時は高性能次世代機が実績つんできてプレッシャーがあったからこその退場でしょ
ゲーム機の世代交代なんて経験したことない人がほとんどだった時代だし
年数が経ったからって理由だけで自発的に世代交代はまだする時期じゃなかったと思う 自らの意思によらずして洋ゲーと並ぶ柱であるエロ路線が封じ込められてしまったから多少気の毒な気がせんでもない >>168
親にねだってもファミコン買ったでしょと言われたな
逆にファミコン持ってなかった友人がPCエンジン買ってもらって自慢げだった >>24は至極まっとうだろ
ゲーム機大戦の動画見てこいよ つーかネクロマンサーも実際は愛されてるよな
ネクロマンサーをクソ呼ばわりするのはドラクエUをクソ呼ばわりするのと同じだよ スーファミ発売が遅れに遅れた要因はライバル機の存在もあったと思うけどな ネクロマンサーは当時は面白かったけど
ミニで最近やったら物理ダメが通らなすぎかつ攻撃魔法のMP消費がでかすぎる
無理して次の村へ行っても付近の雑魚を倒す効率が悪すぎてあまりにもメリットがないので
前の街の近くで往復しレベルを上げて装備を買う以外に選択肢がなさすぎるつまらないゲームバランス
ズルしてチート装備を速攻で拾えば楽しいと思う 任天堂は特にライバル居なかったら次世代機急いで作らんと思う
アイデアの限界に来たり
ゲーム機に限らず生活スタイルの変化に応じて次世代に移行するとは思うけど
Switchも明確なライバルが存在しないから
長く続きそうなんだよな
GBみたいに再ブレイクするようなソフトが出たらなおさら 業務用基板の性能競争もしてきたし
パンチアウト当時の任天堂基板は巨大キャラが拡大縮小しアーケードでも屈指の高性能だった
ファミコン自体も発売当時の他社製品を置き去りにしようとする気概によって生み出されたもの
性能至上主義ではないにしろ性能でも常に他社の先を行こうとしていたと思う
サンプリングや回転機能にもそんな任天堂の姿勢が表れている ハードは3年もすると性能が時代遅れになるもので
ファミコンとゲーセンに明らかな差が付き出した頃に
デカキャラが出せるPCエンジンのインパクトは大きかった
まあファミコンはファミコンで
パソゲーで強かったRPGやシムとか
ファミコンの性能で十分なオリジナルゲームで
後期を凌いでいくわけだが 1987年にはファミコンが1千万台を超えて団塊Jrを含む小中学生にほぼ行き渡ってた
そこでこれからはもっと本格的なシューティングやアクションを家庭で楽しめますよと
満を持してティーンズ向けにPCエンジンが投入されたんだ
次世代機として完璧なシナリオだったしタイミングも間違ってなかった
その発売前という絶妙なタイミングでロールプレイングゲームの時代が訪れてなければ
スーパーファミコンの前にPCエンジン中心の時代があったと思う PCエンジンの宣伝はコロコロコミック
メガドライブの宣伝はBEEP
そりゃPCエンジンが勝つわな ニュートピアはちゃんと3まで出してほしかったわw
ゼルダクローンの1作ではあるけど安定して楽しかった セガの竹崎が広報に就任してから各雑誌社に挨拶に行くと
「セガの人間が何しに来たの?」みたいな冷たい対応をされまくって
まずは前任者の尻拭いで関係改善からやらなきゃならなくてきつかったみたいだな
一方高橋名人はコロコロ編集者と飲みに行きまくりで蜜月関係だったので
コロコロはハドソンの新作を紹介する専門誌状態になってたし
PCエンジンもCD-ROM2ですらもかなり大々的に紹介してもらってたもんな >>197
もちろん、市場原理と言う発想で同業他社の動向が全く影響を与えない、と考えるのはそれはそれで間違いではあるけども
ただと言う割にはPCエンジンからスーパーファミコンの発売まで三年あったりする上に
ACからの移植にしてもかなりのアレンジが必要と成っていた時期でFCの表現に限界を考えて居る人作り手は決して少なくなったと思うよ
逆に、PCエンジンが無かったとしてFCの寿命のが更に二年、三年は確実に延びたと言える根拠みたいな物ってある? >>213
しかしコロコロと言えばメインターゲットはあくまで小学生なわけで
親に買って貰うのにCD-ROM2はいくらバブル期とはいえちょっと無理があったんでないかい? >>215
俺もなんでこんなもん大々的に紹介するんだって思って見てたわ
タミヤのRCカーだってコロコロ読者向けには10000円台で買える
スーパードラゴンとかを特集させて
4万円するイグレスなんかはコロコロ読者には売れるわけがないって感じで小さく扱わさせてたっけ >>17
天外魔境シリーズが出てた頃はまだまともだった
ドラゴンナイトとかCALIIIとか、末期のエロゲーをどんどん移植し始めた頃になると
客がマニアだけになって異様な空気が漂っていたw ガンスターヒーローズみたいなのを求めて欧州で人気のジム・パワーやったらあまりのクソゲーに泣けた PCエンジンがファミコンと戦ってたってことは
ファミコンもやろうと思えばCD-ROMドライブみたいなの接続可能だったん? >>210
ファミコン後期にはもうシューティングは時代遅れ感あったよなあ
全盛期はスターソルジャーあたりか PCエンジンはどっちかって言うとセカンド機FCと一緒に所有するゲーム機だったようなイメージだな、FCではあとちょっと足りない部分を性能、ジャンル他広い意味でカバーしてた
当時勝ち負けで言うならMDの方がライバル機みたいに見えた、ソニックとか人によってはマリオのパクリに見えてたみたいだし、エンジンだとカトケン辺りが似たようなポジションか、モンスターワールドだかの側変えただけのビックリマンとかもあったな メガドラは対抗心は燃やしていたが
日本では話に成らなかった >>220
ディスクシステムみたいにRAMアダプタにCDのデータを読み込めばいいだけだし可能だろうね
ファミコンで無理矢理動画再生させる同人ゲーみたいなのもデータ垂れ流しで正規流通したりして 任天堂のマリオ
セガのソニック
これに対抗できるキャラが出て来なかったのは痛いな マリオは別格で面白かったけど
ソニックと原人はつまらなかった
ソニックはまだスピードという売りがあったけど
原人は特に目新しい売りもない凡アクション
原人は月刊PCエンジンが中心になって特にキャラごとPCエンジンの顔にしようと必死だったけどこけた
アクションは3まで出したしシューティングもHuカードとCD版まで出して
没になったけどRPGのRPC原人まで企画があったけど結局空気みたいなキャラで終わったな
スーファミとか他機種でも出たけどこれまた空気で
アーケード版に至っては完成していたのに売れなさそうでお蔵入りになったんだっけ ロンチがカトちゃんケンちゃんじゃな
頼みのダライアスは分割だし PCエンジンやり始めたらファミコンは一切やらなくなったな
当時はグラフィックが全てと言っていいほど絶対的な基準だった >>232
ダライアスアルファってHuカードなの? しかし今思うと末期ファミコンは神ゲーが色々出てたよな
これはエンジンにもメガドライブにも言える いうても中期〜後期のFCソフトはメーカー側もどんどんこなれていって
画面の同時発色数では敵わなかったものの、
ドット絵そのものの上手さではエンジンの並ゲー超えしてるの少なからずあったと思うけどな
PCEをディスってるわけじゃなく、グラ重視するにしてもFCってだけでスルーは損してるぞと >>236
コナミのアクションやシューティングはFCの限界に挑むようなクオリティだったな
あと静止画だがブラウン管コンポジット出力を最大限活用して
末弥純のモンスターデザインを忠実に落とし込んだFC版『ウィザードリィ』にも衝撃を受けた デカキャラ前提のゲームは無理でも
ファミコンのスペックで十分なジャンルもあるわけで
それを極めていったのがファミコン後期
今見ると凄いし面白そうってゲームがいっぱいあるね なんか言うほど凄い感じが無かったんだよな
ファミコン互換CPUとはいえ数倍の性能があったはずなのに ファミコン版グラ2を見た感想…すげええええ!
PCエンジン版グラ沙羅パロを見た感想…しょぼ…
エンジンで心から凄いと思ったのはガンヘッドと血の輪廻
音のせいなのかな?なんかエンジンってファミコンよりスカッとしない グラはそこそこ良いんだけど音がしょぼくてかえってチグハグなのはあったな
あとキャラが大きくなった分楽しいかってなると別にそうでもなかったし
それくらいファミコンで作れるゲームの幅が半端なかった >>244
当時は最先端といえばアーケードゲームで、CS機はアーケードゲームの移植の再現度が重要視された時代
ハード性能の割には凄い、とか、CS版ならではのオリジナリティとかは後々の時代に見直されたもの。FC版グラディウスIIはこっち方面の評価
逆にPCエンジン版のグラディウスや沙羅曼蛇はアーケードの再現度という点ではよく出来てた
もっとも1996年からはPS,SS版と比較されることになるので、後で見たらショボい、という感想はわかる
しかしそれ以前だと、x68k版以外だと、PCエンジン版の再現度は唯一無二だったわけで、そこらへんは当時の状況は十分に加味する必要はある duo-r出るまでハードが5万してたから仕方がない >>239
そういやファミコンでもスターソルジャーのビッグスターブレインや
月風魔伝の最終形態龍骨鬼とかあるんだよなデカキャラ まあファミコンはアレンジ移植にしかなりようがなかったけど
PCエンジンにはソックリマンとR-TYPEという高すぎるハードルが最初に設定されてしまったために
ガチでアーケード品質を求められる不幸はあったな >>220
話が逆で、ファミコンディスクシステムの概念が決定的だったのよ。
特にRAMアダプタの開発が象徴的で、結局器は何でもいいから
CPUが利用できるメモリーにプログラムやデータを一定量プール出来れば
凄いことが出来るってお話だ。
ついでに言えばRAMアダプタには通信用のコネクタまで準備はされていた。
現在までやってきた高性能化競争はファミコンディスクシステムの延長線上にあると思ってる。 逆に言えばPCエンジンはスーパーファミコンに肉薄するグラフィック性能がありながら
初期はそれを生かせずファミコンに毛の生えたようなグラフィックが多かった 活かせなかったというより売れる見込みが薄いから
開発費や人員が割けなかったのでは そういやネクロマンサーとか1キャラ8色くらいで描かれてるようにしか見えないんだけど
あれかね
データ量削減のためかね ひらめいた
ドラクエ1の竜王みたいにキャラグラフィック3ビットと単色の文字1ビットをパレット変更で兼用していると見た!
これでグラフィックデータのROM消費量を半減できる カードの容量はファミコンと大差ない2M
色数とデカキャラによりグラフィック容量は数倍
どこかにシワ寄せはいっちゃうよなー
解像度の低さと容量のデカさに救われスペックの割に豪華に見えるネオジオと好対照だね 個人的には日テレ系とアベニューが敗因かなと思ってる 桃伝Uは6Mbitで定価7200円を実現したと
当時の広告で自慢してたな
同年のDQ4とFF3が共に4Mbitで8500円と8400円だから
確かに相当頑張った値段だろう huカードの時はともかくCDROMの敷居がな…
本体のDuoは兎に角高いしDuoRが出たのも末期だったし ハードが高かったんじゃなかった?
次々と周辺機器でバージョンアップさせて、性能が上がったハードも出して
都度下位は切り捨てて
途中でユーザーがついていけなくなった PCエンジンもセガハードもRPGが弱かったのが致命的だった
ロムロムではRPGわりと充実させてきたけど、さすがに本体高すぎ CDロムロム系の本体はピーク過ぎた頃は安く売ってたよ
実際その頃に買ったし
高すぎてって人はその頃はもう興味関心がなくなってたんだと思う シャトルとかコアグラとかスパグラとか出しすぎたからやろ DUOが出た91年後半には
ノーマルのCD-ROM2がどこでも2万円台で買えたな
中古だと2万円切ってるのもあったので
スーパーシステムカードと合わせても3万円切る価格で買えた >>265
本題がどこにあるのかを失念してやしませんかね '任天堂不足
任天堂がPCエンジン出してたら勝ってた ミニの続編出ないかな?
妖怪道中記、ベラボーマン、シュビュビュンマン、サイバークロス、凄ノ王伝説、ヴァリス、オーダイン、ワンダーモモ
入れて欲しかったのまだあるんだが CDロムロムがでた当時の6万円の周辺機器は
たしかにキッズには高すぎよね
PCエンジン本体も買うと8万弱くらい?
いまだにそんな値段のゲーム機買ったことないすわ ときメモが話題になってる頃にシステムカードACアダプター無しで1500円で売られてて購入したわ
足りないパーツ買っても4000円程度だったわ 物品税が廃止される前はもっと高かったな
CDドライブ分に10%だっけ? PCエンジンDUOとか安くなったころには
PSとかSS出てたからなあ その頃は出始めのそっち(32ビット機)が高くて買えなかったなあ
わりと早めに19800円になって買えたけど
自分で稼げる前はそんなもんですよ 俺もすぐは買えなかったけど
新しいのあるのにこっち買うのもなあ…ってなってた
ほんでセガサターン白が出てからサターン買った >>273
初代ロムロムは44800円じゃなかったっけ
どっちにせよ強気すぎる値段
それでも数十万するPC98が飛ぶように売れてたバブル時代
この高価な周辺機器が100万台以上売れた メガドライブやっててもファミコンやらなくなる事は無かったな。メガドライブで大魔界村してファミコンで悪魔城伝説やったり。 PCでゲームしてたがコンシューマ機の進化がめざましくてPCでゲームしなくなった。 >>253
というよりカードの容量のせい 最初の上限が2Mbit、末期でも8M
スト2'だけはカード内の基板を(おそらく)重ねる形で増やして
分厚くなったが20Mを実現 形態がカードというだけでロムカートリッジには変わりなかったからな
グラフィックでファミコンを圧倒しようとしても容量が壁になる
もう一方のCD-ROMは圧倒的な容量だが高額な上に読み込みの精度と速度がマズかった
そしてその問題を2つまで改善した時にはスーパーファミコンが君臨してしまっていた >>263
バージョンアップしてもスーパーCD-ROM2はスーパーシステムカード出して旧機種もバージョンアップ出来たよ どのハードを買えば何のソフトが遊べるのかが
DUO発売するまでいちいち説明しなきゃいけない状態だったのがね PCエンジンで明確な切り捨てがあったのはスーパーグラフィックスくらいか
あれだけは白エンジンユーザー救済措置無しに4万円出せという酷い仕打ちだった
一番酷かったのはSGソフトが5本しか出なかったことだと思うけど スーファミはロンチにマリオ、エフゼロ、ひと月後にはファイナルファイト、グラディウス3、夏にはファイファン4、冬にはゼルダ、次の夏にはスト2と怒涛のラインナップで抜かりが無かった。 >>286
専用ソフトの少なさという意味では、他機種含めて歴代でも随一のハードなんじゃなかろうか
下位互換が完全にある分まだ普通のPCエンジンとして使えるだけ良かったけど、SG単体でみたら前代未聞の本数だと思う
ツイン画像チップの扱いの難しさがよく伝えられてるけど、こんなにソフトが出ないほどネックだったのかね? >>288
メディアがCDメインに移行したせいで余分なオプションを買わされたとは言えHeシステム対応ソフトが全部動いたSGは
GBスロットを廃止したせいで専用、対応ソフトより未対応の機能やソフトの方が多かったDSiよりはマシじゃない?
まぁ、NEW3DSも大概だけど、この手の同一機種の上位版って移行に失敗してるイメージしか無いのよね DSiは専用ソフト1本だけだったね
まあダウンロードソフトはかなり出たしNew3DSでも出来たけどね
New3DSのパッケージでの専用ソフトはゼノブレイドとファイアーエムブレム無双くらいだったかな
こっちのダウンロード専用ソフトは数えるほどしか無かった気が >>238
クライシスフォース1面ボス戦時の
縦ラスターで地面亀裂の深さを表現しつつ画面全体を左右にユラユラ蛇行させるの
未だにどういう処理やってるのか分からんのよね(拡張チップは積んでると思うんだけど) PCエンジンは初代ときメモ、スナッチャー、イース12,天外2発売しただけでも大成功ハードだよ >>287
SFC発売から半年後にシムシティも出てるんよ
あれ何気に85万本も売れた
世界累計だと神トラより売れたそうで(約500万本)
そして92年は怒涛のミリオン攻勢
6月 ストU(288万)
7月 マリオペイント(120万)
8月 マリオカート(385万)
9月 ドラクエX(285万)
12月 FFX(245万) マイコンでCDゲームが無かった時代のCDハードだからな
声がでたときは、感激で泣いた(TωT)ウルウル ボイスは多少汚いとはいえ初期ファミコンでもあったから
そこまで?という気もする イースみたいなキャラ人気が高いゲームは
やっぱり声が付く意味は大きかったね
マンガがアニメ化されるみたいなもんか そもそも勝った負けたなんてやってない。
ファミコンはスーパーファミコンに切り替わり、PCエンジンはCDROMでそれぞれ別の役割を果たした
。
メガドライブは完全に負けハードだったが。 fcに対してはPCEは新規参入だから、10000対0みたいなスタートラインから始めてる勝負なわけ。
どんな低い数字でも0以上ならある意味で勝ち。そういう対等じゃ無い勝負でしょ。 >>297
これは認識がおかしい
セガとサリオしかなかったマーク3と比べて
サードパーティーが参入しまくったメガドライブは大躍進だぞ アメリカで一瞬とはいえ
セガ>任天堂になった事が信じられない
ソニック以外何売れたんや >>298
エンジンは実質ハドソンだろ
ノウハウ詰んで0からの参入じゃない メガドラが
日本じゃ影の薄い負けハードだったことは単なる事実 ソニックシリーズ以外のミリオンセラーは
北米スポーツゲー、ディズニーやマーベルの版権モノ、格ゲーといったところか >>300
あの当時唯一 テクノソフトやゲームアーツ、トレジャーが参入してハードだし
中期〜後期のソフトをリアルタイムで遊んでいたら少なくとも「負けハード」とは思わなかったと思うよ
勝ってはいないけどコレでしか遊べないキラリと光るオリジナルタイトルがあるハードみたいな
あの頃のPC界隈でのX68000みたいな 昔海外はスポーツゲー好きってイメージあったな
今もそうなのかもしれないけど メガドライブが憎くてしょうがない奴がここまで出張してきてて草 >>304
ゲームアーツはPCエンジンCD-ROM2のぎゅわんぶらあ自己中心派の開発やったそうだ。
ハドソンも海外版のゲートオブサンダーやウィンズオブサンダーをメガCDに出してたしメガドライブの野球ゲームのスーパーリーグもハドソン開発だったかな。セガとハドソンは良好な関係だったのだろう アーケードカード専用ならSFCやメガドライブよりハイスペックなゲームが楽しめたんでない?
10本くらいしか専用なかったはずだけど この時期のPCE界隈の任天堂への憎悪がプレステに繋がります >>300
キングオブポップのマイケルジャクソンが自ら自分のゲームを作らないか?と売り込んで日本に来た時は会社訪問するくらいだからな。
結果的にマイケルのゲームはセガでしか遊べなかったのは凄い。
まぁ任天堂は宮本がポールマッカートニーにサインを求められてたけど。 メガドラ界隈にはセガ愛があったがPCEには任天堂への憎悪だけがあった 64だって名作はいくらでもあるけど負けハードだろ
日本でのメガドラも同じだよ >>309
開発者や雑誌編集がプレステにシフトしたの多いからな >>308
ガロスペみたいに圧倒的なのもあれば
飛龍みたいにしょうもないのまであったがな
結局中身は87年発売の白エンジンの容量を思いっきり増やしただけだしな
SG+CD-ROM+アーケードカードPRO専用だといい物作れたかもしれんが
そんな環境の人間ほとんどいないからな ネオジオCD版のせいで普通に劣化としか見られてなかったよ
PCエンジンのネオジオ関連はマジで存在意義が薄い >>311
トンデモ妄想パねェなw
任天堂憎悪はMD信者の教義だろうがwww なぜセガ信者とエンジン信者はこんな憎み合うのか
負け組どうしで話合うだろ? >>319
信者レベルだからじゃないの・
単なるMDユーザーやPCEユーザー程度なら別にいがみ合いなんかしてないし PCエンジン専門誌にいて
イースや天外を手掛けたいわさきなんかは
確かに任天堂を嫌っていたね
ただ多くのPCエンジン所有者がそうだったとは思わないが メガドライバーを煽ってスレを伸ばそうとする変な人に目をつけられたからこのスレも終了やな
なかなか面白かったよ >>309>>321
初期にチョロっと力入れてたナムコとCDROM派だった電撃レーベルくらいだろアンチ任天堂で目立ったのは
電撃は出版社・編集がベータマックス経由だから元々ソニー信者も兼ねていた、それもソニーレイと電撃PS休刊で終わった感じ
今やも部数が崩落した電撃文庫もCSゲームへの展開に急激に無関心になってきている
電撃PSが推したガンパレのアルファ・システムもスマホ業界に吸収されたし
ゲームブックから派生した(でジュベナイルと合流した)ラノベ系とゲーム自体が完全に分流したのが今といえるかも リクルートのじゅげむや角川のゲームウォーカーとかいう雑誌も廃刊しちゃったしな。紙が薄っぺらい時代のBeePが好きだったがセガ贔屓がスゴかった。 不祥事起こす前までハイスコア買ってたな。○勝ファミコン、ファミマガ、HIPPONスーパーも買ってたな。 当時のパソコンなんか一般的な値段じゃなかった気がするし ゲーム機なんか安いし余裕で売れるだろうと調子こいたらすっころんだイメージ 本体が高い(確か2万5千円くらい)のにセーブ機能が別売りという銭ゲバハード
基本はパスワードでセーブするには天の声とかいうこれまた高い機械があった
ファミコンより後発なのでさすがに性能の絶対値は上だけど普及台数で負けてる
ファミコン初期のゲームだとRPGでもセーブできずにパスワードが当たり前だったが
いくらなんでも不便だし技術の進歩に伴いセーブ可能なゲームが増えてきた
有名なところだとドラクエは3から冒険の書というセーブになった
これはファミコン本体とソフトがあれば他に謎の機械を買わなくても使える >>328
ファミコンも初期はデータレコーダで記憶してたしハード側や外部記憶装置にセーブデータを置くタイプのハードは
結局主流派になる訳だけど全部銭ゲバ扱い?
カード型のロムカセットだと電池を入れるスペースの確保が難しいし
そもそもバッテリーバックアップ搭載もカセット本体の価格が当たり前に上昇して結局徴収されているのは変わらないから
ソフトの所持数によっては確かに割高になる事はあっても銭ゲバって事には成らんと思うんだがな >>328
ドラクエ3の場合は利便性というより文字数の問題も大きいと思うよ
2の時点で50文字超えしてたからね
桃伝2がセーブオンリーになったのも、パスワードだと数百文字になるからって当時月刊PCエンジンで書かれてたし
ターボの時点でかなり長かったからやはりこっちもそうなんだろうなとは思ったが パスワードだとパラメータ固定しないと情報量膨れ上がるし
カスタム性が犠牲になるしな
そう考えると女神転生はあの文字数でよく頑張ってたな PCエンジンはあれだけ色んなハードを出すなら
マルチタップ無しでも5人対戦出来るものを出せば良かったのにな 値段でしょ、ハドソンにはMSやソニーのように逆鞘してまで勝ちに行くような余裕が無かった >>328
FFはTからバッテリーバックアップ方式だったよ メジャーにはなれなかったけど、いいゲーム機だったよ
日本電気のファミコンとセガのファミコン
うちの両親は実際こう呼んでたw >>332
色んなハードと言っても大半はマイナーチェンジによる生産ライン変更や
媒体がCDメインに移行した事による統合型への移行の結果だし
逆にマルチタップ内蔵型でラインナップを増やすのは流通や在庫への負担ほどの価値は無いんじゃない?
まぁ、格ゲー全盛の頃くらいは二人対戦用に接続端子を二つ用意したモデルへのマイナーチェンジ位はしても良かったかもしれんけども PCEは価格設定に問題があったな。でもNECはハードの売り上げだけで利益を出す算段だったからね。
逆鞘なんてありえなかったんだよ。 販売数は完全に負けてるけど
うちの稼働率は同じくらいだったな >>338
家庭用なら初期も良いとこだな
RPGブームはドラクエ3以降だし 結局プレステ世代でもCD-ROMになってソフト自体にセーブが出来なくなったから、別途メモリーカードにまとめて保存という形になったし
ただ単にメディアの物理的な制約でそうなっただけで、天の声は仕様としては普通に合理的だったと思う(商品的なコストの高さは否めないとしても)
次の世代が総じて光ディスクメディアが主流になったこともあって、結果としてPCエンジンの仕様はわりと後世の試金石というか先駆けになってるところはあったな >>340
RPGブームは87年1月に発売したドラクエ2のダブルミリオン到達からだ
秋までにヘラクレスの栄光、女神転生、桃太郎伝説といったシリーズ化する作品も発売
6月に出たタイトーのクソゲージャーヴァスからRPGにバッテリーバックアップが採用されていった
(10月に同じ販売元から良作ミネルバトンサーガが出て割を食う)
その後12月発売予定のドラクエ3が延期したことによって
銀河の三人、ファイナルファンタジー、ウィザードリィで年末商戦の売上を分け合えたんだ ドラクエ3がファミコン初のセーブ方式っつったらそりゃないだろってなるけど有名どころではって前置きがあるし
1年も時期が違わないようなタイトルをわざわざムキになって挙げるほどではない CM攻勢やコロコロに宣伝を出したが夢破れてB地区猿人に変貌した うちは3人兄弟だったからバッテリーバックアップ1箇所のFF1はとても買えなかったんよね
(後にMSX2移植版で堪能したが)
そういった意味ではドラクエ3は流石だったし、セーブ対応しつつ長大だけどパスワードも併用できる
PCEの何タイトルかは本当にありがたかった…なんだかんだでパスワード便利よね
ただしネクロマンサーは許せん 1本のドラクエ3を兄弟でシェアするのは地獄だな
冒険の書消えたらぶん殴られる バックアップが無い状況でもネクロマンサーをドラクエ3に先駆けて出したこと自体が
弱点を晒すとは分かっていながらRPGブームの盛り上がりを無視できなかった証しだな パスワード(ふっかつのじゅもん)のためだけにビデオプリンタ買ったんだよな 桃伝2バックアップするために天の声だけ持ってたわw
本体とソフトは金持ちの同級生からちょくちょく借りてた >>346
ファミコン・スーファミでもターボファイルという外部記憶装置が有ったのに、
DQやFFは対応しなかったのは企業間の壁が理由なのかな。
あの時代ではセーブデータの重要性の認識が違ってただろうけどさ。 >>351
DQ3のOPすら削らないと行けない容量カツカツの状況で
他社の周辺機器へのデータ転送、受信プログラムを入れる余地は無かっただろうし
そもそもターボファイル自体、普及率が高い物でも無かったからね それに、何かしらのトラブルが起きても責任を取ることも、責任を取らせることも出来ないってのもあるかな? むしろFC1強時代に喰らいついてシェア奪っていったイメージだがなしかしSFCになって駆逐され最後はメガドライブにも負けたしかし93年以降ひどいなこれではFXが例え神ハードでも勝ち目なかっただろうな 天の声つーのは買わなかったけど天の声バンクつーのは3枚ぐらい買ってた気がする
インターフェイスユニット(CD-ROM2本体と合体させるやつ)+本体にバンク挿して
IFユニットとバンク内のセーブデータ移動させたりして
そんでIFユニット+本体でHuカードソフトのセーブ機能に対応してなかったっけ
CDソフト以外のセーブもそれでやってた記憶があるんだが 伸びたのは一体化したDUO以降やね
最初のロムロムはマジでスネ夫向け
DUOシリーズ込みで96年3月末時点で192万台
昔のファミ通の記事に載ってた メガCDってゲームアーツ以外面白そうなソフトが無かった。 >>361
メガCD持ってたとしたら、そりゃ勿体無いわw >>329
さすがにファミコンのテープレコーダとか持ち出すのは発売時期考えても的外れすぎる PCエンジンは最初から隙間狙いの所があったから
あんまり負けたって印象にはならないんだよな 確かにPCエンジンはジェネシスのようなライバル感は無いな
隙間のアニオタハードって感じが強い メガCDはLDゲームが何本か移植されたり
新作も作られて1ジャンル化してたな
かなり弱いけど強いて特色を上げるならこれか メガCDは買って心底後悔した
DUO-R買えば良かった メガCDは海外だとそれなりに人気でわざわざスナッチャーも出したりしたけど国内だとてんでダメだったな
ゲームアーツが居なければどうなってたことやら >>363
外部記憶装置の問題なんだから的外れも何も無いよ
実際にファミコンの一部のソフトはデータレコーダでのデータセーブに対応した物が存在してる
あと、そもそもファミリーベーシック自体には実は電池式のバックアップメモリが搭載されていて
バッテリーバックアップというシステムが存在していても外部記憶にデータを保存すると言う試みは
ファミコンの初期から存在していた事には変わりは無いって事に成るでしょ?
因みにデータレコーダ対応ソフトで一番発売が遅い物はアルカノイドII リベンジオブドゥで
1988年の三月だから実はPCエンジンの発売日である1987年より後だったりする
だから
>発売時期考えても的外れすぎる
と言う意見は言うほど実情に即してないね バックアップユニットで拡張端子占有してしまうのがちょっと頭悪かったな ディスクシステムもバックアップに使えれば良かったのにな メガCDはゲームアーツが王道RPGやキャラ重視のADVってかPCエンジンで言うところのデジタルコミックみたいなの担ってたけども、
セガ自身が夢見館や(バカゲー枠の要素もある)やたら豪華な吹替えだったナイトトラップ移植してて
ゲームアーツだけってわけでも無かったと思ってるわ
PCエンジンに比べると動画関連に強めだった気もするね、シルフィードやスターブレード含めて
ライズオブザドラゴンも良かったし、末期も末期だったけどシャドウランもホント良かった >>352
ターボファイルはWizardryプレイヤー専用 アスキーのゲームはだいたい対応していたような
まあ発売元だからな PCEにもメモリーベース128というターボファイルと同じようなものがあったな 一般的なのは天の声2だな
CD-ROM^2を持ってる人はインターフェイスユニットにセーブできるからあまり必要ないものとなった
ただし容量制限があるので天の声2は手放さず、Huカードのタイトルのセーブデータは天の声2を利用、
CDのゲームはインターフェイスユニットにセーブするという事をする人も当時いた
メモリベース128(「セーブくん」も同性能のはず)は後期タイトルでのセーブデータの大容量化に伴い
バックアップRAM128KBを内蔵した、パッド端子経由で使用するユニット(ちなみに天の声2やCD用のは2KB)
対応タイトルはコーエーのSLGとかTHE ATLUSとか限られてた
エメドラとかの一部タイトルに入ってるユーティリティソフトを使えば、CD用インターフェイスユニットの
セーブデータを移動する事が出来るので、セーブデータ容量少なすぎ問題はほぼ解決したが
その頃はPCEも末期だったので買う人も限られてた >>373
そもそも、対応第一弾がキャッスルエクセレントでWizシリーズ以外にもベストプレイプロ野球とか
ダビスタとかにも対応してるんだが
>374
一応二本だけ他社の対応作品が有るよ コーエーのSLGはPCエンジンでやるには条件多すぎて即280円のワゴンになってたな 自分のテレビを持ってる上級ゲーマーはゲーム機付けっぱなし >>340
ドラクエ2以降だぞ
ドラクエ2が1987年1月で秋頃まではパスワード
冬からバッテリーバックアップが当たり前になった ドラクエ3とかデータ消えまくったから
テープレコーダーにバックアップ出来ていれば楽だっただろうな >>375-384
だからAPEXがアホみたいに流行ってるんだよ
今の流行体感したいなら、無料だしアレやるのが一番手っ取り早い
オブリ/スカイリムだろうとWitcherだろうとアサクリだろうと何でもいいけど、
その辺やってもいない、又は適応出来なかった老害の思い出補正なんて聴くに耐えん >>380
拡張ありきのPCEに光栄SLGはは重荷だったね
>>377の言っているセーブくんを出したりソコソコ力入れていたのにすぐ撤退しちゃった スカイリムなんかウルトラ超クソ長そうじゃん…。
話じゃPCにMOD入れて遊ばないと話にならんという人もいたが
ダンジョン攻略で4H連続プレイとか、サーバーにセーブデータを保存しないと
何十時間も最初からやり直し、って雰囲気っぽいけどw
・・・あれ〜、vita総合スレにSS出てた2Dタイルスカイリムがリリースされなかったよ〜〜〜。
なんでだろぉ。嘘記事だったんかいな
スイッチ版のスカイリムが売れたって話もなんで聞かないのだろう・・・謎だ・・・・ >>386
末期にCD-ROMROMで出したメーカーはps、ssのCD機の練習にやってきただけだと思う >>372
メガCDのオリジナルRPGっていうとルナーだな
これがSSのグランディアに繋がっていく
今確認の為にメガCDとSSのリリースソフトを見てみたが
セガのハードって名作RPGはあるのに、数が本当に少ないよなw
ここはPCEのスレだからスレ違いになるけど シャイニングフォースCD
LUNAR1と2
ソニックCD
これくらいしか持ってなかったけど満足してた PCエンジンはアクションいまいちだったけどロープレは良作多かった。アクションいまいちは低性能だからか。メガドラはアクション良作多い 作る方がそのハードで売れそうなジャンルを選んだだけの話だろ メガCDでやったルナの戦闘システムが気に入ってる
ルナEはテンポが悪くなったのが残念 >>377
メモリベース128の存在は認識してたけど、セーブ容量の制約とかがあったのは知らなかったわ。 ハードの未来設計が行き当たりばったりだったよなその場しのぎに出してたイメージ進化のスピードが遅いというのかNECの技術不足ということなのかなー >>391
セガはACが主力だったからアクション系が得意で
メガドラもACからの移植をメインにしてたからね PCエンジンにはマリオ・ドラクエ・FFが無かったから
やっぱりゲーム機ってソフトがモノを言うよ。今も昔も一緒だよ 桃鉄はPCエンジンのスーパー桃鉄で完成されたが
速攻でファミコンに逆移植された >>398
さすがにファミコンの性能では完全移植できず相当劣化されてるのは否めなかった
それだけにSFCでUが移植された時は嬉しかった
桃伝2もPCEで羨ましかったソフトの一つ。だからSFCで新桃が来た時も嬉しかった CDーROMでTVアニメみたいなのが動いて声が出てしゃべると言うのは
ファミっ子の自分には衝撃的だった。物凄い未来のゲーム感があった
まあ今から思えば今あるムービーゲーの走りみたいなものなんだけどね
あの当時はそんな事全然思わんしただただスゲーって感覚だったな
CD-ROMにはロードがあるなんてことも知らなかった 読み込みといえばファイテングストリートと天外魔境が特に酷かったの覚えてるな PCEの読み込みは特に長いとか思ったことはないな
新メガテンだけは例外でぶっ壊れたかと思うような読み込みだったが ナムコもハドソンも任天堂と決別する所までは行かなかったし
どこまでPCEに本気だったんだろうか >>401
天外UはTの反省で工夫に工夫を重ねて
ロードを極力減らしたんだっけ
データを探す時間を短縮させるために
同じデータが何十も用意されてたり >>400
RPGのアニメムービーって、結構な拒絶反応を示したんだよね
結局、当時のゲームはドット絵とソフトの箱に書かれた主人公達のイメージ絵しかないみたいなもので
ドラクエは別として、FFの場合だと、天野さんの絵だから、頭の中でキャラをイメージする時に
アニメや漫画のキャラじゃなくて、実写的というか、写実的というか
劇画ではないんだけど、とにかく「アニメアニメ」してないものをイメージしていたから
「これアニメじゃないか」ってなって、イメージと違うって事になっちゃった
多分こう書くと「ゲームの箱にはアニメの絵で主人公達が描かれてたが?」って反応が来ると思うけど
当時のプレイヤーは、箱の絵がアニメ的な絵であったとしても、作品をプレイしている上では
アニメ的なキャラを動かして楽しんでたわけじゃないと思うんだよね
遊び方としては、ファンタジー小説やSF小説を読むような感覚で、ゲームのストーリーを味わい
FFでよく見られたキャラたちが動いてシーンを演じてるなんかは
影絵の人形劇を見てるような感覚というか、そんな感じだったんじゃないか
ゲームの楽しみ方として、アニメの延長線上で遊んでた層にはムービーは受け入れられたが
上で書いたような楽しみ方をしていた層には、想像が入り込む余地が消えた事で、拒絶されてしまった
変な言い方かもしれないけど、大人的な遊び方をしていた層と
どっぷり子供のままの感覚で遊んでた層があって、前者から拒絶されたんだろうな
その証拠とまでは言えないけど、今のRPGってアニメの延長線上にあるものというのがはっきりしてるから
昔のRPGを好んでやってたような層は、やっぱり寄り付かないでしょう
箱の絵を見て拒絶して終わり、みたいな 桃伝Uはゲームボーイカラーで1とカップリング移植されたけどゲームボーイアドバンスにハード変更してほしかったな なんでGCやXBOXはPS2に負けたん? と答えはほぼ同じでしょうねw PS2の場合は既に次世代光ディスクの標準規格と決まったDVDのプレイヤーが高価だった時代に
廉価DVDプレイヤーとしても登場という突出したAV機器需要があったから事情は全く違う なんだかんだでPS2はソフトの種類多かったしね
GCもXBOXも買ったけどそこまでは選択肢ないし
多少性能が良いとかよりもメジャーなソフトの数だと思う
個人的にはDC派だったんだけど… GCはメディアに8cmディスクを採用したり変なところをケチるからな、任天堂
ファミコンの時はそれがいい方に作用したのだが あれはロードが遅いディスクの外周は必要ないと判断したからで
ケチったわけではない
結局ロードより容量でスペックを測る目の曇ったユーザーには届かなかった >>411
普及率からして8cmの方がコストかかるよ 別にメディアが小さいからなんて理由でGCよりPS2を選んだわけでも無いだろうに コピー対策だよ、8cmであることは単に大容量化に対する抵抗で、キーは
パナソニックの特注ドライブなこと、今でもエミュで動かすのにリッピングしようとすると
できるドライブ限られる、あと記録方式をHDみたいにCAVにしてアクセスを早くしてる
ドリームキャストでも独自フォーマットにしたからエミュで動かすのめんどくさい CDロムが高い?
メガCDの方がたけーよ
ワンダーメガとかふざけてんのか CDROM2とPCE本体セットで買うと7万超えだっけか
バブルやねえ CD-ROMユニットとインターフェースユニットで57000円、PCE本体2400円の合計81,000円
どう考えても高ぇーーわ その値段の高さも相まって、イースが出た当初はそれに本気で憧れてたんだよなー
バイトも禁止されてた中学生だったから、どうにも手の出しようがなかったが… 本体が売れなきゃソフトが売れんって判断だったのか
夏休み辺りのセールの目玉でPCE本体やCD-ROM2どちらも半額くらいで新品買えたのがありがたかった >>422
まだ小学生だったから
実際にプレイするまで7年近くかかったわ…
ハドソンの偉い人(中本)も小1の子供が天外シリーズすごく面白いって遊んでいても
友達と話が合わないって雑誌のインタビューで言ってた
当たり前だろ… NECがPC感覚の値段設定で儲け出そうとしてた。ハードでそんな儲かるわけない。末期になってソフト出すようになったが手遅れ >>421
それにスーパーシステムカード9800円だったかなかかるからな まぁ、そうは言っても1988年当時だとエントリークラスのCDプレイヤーですら3万以上した時代だからね
CDROM搭載のPCなんかだと安くても30万以上してた事を考えると決して高い訳では無いけども
それだけに子供向けにこれだけ高価な商品の投入は思い切った決断だったって言えるのかもね 単体でも音楽CDプレイヤーになったから多少は割高感も緩和されたよね 数年経ってから発売したシャトルとスーパーグラフィックスとかもふざけてたよなコアグラフィックスも値段据え置きだったしあれなにか良くなったことあったか?
CDROMに繋げられない時点でコアグラ一択なんだが スパグラ→高性能で専用ソフトがある
シャトル→廉価版
コアグラ→映像出力ケーブル用端子が若干変わって濃いグレー本体がかっこいい(私事だがミニ買った)
ただし初代CD-ROM^2システムとのカラーリング上の相性は悪くなった スーパーグラフィックスをCDROMに繋げるには形状が合わないから専用コードで繋ぐしかなかった新型CDROMは奥面からドッキングするタイプだった為LTを繋ぐとディスプレイが使えなくなるという欠点もあったなので大富豪のLTユーザーは旧CDROMを買う必要があった ここでの流れを見ているとまるで自作パソコンを組み立てる様な感じだな。
流石パソコンメーカーが作ったハードだ。
そしてそれに子供がついていける訳がねーwww 最初に出した本体は価格まで頑張ってたと思う
80年代後半の時点であれだけのグラフィック処理を可能にするチップセットは安価にはできない
ファミコンと差をつけるにはHuカード(ロム)の容量がネックになったのと
開発段階ではRPGの流行でセーブデータの書き込みが標準化していく事態までは読めなかった
基本的には24800円の本体とHuカードでシェアを広げる想定だったはず
もっと金の出せる客向けに拡張機器や上位機種を
逆に拡張性をカットした廉価版も出しとけみたいなのはPCのやり方を踏襲してるけど 初代はともかく
CDを使うようになって以降の
超高額ハード路線でもそれなりに売れたんだから
日本のアニオタ恐るべしよ 俺の子供の頃仲間内ではメガドラが天下取ってたし
PCエンジンが勝っていたと言う場所もあるのでは >>430
スパグラは専用ソフトの本数と本体価格を書いておかないと詳しくない人から色々誤解されるぞ
あとシャトル最大の欠点とか >>435
高級住宅街でならそんな事もあったのかな >>429
コアグラはRF端子のav出力端子への置き換えとコントローラーの連射機能の標準化が変更点だね
avブースターが3500円だった事を考えると価格据え置きで自体は順当な強化と言えるかな?
まぁ、当時としても高価ではあったけど今の感覚で価格を語ればそりゃ割高に見えるわな シャトルの欠点はCD-ROM2が繋げられない事ってのはよく言うけど
購入層も金無くて廉価版にしてる人が多いし分かった上で買ってるので大した問題ないけど
実はバックアップ関係が隠れたかなり大きな欠点
他のエンジン本体は2600円の天の声2を買えばいいのだが
シャトルは5800円の専用バックアップユニットを買わねばならない
せっかく本体を6000円安く買ってもバックアップユニットで3000円損してる
しかも天の声2と違ってマイナー周辺機器なので探すのが大変
Huカードのキラーソフト桃伝2の時はこれできつい思いしたシャトルユーザーも多かったのでは? 正直CDROM2とスーパーCDROM2で何が違うのか
当時はまったくわからなかった
もうDUOが出てる時期だったからDUO買えで解決する話だが >>440
販売台数は別として、91年頃には、勢いではMDが圧倒してたからな
PCEは90年くらいまでは当時の感覚としてはMDに対してまだ優勢だったが
翌年には完全に押されてた感じになってる メガドライブはソニック、ベアナックル、シャイダクとか家庭用専用を真面目に作り出したあたりから活気出てきたなサードからもラングリッサーとか出始めてたし
PCエンジンはCDが終わりの始まりだったなインパクトはあるけど···ってゲームばかりになったスプリガンmk2は楽しかったけど
Huカードの頃のほうが楽しかった思い出あるわ メガドライブに抜かれるのも時間の問題だったが逃げ切りだったね
ちなみにスーパーファミコンも全世界でメガドライブに抜かれそうだったがぎり逃げ切り勝ちなんだよな日本じゃ考えられないだろうけど メガドライブに抜かれることはなかっただろ
スーファミが強すぎて日本じゃ空気だったもの >>431
あれ、ロムロムアダプター(スパグラと旧CD-ROMROMをつなげるための奴)では代用にならないのかな >>446
なりそうではあるけどね
一応LTとSCDを接続する専用アダプターがあったけど
売ってるのは1度見た事あるような無いような・・・
90年代後半以降に秋葉でしつこく探してもついに見かけた事すらなかった
DUOモニター専用バッテリーとか他のマイナー周辺機器は結構確保できたんだが >>445
さすがに空気って事はなかった
サードの立場からすると、ファミコン時代は一択だったけど
16ビット時代になってからは、ハードの特性と
それぞれのユーザー層に合わせてソフト出してたから >>442
MDの単年度の出荷台数が上回ったのは93年の5万台だけなのに圧倒とか良く分からんのだが >>446
はっきりとはいいきれないが駄目そうだと思うスーパーロムロムアダプター
商品番号PI-AD18という接続ユニットが発売されているロムロムアダプター使えるならわざわざこれ発売しないんじゃないかな PCEは何故か専門誌が多く出ていた
G'sマガジンは元々電撃PCE
>>444
メガドライブは発展途上国で未だ売れてるから余裕で超えてるなw >>450
ダメと言うか不恰好すぎて使う意味がない まあスーパーグラフィックは旧CDROMに繋げられなくてLTは新型CDROMに繋げられないとかもうめちゃくちゃだよほんとに同じ会社でやってるとはおもえんよ 凄い時代だったでしょう
でもそれがPC Engineなんだよね >>444
MD(ジェネシス)が2年も先行発売なのにSFCの逃げ切り勝ちってセガは何やってたんだろな
それと逃げ切りと言うより普通にブチ抜かれたって表現の方があってるような >>455
一回ぶち抜かれたんだけどメガドライブは2000年過ぎても売れ続けてたんだが生産停止で400万台差まで追い込んだつまり日本以外ではメガドライブが勝ってたんだよな PCエンジンで学んだわゲームはムービーじゃないってこと
今見るとイース1・2も天外2もビジュアルシーン以外は良ゲー止まり神ではないよね >>453
SGはコンバーター出てたよ。俺買ったもん。 当時のPCエンジンCDゲームの雑誌広告
「豪華声優陣を多数起用!」
「ビジュアルシーンの総時間は○○○分!」
で、肝心のゲーム内容には触れない詐欺っぷり
とくに、日本テレネット(ウルフチーム)
肝心 >>453
SGには旧CDROM接続用のオプションパーツが販売されていたし
LTにもスーパーCDROM接続用のオプションパーツが販売されているから
完全な携帯機のGTと廉価版のシャトル以外はどうにでもしようがあったよ >>456
売り続けた台数と400万台差のソースお願い >>460
接続の為だけに5000円も出してユニット買うのちがくない >>461
YouTubeでゲーム機売り上げ世界で検索すれば出てくるよ >>459
ヴァリスのヴィジュアルシーン好きゲーム性はウンコで嫌い 背面拡張バス?がないのが痛すぎるよなあシャトル
あれがあれば令和でも戦えるのに >>459
後のテイルズシリーズ開発チームの源流がここにあるっていうのが、よくも悪くもさもありなんな感じはする つか、PCエンジン持ってるやつで
ファミコン持ってないやつなんかいたか?
まあ、俺がそうだったんだけど、
全国に2人位じゃないのかな?
良いハードだったよ。 後継機と周辺機器が馬鹿高かったからオタクと金持ちしか買ってなかったな
ソフトもオタク向けしか残らなかったし当然の結果 1万くらい高かっただろ確か
クラスでも数人持ってるかレベル
って考えればPSがきついのも分かるな
おそらく子供からは選択肢にすらなってないと思われる CD-ROMのゲーム機実用化で
最も喜んでやる気出してたのは日本テレネットだろうな
当時ファミ通で
「我々は既にCD-ROMで〇本のソフトをリリースし、売上は〇万本
今後もどんどん出していきます」って自慢するだけの2P広告出してた まあ子供が親に強請れるレベルを超えてたもんなPCエンジンのCD-ROM関係は
当時の一般的なキッズは大竹まことのPCランドで紹介されるCD-ROM系のソフトを羨望の眼差しで見てるだけだった 今は親がゲーム世代だから少しは甘くなるけど
当時ゲームに数万とかありえない時代だったからな >>462
まぁ、どっちもそれを気にするような客層向けでは無い高級機種扱いだったからなぁ
特にLTは本体に十字キーとボタンとモニターを付けた可搬機という頭のおかしい仕様だったしね
まぁ、確かに泥縄な話ではあるけどDSiみたいに上位機種を謳いながら未対応のソフトがあることに比べたら
対応手段があるだけマシな気はするかねぇ 凄まじい地震だなしかし震災を経験してる身としては余裕だわな >>473
今のスイッチ見たときにさ、
任天堂がPCエンジンLTの思想を受け継いだハード出すのかよと思った 何故PCエンジンにはステージセレクトできるACT・STGが存在しないのか? >>470
まあそう言うだけあって、当時のテレネットはとにかく納期優先でバンバン作り飛ばしてたからな
必然的にデバッグやブラッシュアップが全然足りなかったから、作りの雑なソフトが多かった >>463
約500万台のデッドストック返品が反映されてない上にソースがVG chartz… 発売タイトル数
PCE
1987/1988 26本
1989 70本
1990 121本
1991 110本
1992 120本
1993 85本
1994 74本
1995 35本
MD
1988/1989 25本
1990 63本
1991 115本
1992 102本
1993 124本
1994 110本
1995 51本
体感だとメガドラのピークの方が遅れてやってきたけど実際の数字でもそうなってた >>441
セガサターンの拡張RAM専用タイトルと同じ >>480
プレステサターン出るまで月に3本ぐらいは出てたんだな。もっとソフト少なかったイメージだったけど >>481
サターンは拡張RAM無しでも十分な性能だったからほとんどのソフトが非対応で
RAM容量が重要な格ゲーの移植の為の拡張といった感が強かったけど
PCエンジンの場合は0.5MbitというRAMの少なさで
こんなんでゲーム作れるかって開発者の声も多かったくらいで最低限やらなければならないパワーアップだったな
それでもメガCDの3分の1だったし岩崎啓眞によると4Mbitへの増設を望んだけど
コストの兼ね合いで無理だったという
スーパーCDへのバージョンアップが行われてから1年後には
スーパーシステムカードを持たないユーザーは新作で遊ぶのがほぼ不可能になってた
しかもその状況でスーパーシステムカードの供給不足という問題が発生して旧ROM2ユーザーの不満が爆発してた
NECHEとしては利益の出ないスーパーシステムカードじゃなくて
本体買ってほしかったようで再出荷絞ってた説が濃厚 >>459
テレネットは各機種に満遍なく出してたとは思うけど
PCエンジンでウルフチーム名義のやつって神武伝承(Huカード)くらいしかなくね? ビッグクラブって所と共同みたいな感じで
コンシューマでのウルフチームはメガドラ贔屓
PCエンジンにはRIOTとかレーザーソフト名義ばっかりじゃなかった? >>411
ゲーム用途にはあれで充分だとの判断もあったが、12センチディスクを物理的に排除する事でコピープロテクトの意味もあった。 >>480
やっぱり91年なのか
何があったんだろ? >>480
量販店の棚はメガドライブの方が広かった記憶あるもんなあ その本数リストから分かるのは
PCエンジンのソフトが93年にがくっと減ったことだろ チラシでは載ってなかったり片隅にあるのがMDの定位置だったな >>488
それ以外にもある
PCE
1991 110本
MD
1991 115本
91年は初めてMDのリリースタイトル数がPCEを上回った年でもある
ソフトの売れ行きが良いと会社側が判断したからリリースタイトルが増えたとすると
前年の90年のMDソフトの売れ行きがよいと感じてた可能性がある
内部の事はわからないから、あくまでも推測だけど
調べてみたが、MD版ソーサリアンが出て話題になったのが90年の2月
ストーリーの良さで知られるファンタシースターIIは意外と早く89年に出てる
レンタヒーローは91年の9月 メガドラが増えたてって事ね
メガドラ視点なら重要あるかもしれんが
比較という観点では
追い付いたな程度の意味しかないと思うがね 海外が好調でEAとかの洋ゲーが出るようになったんよ
ゾウゾウゾウとか訳わからんの増えてカオスだったな ローカライズもまともにされてない洋ゲータイトルが増えてるだけなんだよなぁ
しかも当時の洋ゲーは高難易度だったりクソゲー地獄 MDはサードが少なかったせいか、セガの洋ゲー水増しが多かったな
ソード・オブ・ソダンなんていうクソゲーが日本で発売されたのも1991年 マイナーだけどジ ウーズとかいうのがなかなか面白かった確か懸賞で当たったんだったな
あとヴィクセン357 得たいの知れない洋ゲーが遊べるのもMDの魅力だろう
洋ゲー移植がない中で発売タイトル数を維持したPCEも偉い スナッチャーの完成版で諸事情による差し替え改変がないのはPCE版だけだったかな? >>494
ソダンはEAのゲーム出す際に抱き合わせで押し付けられたと聞いたな >>498
海外込みならsegaCD版も同等やもしれんね
日本でもリリースしてほしかったなあ
(もうひとつの完成版であるSDスナッチャーも移植して欲しかったねえ) >>488
Huカードオンリーユーザーは92年時点で「このハードももう今年で終わりだな」って感じ取ってたと思う
93年にスト2ダッシュが来たのがサプライズ且つ最後の花火だった
Huカードソフトのキャラバンも92年で終わり
桃鉄も91年末で終わり、F1サーカスも92で終わり
そしてファイプロやゼロヨンチャンプ等含めたHuカードの代表作が軒並みスーファミ移籍したのが
93年以降の失速の象徴
ナムコはCD嫌ってメガドラ移籍したけどそれ以外のメーカーはメガドラ移籍の影響よりもスーファミ移籍した影響が大きい
CD本体持ってれば93年以降もPCエンジンの失速はあまり感じなかったけど
HuカードユーザーにとってはPCエンジン自体消えたも同然の年だった
当時の普及台数考えればHuカード切ってCDオンリー路線にするってのは
ユーザーの7割以上切り捨てた感がある
ハドソンですら白旗上げてPCエンジン独占だった桃鉄やボンバーマンも
CD-ROMではなくスーファミに持って行ったもんな カードはスーパーファミコン
CDはメガドライブということで詰んでしまったということね
やっぱりマイナーチェンジのやり方とアップグレードが弱かったかな メガCDは日本じゃ売れていないし
そっちは最後までPCエンジンの勝ちでしょ ファミコンをテレビのVHFに接続したのに映らないのは
ファミコンが悪いの?
RFスイッチが悪いの? >>503
独占してたのがシェア奪われたのは大きいでしょ >>503
メガCDは結構派手に広告打ってたのに高過ぎた価格とゲームのラインナップで移行に失敗したからな まぁ、財布の中身はよほどのことが無けりゃ有限だから
メガCDなんて馬鹿高いものを買われている時点で他のソフトの購入予算は減るのは確かだけど
言う程メガCDが国内のPCエンジンユーザーに大きな影響を与えるようなラインナップと言えたかというとなぁ
94年の時点で38万台って話だからむしろメガドラユーザーが他のメガドライブソフトを買う予算を減らしただけ位じゃないかな? メガCDにはあんまギャルゲー出なかったのはユーザー層だろうか
エンジン末期は9割ギャルゲーだったのに あれ持ってたのはほとんど重度のセガファンとかだろうしユーザー層はあるだろうなあ
あとメガドラの発色の酷さはかなり影響したんじゃね
あれでギャルゲーやってもなあってね >>509
あーたしかに色あせたギャルゲーはあんまりやりたくないw うる星やつらとかゆみみみっくすとか普通に遊べたけどなあ メガCDで一番に思い出されるゲームはシルフィードかな
当時のゲームアーツは良い仕事してますねぇ〜 スーファミ:全ジャンルまんべんなく
PCエンジン:ギャルゲー寄り
メガドライブ:アーケード寄り
て感じで、ついてるファン層や出てるゲームに偏りがあった印象 高橋名人、初体験の格ゲーを満喫 一夜漬けも「ゲームは1日1時間」
世界的な人気作の「ストリートファイター」シリーズも初体験。「90年代の初期に『ストII』が出て、知ってますけど(自分はライバル会社の)ハドソンの社員じゃないですか」と縁遠かった理由も説明。
ファイティングストリートェ・・・ そりゃ文字通りの「必殺」技で当たれば勝てる技だったからね PCエンジンのギャルゲー寄りはCD出てからでメガドラのアーケード寄りは初期だな後期はオリジナルばかりだった 初期だと
PCEはアーケード寄り
MDはセガ寄り
だった PCエンジンに限らずメガドライブもそうで、ソフトの完成度が違い過ぎた
マリオドラクエFFは別格だった PCエンジンのゲームは声付きで凄いなと思っても
流石に値段がな
アメリカみたいレンタルがあれば良かったのに >>524
VHFの1chか2ch
ワイヤレスだとUHF使うのも有ったね
>>504
本体端子側の1ch 2chスイッチとかTV GAME切替スイッチとかはどうなってる?
ココが合ってないだけの場合もある >>516
ゲーセン版のころからの仕様です
PCエンジン版は裏技扱いでワンボタン必殺技付けてくれてるだけまだ慈悲あるよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています