もっともCS機とPCに「性能差のあった時代」は、ファミコンとPC9801の時ですか?
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だとすると当時のファミコンボーイたちはPCに対する憧れが強烈だったのでしょうね >>1-9
全 角
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ア フ
ィ 専用回路の積めないPCという制約の強い汎用機は、
アーケートゲームやCS機には遠く及ばなかった
という話ではなくて?
GDC や EGC なんかを追加したけど、それでも競合するのにほど遠いという グラフィック周りがしょぼくて当時のPCはアクションゲーが厳しかった PCはメガデモ(プログラム技術コンテストのようなもの)が
いろんなテクニックを切磋琢磨して、
音源まわりはMODというテクニックが一世を風靡したけど
グラフィック回りは、専用3Dハードの3dfx Voodoo 拡張ボードと、
3D強い汎用グラフィックカードとして nVIDIA(Riva128 / GeForce) 生まれてからやな 父親が仕事に使ってたPC-98でゲームやってたぐらいだな スプライト使えないからファミコンの方が性能が高い面もあるし アクション系は本当あかんかったなPC-98は
だからエロゲ(ADV)とSLG、RPGがメインだったんたろうな 2007年
Core 2の主力ラインナップが揃って8800GTが登場した年
PS2の末期やな
なおクロック至上主義を引きずった従来の思想を受け継いだ爆熱モンスターPS3が発売される1年前の事である pc9801はスクロール機能なくて動きガクガクじゃなかったか? 別に98は大量にメモリ使えたし、ファミコンでは絶対無理な漢字表記やFM音源やMIDIも使えたから性能差と言うほど感じなかったな。
アクションゲームは苦手だったけど。
一番と言うなれば任天堂64時代じゃないかな。SGIなんて一般人には買えなかったし、ゲームなんか無かったから。 x68000の頃か
PS3とPCでクライシス2の頃? 9801といっても286か386か486でもだいぶ違うし PC用のブルーレイディスクドライブが10万円ぐらしした時期あったよな >>1
当時のPCは標準機能だとファミコン並みのスクロール機能やオブジェクト機能はもちろん、サウンド機能でも操作系ですら全く劣ってたのだよ。
違うのはCSでは出せないジャンルの充実や専用モニターによる鮮明で高解像(しかしたった2倍の密度)だった事くらい。
PC優位の状況が出てきたのはWindows XP以降くらいからだと思う。 80年代の8ビット/16ビット機で優位な点といえば、FDDの枚数増やせばいくらでも容量が増やせたってとこもあるか。
ゲーム進行速度は遅いけどね。
HDD 8MB(誤植では無い)でもインストールできた時の高速性に笑ったなぁ。
現代のHDDからのSSD換装と同じだね。 >>19
SASIの20MBが最初期だった気がするが
8MBって何だっけ? 規格か商品名知らたい >>18
つシミュレーションゲーム
ファミコンの信長は頑張ったと思うよ SFC時代の光栄は頑張ってたな
さすがにウイニングポストは処理が死にそうだったけど 単純にコンピューターとして見た場合ファミコンはメモリも少ないしCPUもさして高性能なわけじゃないが。
使えるスプライトの数や発色数、ハードスクロールなどアクションゲームに特化した機能は非常に優秀だった。
ゼビウスの出来で見たらPC-8801もPC-9801もX1もファミコンには敵わないが
信長の野望や三国志の出来はファミコンよりパソコン版の方が圧倒的に上。
簡単に比べられるものではない。 ファミコンの時でもシャープX-1やMSXの頃ちゃうの? 当時はマジでパソコンは30万円ぐらいしてたはず
知らんけど FC版源平討魔伝とX68000版源平討魔伝の違いに愕然とした。
PCエンジンはよく頑張った。 PC-98は16万円(286)から30万円(386とか486)ぐらいの印象。
後、モニターも高価だった。 それでも景気は良かったから、そんなに割高でもないかと V30のPC98で本体28万円 モニタ16万円 ドットインパクトプリンタ22万円 とかで親父が買ってた
2台目のFAが40万円くらいしてたと思う
気付く人は分かるだろうけど、タイミング的に2代続けて失敗してる VM未満に21未満 ファミコンみたいなゲームするのなら
カスタムチップつみまくったX68000とかFM TOWNSとかと比較するほうが >>20
初めてFMタウンズで接続したモデルがそれだったw
多分に1番安いモデル。
それでも感動できたんだよ。 >>26
Panasonicのパナソニック FS-A1やSONYのHB-F1が凄い宣伝やってた時代と被ってると思う。 >>37
MSXturboRは色々期待と現実が入り混じった機体だったな。
MSX関連は興味はあったけれど当時では入手が不可能だった。 小学生なのに2台も立て続けにパソコンを父親に買ってもらった飯野賢治(何故かwikipediaでは『購入』と表記)
小学校の時に作ったゲームでコンテストで賞をもらい50万円の賞金をゲット(中村光一ですら高校生で50万円の賞金)して、
その賞金で、ソニーのベータを買って後に非難されまくってる
父親に賞金渡せよw ちなみに、スプライトが存在しないキュッパチでもこんぐらいのことはできる
ttps://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&url=https://m.youtube.com/watch%3Fv%3DIUgstwhzCjo&ved=2ahUKEwiRr8y71vzxAhXLyosBHSveDMwQwqsBegQIBRAB&usg=AOvVaw1ZxuheuuzOT51OF0uQxi-h >>40
中村光一ですらっていうけど中村も優勝できてないし50万ももらえれば十分やろ >>37
松下しか残らなかったんだよな、MSX t urboR世代
繋がりの深いASCIIのMマガがM FANよりも早くテタイするとは思わなかったよ
>>41
初めて知ったけどこれは凄いね >>38
>>43
面白い機種だったんだけど8ビットのアーキテクチャを引きずったんのが敗因かなあ
MSX Viewが後で岩田氏の仕事って知ったけどHDD無しでは厳しい作りだったな 比べるならX68Kとファミコンだな
PC98じゃスプライトも無いしファミコンのが優秀な場合も有るんじゃね 98時代って、PCじゃまともにアクションゲーム作れなくて
ファミコンレベルの玩具にボロ負けしてた時代じゃねーか >>37
ターボRの仕様を見たソニーはそれを床に叩きつけたという
あまりにも期待外れだったんだろな
そしてMSXから手を引いた 友達持ってたなMSX
グラディウスがかくっかくってスクロールしてた
それでも当時夢中で遊んでたな >>46
それは技術力次第
BGもスプライトもないが力技で出来る人は出来る
MSXでもハード機能を使わずCPUでVRAMにゴリゴリ書き込んで頑張ってるところもあった 0.1秒かけても全画面を書き換えられないCPUとメモリアクセスの遅さは覆せないかと
グラフィック用APIが追加されても特殊な描画の計算が簡単になるだけで、描画はやっぱりとても遅い 85年を過ぎた辺りから打倒テレビゲーム機でゲーム機能を強化したパソコンが増え始めたけど
いくらファミコンやセガマークIIIより高性能でも2、30万じゃ意味がないよな。
ゲーセンと同じクオリティが家庭で!!のX68Kも最終的に13万台しか売れてないし・・・・。 しかしマークVの時中学生だけど常にPCへの憧れはあった
コンプティーク買ってきてPCのゲーム特集読み漁ってたもの
福袋も読み漁ってたw コンプティークは毎月買ってたけど
福袋を開けたことは無いな マークVの北斗の拳やりながらもPCの洋RPGやりたかった
プールオブレディアンスとか
スタンドアローンクンプレックスならぬ洋RPGコンプレックスだよ ファミコンもスクロールは出来るが
全画面書き換えは遅いからあれはあれで難 >>46
当時のPCがアクションゲーム苦手というのはファミコンやスーファミに実用レベルの表計算させられるのかってのと一緒かもな
用途の違いよ >>26
MSXなんてあんなんセガハードと大差ないしなあ アーケードでいうところの、バーチャファイター3〜4あたりまでかなあ、、、、
PCの性能向上とグラフィクス性能向上が見えてきたあたり、
あとFullHDがあたりまえになってから
ゲーセン需要がなくなってきたね。
音楽もPCMサウンド全盛期だったころにPCはFMサウンドだったからね。
どちらも善し悪しあったけど。
いま、高性能GPUを何枚も積んでグラ性能ベンチが段違いですーなんてハードウェア出しても
そこまで感動するグラフィクスにならないんだよね。
もう2〜3段階の技術革新があってゲーセンとかじゃないと実現できないようなモノでない限り >>58
時代背景的にゲームに適した機能を装備するとオモチャみたいに下に見られかねないと、営業面からも敬遠されてたのだ。
事務機として高額で売れてたからそのアイデンティティは崩したくなかっただろう。 >>63
名前こそ同じ機種が出てたけど、モデル間の差異は大きくて買ってはいけない機種もあったりした。
当時EPSON PC-286C PC CLUBがとっても気になってたわ。
現代でもゲーミングPCのデザインとして無骨なキーボード一体型は有ってもいいのになって思う。 >>65
パソコン買う時予算が20万くらいで
エプソンのそれとモニタ一体型のFMTOWNSで迷ってタウンズ買ったわ
失敗だったわw >>66
FM TOWNSU URは当時凄く悩んだモデルだった。
結局486SX白タウンズになったけど、Windows登場まで楽しく使い込んでたわ。
メインはワープロとして利用してお絵描きとMIDIマシンでもあったな。
ゲームも当時の富士通が結構頑張ってたおかげで充実した環境に思えた。 TOWNSへのFM OASYSのインスコなつかしいな
あれ専用の区画使うんよね
キーボードは親指シフト一択 PC98で画面スクロールのアクションゲーム作ると死んでたな
16ドット刻みで画面書き換えるコマ送りみたいなスクロールしかできなかった
逆にウィザードリィとかダンジョンマスターみたいな3DダンジョンRPGにはPC98は最高だった
でかいキャラもばんばん描けるし漢字も読みやすい >>71
ウルティマアンダーワールドやドゥームのような作品もスーファミ世代では無茶だったな FCは発売当時は高性能機ポジだぞ
専用機と汎用機で性格が違うし比べる意味あるのか? >>1
CSがX68Kに勝てたのはサターンとPSからだよ。 個人的な所感だと最大に差があったのは
発売直後のPSSSとPC-98/TOWNS/X68かなぁ
その後Win95載せてPentium 100MHz搭載したPC-9821でも
2D3Dゲーム共にPSには到底及んでなかったからね
PC 3DEngine積んでようやくバイオ1等の3DゲームがPS並に動作するようになったり
Pentium 166MHzクラスで2Dゲームはソフトウェアスプライトで充分になったが DirectXと描画命令のハードウェア対応 (対応してないとソフトウェアエミュレーションやIRでやってた)
するまでは、CPU描画どうあがいても間に合わなかった
スプライト描画やBitBltの高速転送なんかもハードウェア対応でようやく……
PC98 が対応してた機能としてはVRAMのバンク切り替えでダブルバッファリングな描画ができたこと。
これだけでアドベンチャーやシミュレーション適正があって助かった 明確にCS機がPCを上回る事が出来なくなったのはPS2の頃だな 9801と言っても年代によって様々なのがね
V30機だとアクションSTGはFCに到底勝てん訳だが
しかしYS3とかはPC版のほうが色々と上なわけで
単純な比較は難しい
386機だとバーニングドラゴンやソリッドランサー等
STGタイトルでもFCはかなり分が悪くなるわけだが ドット絵的なものはコンシューマも頑張っていたけどPCゲーム業界に職人が多かったね
>>79
2までは出た直後はPCを上回っていた気が、360/PS3世代にもなると完全に後追い >>71
漢字仮名交じり文が読みやすいというのはやはりPCの方が優れてたね。
現在フルHD表示で字が小さいという当時じゃ想像も出来ない問題が起きるとは思わんかったわ。 voodooと2Dビデオカードの組み合わせから始まったポリゴンCGゲームだけど、
AGPビデオカードの製品サイクルの短いことといったら無い…。
3ヶ月おきに物凄いスペックのジャンプアップがあった時代はとても面白かったな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています